我が家の愛情物語 大好きだけど毒親か不思議なママ編



お断りしておきます。

お姉の私は統合失調症ではありません。
精神面はうつ病です。



母が認知症になりあまりに暴れたりウソがひどいので、にょろちゃんとお姉の私と母とで、


長野市民芸術館の隣のビルに、長野市の相談窓口があり伺いました。


年配の女性の相談員さんでした。机をはさんで話をしました。

それが驚いたことに、椅子に座るなり母は、

娘達に殺されます。


と叫びました。



にょろちゃんもお姉の私も、
はぁ。

とビックリして母の顔を覗き込みました。

すると母は、

ああ、こう言ってはいけないのだった。


と呟くのです。


もちろん相談員さんは驚くだけ。



さらに10分くらい経過して、再び母が、

娘達に殺されます。

あっ、また言っちゃった。




と口にしました。

にょろちゃんも私も呆気にとられるだけです。


2時間くらい相談をさせて頂きましたが、相談員さんは、


お母さん、話をするなら保健師かここに来てしなさい。他で話してはいけない。


とアドバイスを下さいました
母は、自分の奴隷でないにょろちゃんとお姉がいる我が家はイヤで、世間中タクシーでとび回り、ビジネスホテルに泊まっていました。


あの時の、タクシー代や宿泊代、外食代がバカにならない金額です。


しかし、この相談で解りました。

母は口を開けば、娘達に殺される。


と世間中に話していたのです。



ご商売の方とか、頭が良い方々はすぐに、


お母さんの嘘。


と見抜いていらっしゃいましたが、


お育ちが良いかかりつけ医からは、3年間に渡り、


お母さんが暴力を奮うとは思いません。と言われ続け、母がインフルエンザに感染して自分で外出先からかかりつけ医に行き、そのクリニックから我が家に電話がありました。


にょろちゃんとお姉の私で迎えに行くと、


高齢者の38度以上の熱は大変です。
と、睨まれました。


あの、母が世間中歩き回り感染したのですが。

あの時、熱が下がるまで母は自宅で寝ていましたが、

看病したにょろちゃんも私もうつりませんでした。

余程、気を張っていたと思います。




また、そのかかりつけ医からは、

教育免許なんて持っていても何にもなりません。


と怒られました。


あれは、傷ついた。


私は、北陸地方の国立大学の教育学部特別音楽科を卒業しました。


教育実習は、体力的にきつく必死にやりました。やらないと卒業できません。また実習前、教育学部全員対象の授業が丸1日あり、出席しないとやはり卒業出来ませんでした。

その前の日、東京上野文化開館で、


偉大なチェリスト、斎藤秀雄先生を偲ぶチェログランドコンサートがあり、


にょろちゃんと私は日帰りで行き、夜行で帰り、授業に出席しました。


また教育実習中、父に食事などをお願いしてアパートまで来て貰いました。

翌年、父は他界しましたから無理させて申し訳なかった。



大学はいわば、父の念願でもありました。

ですから、かかりつけ医から教員免許をあれこれ言われて、父にもいまだに申し訳なくてたまりません。



母に、A先生に教員免許をこう言われた。と話したら、


母は、えーっと驚いていました。


自分の嘘が原因だからです。


こんなことの繰り返しの毎日でした。

今私が病気であることも、母の介護で疲れたことが原因です。



しかし、母を憎むことはありません。
大好きです。


ある意味不思議な存在の母です。






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