「推し、燃ゆ」を読んだ。
結論、よくわからん感覚でした。
主人公の女の子は頭に病気を抱え、日常生活もままらない状態である。
そんな彼女には推しがいる。推しはその子の世界の中心となる存在。
推しがいるからかろうじて日常生活ができている。
その推しが炎上するお話。
自分も彼女ほどではないにしろ、日常生活に苦労していると自負している。
しかし、日常生活を送る上で”推し”がないと生活が成り立たないというわけではない。
なので、この小説の文脈でいえば普通の人間なのかもしれない。
そんな自分にはやはり到底理解できない感覚がずっとつらつらと描かれているような印象を終始受けた。
ここから、印象に残った文章を引用しながらコメントさせていただく。
主人公の状態を説明した文章。
この主人公の状態は社会問題になっているトーヨコ界隈にいる人と同じ状態なのではないかと思う。
病院に行っていないため、診断されていない。そんな状態の子たちが、推し(トーヨコで言うところのホスト)にのめりこんでいるのかなと短絡的ながら連想してしまった。
正直自分にはわからない感覚ではあるが、単純に勉強になった。
こういう心情の人もいるんだなという学びを得たことで思考の幅が広がると思う。
あとがきであるが、ここからがこの本の本編であると思う。
引用した感覚はよくわかる。
日常生活をする上でやらなければならないことを、別の何かをしながらやりすごすという感覚はよくわかる。
ある意味、推すという感覚はこういうことかもしれないと腑に落ちた。
この感覚もよくわかるし、自分もそういう風になっているときもある。
これを知識として知れたことがひとつ良い学びとなった。