
とある慶應生の就活体験記 ⑤夢見る少年
夢のはじまり
今日は一旦閑話休題ではないが、直接的な就活の話からは少し離れて、僕自身の事についてより深ぼって書いていこうと思う。 僕自身のことを振り返るだけではなく、なぜ僕がこういう就活を行い、どのような判断軸で、企業選びやキャリア像について考えていたか、客観的にもなるべく興味が持てるようにしていくつもりである。
僕が就活を通して実現したかった夢は主に2つある。まず1つ目は、パイロットになると言う夢である。遡るに幼稚園時代、僕は家庭環境の都合で飛行機を利用し、海外へ旅行もしくは滞在すると言う機会が平均的に多かったように感じている。今思えば贅沢な思いをさしてもらったものではあるが、やはり小さな男児からすると、巨大な機体とともに無数の人々を世界中へ運んでいく飛行機の姿というのは憧れの対象になったのである。その思いは飛行機を利用するたびにますます強くなっていき、飛行機と言うのは自身の中で大きな意味を持つものになっていった。そんな少年がいつしか自分でその飛行機は操縦し、世界中に人々を送り届けることに対して憧れを抱くのは自然な話であろう。そして僕は過去生きてきた十数年もの間、いつしかパイロットとして世界中を飛び回ることを夢見るになったのである。
そして2つ目に実現したかった夢は官僚になると言う夢である。今考えるとどこか少し歪んでいて、官僚になることが夢だと言う人はなかなかいないのではないだろうかと自分の中で考えているが、それでも 僕にとって官僚と言うキャリアは大変魅力的なものに思えた。これも今は振り返ると海外での滞在経験だったりというのが大きく影響してるように思われるが、幼ながらに日本と海外の違い、そして客観的な日本の姿というのを捉えることで、日本の良い部分悪い部分ともに自分事として理解するようになったのである。
その想いは既に小学4,5年生あたりにはもう芽生えていて、小学校の卒業式の場で将来の夢を官僚と答えるような非常に気味の悪いガキが誕生することとなった。
この2つの夢は片方だけでも結構特殊でそれを同時に実現することなど到底できるものではないが、このどちらかになりたいと強く考えて就活の序盤からこれに向けて個人的に動き出していた。結局その夢が叶ったかどうかについてはまた別の回に紹介していくが、この夢についてまた更に書いていこうと思う。
大空への憧れ
さて、官僚になるという夢を胸に東大法学部(文一)を受験し、見事不合格通知をもらった僕はしばらくの間、精神的なロスを抱えることになった。中高生時代は社会に対する意識、アンテナが高かったこともあって官僚としてこの国を変えていくことに対して強い情熱を感じていたからだ。そのために、東大へ入ることは必要不可欠で、ある種自分の人生の中で当然起こるべくして起こる通過点であるものと勝手に考えていたので、僕が東大に落ちたことはただ単に大学受験での失敗という意味だけではなく、官僚になる夢、ひいては人生計画さえも大幅に狂う大きな転換点になってしまった(と当時は思い込んでいた)。
そのようなブルーな気持ちを抱えて「劣った大学」という偏見に満ちた慶應義塾大学に入学することは僕にとっては屈辱以外の何物でもなかった。今でこそ官僚になる上で東大法に入ることは必ずしも求められる条件ではないことは承知しているが、高校を出たばかりの世間知らずの僕はこの失敗に強い劣等感を感じることになったのである。
一種の学歴コンプレックスを持っていた自分がそこからどう立ち直っていったかについては今回の主旨ではないので他のNoteに譲りたいと思うが、その境遇に置かれてしまった僕は官僚という夢を一時的に諦め、心の奥底にしまわれていた「パイロット」という新たな希望に向かって大学生1,2年生を過ごすことにした。パイロットは世界を飛び回る上に給料も高く、官僚に劣らず世間体もいい。そんなことで自分の心を慰め、大学生活を送っていた。
そうこうするうちに就活の波が押し寄せ、自分の将来を真剣に考えなければならない時期が来ると当然パイロットのインターンに申し込むようになった。少し話が脱線するが、日本においてパイロットになるためには大きく4つの選択肢がある。
①大学や専門学校を卒業後、航空大学校という国立のパイロット養成機関に入り、免許取得後航空会社に入社する
②JAL,ANAなど企業体力のある航空会社の募集する自社養成パイロットコースの社員として採用され、訓練を0から始める
③航空自衛隊に入り、優秀な成績を残した後に戦闘機・輸送機パイロットとして訓練を開始する
④パイロット養成コースのある大学・学部に入学する
の4つである。自分でライセンスを取る方法もあるが、大抵訓練先は海外である上、金持ちの道楽みたいな金額がかかるのであまりメジャーではない。
この中から自分は②の自社養成コースでなることを目指した(お金や時間の関係もあったため)。
