彼の「故郷」は、写真の中で輝いていた。
先日、語学学校の授業の中で「あなたのHeimatstadtについて書いて説明しましょう」というものがあった。
” Heimatstadt ”というのはいわゆる「 故郷」のこと。
自分の故郷がどこか、そして魅力についてドイツ語で書いたあと、ペアになってその文章読みつつ、故郷の写真を見せるというものだった。
「あまり話さない人の話を聞くように」と先生に言われて、私は先日別の記事で書いたウクライナ出身の彼と話することになった。まだ20歳に届くかどうかの年齢で、まだ少しあどけなさも感じる彼は、微笑みながら自分の故郷について話を始めた。
彼が自分の” Heimatstadt ”として私に話してくれたのは「 キーウ 」だった。
キーウには古い建物も新しい建物があり、教会や美術館などがあって、自然にも溢れている街だとドイツ語で話してくれた。
ほとんどは先生が書いた例文の引用だったのだけれど、その文章を読み上げたあと、彼は自分のスマートフォンで私にキーウの写真を見せてくれた。
それは美しい夜景だった。
よくよく見るとそれはマジックアワーの時間にとられた写真のようで、夜空と街の境目にすっとオレンジ色のボーダーが入っている。そこに縦にすらっと伸びたポールのような塔が立っていて、その上に金色の女神の像があった。その像の周りは広々としていて、広場のように見えた。
奥には直線的で白い建物が並んでいる。
意図的に揃えられたと思われる高さの揃った建物は、少し無機質だ。でも白熱灯のような黄色の街灯に照らされて、温かく優しい雰囲気があった。
マジックアワー独特の青とオレンジ、そして金の像と黄色い街灯。綺麗だけどどこか優しさも感じる。
その写真を見て無意識に口に出たのは「 Sehr schön」だった。
本当にその一言に尽きる、美しい写真だった。
彼はとても嬉しそうに微笑んで「 Danke 」と言った。
彼は授業中、少し無表情というか、どちらかというとムスッとしていることが多い。それもあって、故郷を褒められて喜ぶ彼の笑顔がとても輝いて見えた。
彼のプレゼンテーションのあと、私も故郷のことを話して席に戻った。
「 ドイツ語で場所の説明する 」というタスクを無事に完了させられたことにホッとしたあと、あることに気づいた。
日本でも知られているように、彼の故郷であるキーウは、今も続く戦争で爆撃を受けたはずだ。
つまり私に見せてくれたあの美しい景色は、おそらく今のものではないのだ。
仮に見せてもらった場所が爆撃を免れていたとしても、写真のように街灯が煌々と街を照らすような景色が残っているとはとても思えなかった。
それに気づいた途端、どんどん心がざわざわしていく。
見せてもらった景色を純粋な気持ちから「 とても美しい 」と褒めてしまったけれど、それだけで良かったのだろうか。
たいしてドイツ語が話せないとしても、もっと何か言ったほうが良かっただろうか。
すべてが終わったあと、自分の反応が彼の悲しみを誘ってしまってはいないだろうかと不安になってしまった。
不安で溺れそうになった私は、そっと席に着いた彼を見た。
彼は机の端に額を預けてうつむき、じっと床に視線を落としている。
何を思っていたのかはわからない。
けれどうつむいているのに眼差しはしっかりとしていて、何かを考えているように見えた。
その彼の姿に、胸がぎゅっとなった。
後で調べてわかったことだけれど、彼が私に見せてくれた写真の場所は、キーウにある「 独立広場 」というところだった。
金色の女神像は独立記念碑の塔の上に置かれているもので、「 ベレヒニア 」というスラヴの女神が「 西洋肝木 」という木の枝を掲げているという。
セイヨウカンボクは民族の象徴として重要視される植物で、ウクライナの人々が大切にする植物だと書いてあった。
詳しい写真は出てこなかったけれど、
独立広場はやはり爆撃を受けてしまったようだった。
彼の見せてくれた写真の中の独立広場はとても美しくて、誰もが称賛するであろう景色だった。しかしその景色は今は見ることができない。
彼はどんな気持ちで私に故郷を紹介してくれたのだろう。
