Nyon

欲張りクリエイター。デザインや映像制作が気になる。 今日も推しが尊い。

Nyon

欲張りクリエイター。デザインや映像制作が気になる。 今日も推しが尊い。

最近の記事

さようなら、土に還りたかった自分

「土に還りたい」 数年前、息をするように発していた言葉。 振り返れば、当時の自分はモチベーショングラフの枠から大幅にはみ出した底の方でただただ漂っていた。 それまでずっと蓋をしてきた問題にひょんなことから気付いてしまって、その苦しみを自分一人ではどうにもできなくって。 苦しみから逃れたくて、どうにかその状況から脱したくて、地上に顔を出そうと必死に足掻いていた。 正直なところ、もう全ての苦しみを断ってしまおうと考えたことだってあった。けれど勇気もないから、静かに土に還りたい

    • 共創とは、愛を重ねることだ。

      昨年の夏から所属しているコミュニティ・POOLOの4期生で、運動会をしてきた。 楽しかったなあ、企画してよかったなあ、と余韻に浸っていたら、一緒に企画したSJが愛に溢れるnoteを投下してきた。憎い人よね、全く。 ラブレターを返しがてら、自分も振り返ってみようと思う。 始まりは9月、第1タームの終わり頃。 「共創がしたい」と話すえっちゃんに、「運動会しよう!」とSJが提案したところから、企画がスタート。 わたしは「今からMTGできる?」と半ば巻き込まれる形で(笑)、2人と

      • 旅のおわりに、ぽつりぽつり

        ひとり旅をしてきた。帰ってきた、現実に。 待ち受けているやらなきゃいけないあれこれに少々打ちのめされつつ、旅の余韻に浸っている。 今回の旅のテーマは「人に会いに行くひとり旅」。 ひとり旅と言いつつひとりでいる時間がほとんどなかったのも、わたしらしくていいなあと思う。 数年ぶりに会う友人とは、近況報告から最近思うことまであれこれと。久しぶりすぎて最初は距離感バグらせてたけど、話していく中で「ああそうそう、この感じね」と馴染んでいく様がなんだか心地よかった。 自分たちとは違う

        • つれづれなるままに

          人に会うには、労力がいる。 だからできる限り省エネでのんびり生きてきた。 でもコロナ禍で人と会うことを制限されてからは、それって実は尊いことなのかもしれない、と少しずつ思うようになった。 生粋のネガティブ気質で落ち込むことが多かったわたしも、結婚して有り難いことに愛情の塊が隣にいてくれるようになったおかげで、すごく気持ちが安定した(この話もいつか書きたい)。 感情の波が落ち着くと、不思議と人に会うパワーも湧いてくる。 さらにひょんなことに、ちょっとばかしゆったりする時間も

          コミュニティはわたしを強くする

          わたしは結構、直感に動かされる方だ。 さらに言えば、特にコミュニティにはその直感がよく働くらしく、直感的に「なんかいいかも」と思って参加したコミュニティには度々人生を彩ってもらってきた。 まさに、POOLOもその直感が働いたコミュニティだった。 POOLOに惹かれたときの直感を今になって言語化すると、大きく2つ。 ・深く繋がっていられる友人が欲しい →コロナ禍×社会人という環境で新たな”友達”と出会う機会が減った(なくなったと言っても過言ではない)。生活が落ち着いたタイミ

          コミュニティはわたしを強くする

          あなたに伝えたい、”2度目”のおめでとう。

          高校3年生の時、英語スピーチコンテストに出て「異文化」の話をした。 異文化と聞くと他国の話だと捉えられがちだが、私が取り上げたのは日本人で、同い年で、同じ部活でクラスだった、仲良しの女の子だ。 彼女と私、その最たる違いは宗教だった。 私は特に宗教を信じていない。 恥ずかしながらお寺と神社の違いを深く認識せず、なんとなくお参りに行っている。 まあ、多分仏教なんだろうな。ぐらい。 彼女が信仰していたのは、キリスト教。とりわけ傍から見ると制約が多い宗教だった。 誕生日、クリス

          あなたに伝えたい、”2度目”のおめでとう。

          臆病がゆえに、

          写真を撮ることが好きだ。 とは言っても、一眼レフカメラとかミラーレスカメラとか、そういう本格的なカメラは持っていない。 いつも持ち歩いているスマートフォンで、何気ない日常を切り取るのが好きなのだ。 ただただありふれたその一瞬は、当たり前のようで、もう二度と見られない光景。 いくら同じ条件が揃おうと、全く同じ光景になることはなくて。 わたしはその何気ない瞬間が、どうしようもないほど愛おしい。 だからその一瞬を残しておこうと、急いでもがいた上に撮る行為が"写真"。 言ってしまえ

          臆病がゆえに、

          み空行く雲も使と人は言へど家づと遣らむたづき知らずも

          昨日見た空が、とても綺麗だった。思わずカメラを構えてしまうほどには。 春が近づいて、青空の濃さが増した気がする。 朝はまだ色素の薄い、どこか眠そうな空の色が昼になるにつれて青さを重ね、正午には鮮やかで発色のいい水色へと変化する。 日差しを遮るように窓にはブラインドが掛かっている。席が埋まったオフィスは出勤した瞬間から暑さを感じるには十分なほどに空気がこもっていた。 たまたま席が隣り合わせた友達と2人、気分転換も兼ねオフィスから逃げるように外に出た。 「オフィスめっちゃ暑

          み空行く雲も使と人は言へど家づと遣らむたづき知らずも

          ボタンを掛けていくように

          「誰かに優しくする」ということは当たり前のことようで、結構難しい。 「違いを受け入れる」ということもまた然り。 --- 現在、いくつかの場所で子どもたちと触れ合う機会を頂いている中で、週1回・2時間ほど、子どもたちが出入り自由で遊べる場所の運営に携わらせてもらっている。 とはいえ、学生スタッフがわたしだけということもあり、専ら遊び担当。有り難いことにいつも引っ張りだこだ。毎度「過去一モテてる」と思わせてくれるほど。 来ているのは99%小学生で、オープンしてから1年半以上経

          ボタンを掛けていくように

          多分わたしは、noteが書けない人

          一定のブームは過ぎていそうだけど、それでもここ最近noteを始める人が多い気がする。 知人友人がFB等でシェアする記事をちょくちょく覗きつつ、わたしがいつも思うのは「すごい」の一言だ。 その「すごい」には2つの意味が含まれている、と思う。 ①自分の気持ちを言語化できることに対しての感嘆 ②なんでわざわざシェアするのだろうという疑問 わたしは気持ちのシェアがすごく苦手な人。言葉を省略しがちだから、見切り発車で話し始めて終着点を見失うことが多々…。 だからとりあえずの形でも

          多分わたしは、noteが書けない人