見出し画像

弱者はなぜ力を持つと豹変するのか?


人は権力を持ったときに、はじめて本性が表れる。

迫害される側だった者が力を手に入れた途端、迫害する側にまわることは珍しくない。

たとえば読者も次のような例を目にした経験があるだろう。

  • 部活動で1年生のとき先輩にしごかれて嫌な思いをした者が、学年が上がると自分がされたのと同じように後輩をしごきだす

  • 家庭で虐待されている者が、学校では自分より弱い者を虐める

  • 新人のときは右も左も分からなかった者が、ちょっと慣れてくると新人に威張り散らすようになる


世の中には"弱者"をやたら聖人化する人間が多い。

ところが実際は、少なからぬ弱者が聖人とはほど遠い精神を持っている。

それは歴史を振り返ってみても一目瞭然だ。

フランス革命の民衆や、かつてアメリカに移住したピューリタンはその代表例と言えるだろう。

抑圧された民族が、自由の新天地を求めて戦い、「解放」を克ち取ると、次にはだれか他人を抑圧するというケースは、私の最も嫌いな、しかし、やけにたくさんある歴史の遺産だ。ブリテン島でイングリッシュ(イギリス人)にひどい目にあっていたアイルランド農民や、旧スコットランド王国の民衆は、新天地をアメリカに求めた。それは良かった。しかし善良なアメリカ南部人となった彼らは、インディアンを虐殺し、アフリカ黒人を牛馬のように酷使した。

栗本慎一郎『パンツをはいたサル』現代書館


弱者は権力を持つと傲慢な性格に変わるのか?

いや、そうではない。

力を持っていないがゆえに、傲慢に振る舞うことができなかったのだ。

つまりもともと彼らは傲慢な性格であり、ただそれが表面に現れていなかっただけに過ぎないのである。

ドラえもんに出てくる"のび太"がまさにそうであるように、立場が変わると一転して権力を振るい始める弱者は決して少なくない。

虐げられた者は、誰もが根っからの弱者の味方であるとは限らない。立場が変わり、自分が強者になると、一転して権力を振るい始め、弱者を虐げる者になるのである。

森本あんり『不寛容論』新潮社

ここから先は

2,052字

¥ 300

期間限定!Amazon Payで支払うと抽選で
Amazonギフトカード5,000円分が当たる

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?