勉強のためとはいえその写真を選んで紹介する彼は、どんな気持ちだったのだろう。
ドイツに来てつくづく思うのだが、ヨーロッパの人たちは郷土愛が強い人が多い。
自分の故郷を褒められたら素直に嬉しそうにするし、誇りに思っている人が多いのだなと感じていた。
もちろんそうでない人もいるのだろうけれど、故郷を愛する人の割合の高さは、日本の比ではない気がする。
ウクライナも東ヨーロッパということを考えると、少なくとも日本人よりは郷土への思いが強いと思うし、国を追われているのならば余計に色々と思うこともあるだろう。
授業の課題とはいえ、色々な気持ちを持って私に故郷を紹介してくれたと思うのだ。
すべてのやりとりが終わった後になって、
私は、泣きそうになってしまった。
勝手に推察して感傷に浸って泣きそうになるなんて、随分と自分勝手な話だ。
でも正直なところ、いくら決められた教材を使う必要があるとはいえ、もう少し課題テーマに配慮があってもよいのでは……と思うのだけれど、こういう悲しみの最中にある国は、彼の国だけではないのも事実だ。
一つひとつの国に配慮していたら授業が進まないし、ここはあくまでも語学を学ぶ場所なのだ。
残酷だけど、平等でもあるのだろうと思った。
この国に来て、戦争で国を追われてしまった人と話す機会があった。
ウクライナ人はまだ彼だけだけれど、シリア人などは私の住む街にもたくさんいる。
私が話した何人かは総じてとてもフレンドリーで明るい。ドイツ語もちゃんと覚えていて、少し話す合間にちょっとしたドイツ語を教えてくれたりもする。
つらい過去なんて感じさせないくらいの雰囲気なのだが、そんな彼らの一人で夫の同僚である人がある日ぽろっとこう言ったらしい。
「 明るくしてないと、やってられないんだ 」と。
彼らは10年以上異国の地でたくましく生きている。
街で見る姿は楽しそうだし、それなりに生活も充実しているように見えるけれど、故郷や母国が傷ついたり、家族と離れ離れになってしまったという悲しみは、そう簡単には癒やされないのだろう。
最近日本では、終戦記念日の前後に平和や戦争が起きないことを願うようなことを発言するだけで「 思想が強い 」と思われ、避けられることがあるという話がSNSで流れてきた。
今の私から見ると、どうしても平和ボケしているようにしか見えない。
自分の普段の生活と戦争や紛争の間にかなりの距離があって、ピンとこないのもわかる。私もその一人だ。
実際に思想の偏った人もいて判断しにくいし、色々考えるのが面倒だから全部排除するという気持ちも分からなくはない。
物価も高騰しながら、増税などでどんどん生活が苦しくなっていくなか、どんな国の戦争にも心を痛めて何かしろとも言わない。
ただ、自分の故郷と呼べる場所や、生活と人生の基盤になっている国にどういう歴史があって、今世界の中ではどういう立場でいるかを知る必要は絶対にある。
想像しづらいかもしれないが、ある日突然今の生活がすべて失われるという未来もまったくのゼロではないのだ。
実際、故郷を追われている彼らも、自分の国や故郷があんなことになるなんて思いもしなかったに違いない。
こういう気付きがあるたびに、自分の不勉強さを感じている。
こういう話はたくさんの人が幾度となく書いたり話したりしていて、それを受け取っていたはずなのに、そういう人たちが伝えようとした危機感や緊張感は、うまく受け取れていなかったように思う。
どれだけ想像力を持ってそれに向き合ったとしても、まったく経験したことのないものは、うまく受け取れないものだ。
そして私の書いたものも、ほかの人にとっては、そういうもののひとつでしかない。
そして戦争に巻き込まれた彼らからしたら、私が自分の肌で感じとった感覚すら、彼らの抱える悲しみや苦しみのほんの一部でしかないのだろう。
100%理解することはできないだろうし、むやみに心に寄り添うことではなくむしろ普通に接することが求められている可能性もある。
でも、そういう人たちがいるということを知り、自分が感じ取っている以上の感情がそこに秘められている可能性があること。それを理解しておくことが大切なのだろうと思った。