「低所得者は高所得者に生かされているんだから感謝しろ」
「低所得者は高所得者のおかげで生かされているんだから感謝しろ」
このような主張をする高所得者は少なくない。
たしかに所得税の税収のうち約半分は年収1,000万以上の高所得者(給与所得者の約5%)によるものであり、低所得者の納税額が低いのは事実だ。
納めた税金が公共サービスやインフラなどに使われるとすると、単純に考えれば低所得者ほど得をすることになる。
なので成功者によく見られる冒頭の主張は正しいように思えなくもない。
しかしこの考えには見過ごしている点が複数ある。
第一に、そもそも高所得者の仕事は本当にその報酬を受け取るだけの価値があるのか?という点だ。
たしかに市場的な観点から見ればその価値があるのかもしれない。
だが道徳的な観点から見てもその価値があるのだろうか?
たとえば年収1,200万の商社マンは、年収300万のトラックドライバーの4倍の道徳的価値(≒人間的価値)があるのだろうか?
年収2,000万の有名人の仕事は、年収200万の清掃員が10年かけてやる仕事と同じだけの道徳的価値があるのだろうか?
高所得者が1億円の豪邸で暮らしている一方で、低所得者が家賃4万円のボロアパートで暮らしているのは当然のことなのだろうか?
こうした格差を適切とみなせるほどの人間的優劣が両者の間にあるのだろうか?
このような不公正な偏りは、いわば市場主義社会のバグである。
累進課税という再分配システムが存在する理由の一つは、こうしたバグを修正するためだ。
(それが最善かどうかはさまざまな議論があるが……)
「高所得者は税金をたくさん払って低所得者に分け与えてやっているのだから、もっと感謝されてもいいぐらいだ」
「なぜ自分が頑張って稼いだ金を貧乏人に再分配しなければならないんだ」
といった傲慢な発想は、
「自分が低所得者より何倍も多く所得を得ることは当然であり、自分は低所得者より何倍も価値がある人間だ」
という自惚れから生まれる。
彼らは視野狭窄に陥っており、市場価値という一元的なモノサシでしか世界が見えなくなっているのだ。
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