心に塵が堆積し、風通しが悪いのです
こんにちは。Nyupyです。
最近の選挙やメディアの報道を見てちょっと落ち込んでいます。
高市さんもハリスさんも事前の多くの予想に反して、票を伸ばすことができなかった。
アンコンシャスバイアス(無意識の偏見)が無かったと言えるのだろうか?
多くの人が「普通」・「常識」と思い込んでいる中に偏見が入り込んでいないだろうか?
そんなことを思っているのは私が過剰反応をしているだけなの?って落ち込んでしまうのです。
人はそれぞれ特徴があるから、セクシャルや人種、学歴、育ち、体格、容姿などの特徴起因する得意・不得意に伴う区別はあっても良いけど、それに身勝手な優劣をつけて差別に繋げるべきではないと思っています。
でも、人は自分が有利になる区別(軸)を大切にしがち。
行き過ぎると差別につながってしまうだろうと想像してしまいます。
自分の軸を大切にすることは自尊心を養うのに重要なのだけど、自分の軸を他人に押し付けたり、他人の軸を受け入れないのは違うと感じてしまうのです。
ぐるぐると考えが巡り、考えがしっかりと形にはなっていないけど、心の声を書き出してみました。
これも私の軸を押し付けていることになるのかもしれないと心配しつつ、一つの意見としてとらえていただけるとうれしいです。
満たされない人は、他人との優劣を気にする
「〇〇よりマシ」 ←何が?
「〇〇よりパワー(腕力・体力)があるから支配して当然」 ←パワーは1つのスキルであって万能ではない
「男性は女性より優れているから俺が優遇されるべき」 ←無意識でこれをやっている人は男女関わらずまだ多い・・・
肩書(役職、社名、経歴)を振りかざす人は、言動や成果に自信が無い
自分の持っている肩書(タイトル)を振りかざすのは、肩書と言動が合っていない人にありがち
「〇〇より良い大学(高校)を出ているから優遇されるべき」 ←学歴は過去の成果で賞味期限があるはず
「課長だぞ」「客だぞ」「父親だぞ」と威張る ←それがどうした?ちゃんと役割を果たしているなら自ら言わなくても周りが正当に扱うはずなんだけど
「人の上に立つ」ことはこれまでの結果・成果であり今後の活動の有効なツールであって、目標ではない
「同期より早く管理職になるのが目標だ」 ←やりたいことのツールとして管理職を使うならOK。でも何をやるのかがポイント。
「将来は部長になりたい」 ←なって何したいの?
自分に自信が無い人は自尊心を満たすために人の上に立ちたがり、それを目標としがち
うーん。たぶん私は怒っているんだろう。
理不尽な差別、マウント、ハラスメントに対して。
日頃は笑ってやり過ごしたり、笑顔でチクッと注意したりするんだけど。
やっぱり心に小さな塵が堆積して、詰まりかけているから心の風通しが悪い。
心の許容量が小さくなって、普通なら受け流すことができることも引っかかってしまう。
そんなことじゃいけないと反省。
幸せは自分の中にある
他人と比較せず、心に余裕を持って自分の幸せと向き合う人が増えますように