この選択肢の中では、おそらくほとんどの人にとって②の選択肢が最も魅力的だろう。会社が訓練費用を全額負担してくれるだけでなく、訓練中の生活さえ保障してくれる。更にはパイロットになってしまえばサラリーマンとしては莫大な額の給料が手に入る。そしてカッコイイ。こんなことを考える人間は数え切れないくらいいるので、採用倍率はとんでもなく高い。1人の採用枠に対して100人の応募が来るとも言われるくらいである。だから、みなさんが空港に行ったらフツーに見かけることのできるパイロットというのは本当にスゴイ存在なのだ。並大抵ではない狭き関門を突破し、その後も厳しい訓練をこなし日々フライトをこなす。言葉では表せないくらい彼らがクリアしてきた道のりというのは険しいのである。
そんな厳しい世界に僕は飛び込むことにしたが、こういった就活をしている子は周囲にはあまり見当たらなかった。結構珍奇な目で見られることも多かったものの、とにかく空に対して燃えていた僕はその気持ちを原動力に突き進んでいった。それを実現する場として就活というチャンスを存分に生かしてやろうと思ったこともあり、僕はJALのインターンに応募した(JALは自社養成社員の9割以上をインターン経由で採用している)。無事書類試験や心理検査、面接にこぎつけインターンに参加できたが、優秀者のみが限定して招待される裏採用ルートに乗ることはできなかった。インターンルートから脱落してしまった者の敗者復活戦(本選考)は事実上ないので、早くも自らが愛してきた赤組航空会社のパイロットになるという夢は砕けてしまった。(ANAの採用は秋以降なのでサマーインターンの段階ではなにもなかった)
お久しぶり、霞が関。
ただそんなこともあろうかと、僕は官僚になるという長年の夢を思い出し省庁のインターンにも参加を申し込んだ。省庁のインターン選考は学歴&志望動機ゲーで、官僚としてハチャメチャに重要な作文力が見られる場である。官僚への気持ちが揺らいでいたこともあって軽い気持ちで書いていたこともあったが、意外にもいろんな省庁に行けることになった。
具体名を書くのは差し控えるが、B省、K省、Z省、K庁など(ほぼ隠せてない)想像以上に多くの省庁にいけることになった。こういった機会を通じて実際の省庁に入ってみたり、官僚の人としゃべってみるとこれまた奥底に眠っていた国家への貢献意識というのが目を覚まし始めるのである。法律を作る、ミサイルに対応する、議員の先生方に説明しに行く…大変面白い仕事から近年問題となっている「くだらない」仕事まで、国家の為に働くという自尊心だけでありとあらゆる業務をこなせるような気がした自分はそこで再度官僚という選択肢を考え始めるのであった。
そこで、前々から聞いてはいたものの国家公務員総合職試験の「教養区分」というものを受けることにした。そう、やっかいなことに官僚になるためにはそのための登用試験というものに受からなければならないからである。官僚と呼ばれているものは俗称に過ぎず、その身分の正式名称を「国家公務員総合職」という。旧国家公務員Ⅰ種、国Ⅰと呼ばれていたソレだ。今では縮めて国総、その過酷さぶりから国葬と呼ばれることもあるが、その試験にパスしなければ面接にさえ行くことができないのでこれは最初にしてそれなりの山場になる。
国家公務員総合職の試験には大きく2種類の試験があり(大卒者向けで話をする)、教養区分と専門区分が存在する。教養区分とは、大学3年生秋に行われる(近年の改正で大学2年も受けれるようになった)試験で、その名の通り幅広い知識(政治だけでなく歴史、文学、物理など)を問われる試験である。一般的に教養区分に受かる人は優秀と言われていて、広範な分野に精通する東大生・京大生の率が高くなっている。それに対して専門区分は伝統的な試験方式で、大学4年の春に経済や国際政治、理系だと工学や情報処理などの専門的な科目のみの出来によって合否が決まるという試験である(両方に併願することもできる)。
僕は経済学の理論的な話やこまごました暗記が大嫌いだったので、専門区分で受けることはせず、教養区分だけを狙い撃ちして受けることにした。なぜなら、大学3年の秋であれば大学4年の春と違って民間就活の負担も少ないし、東大受験をした僕的にはそれが直接的に活かせる教養区分の方が向いていると思っていたからだ。更にこの試験のいい所は、教養区分に落ちても専門区分にチャレンジできることでもあったので多くの受験生が腕試しで受けることができる。しかもタダ。
そうして、パイロットと官僚の2足のわらじを履いて大学3年の夏を過ごすこととなった。それ以外の民間企業はお遊びというか、単なるすべり止め、保険、実力の証明というノリで受けていたのが実際のところである。このように振り返るだけでもビックリするくらい傲慢なとある慶應生の夢をかけた戦いはいよいよ本格的に幕を開けることとなる。
~次回に続く~