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自殺未遂した日のこと

こんにちはにょです。これを見てるタイミングは人それぞれでしょう。こんばんはの人もいればおはようございますの人もいます。でもとにかく見てくださってありがとうございます。今回は私が自殺未遂した日のことについて語ろうと思います。

決して明るい内容じゃないし、辛い内容なので嫌な方は見ないことをおすすめします。

私は自殺未遂をしようとしたことが1回あります。本当に自分から死のうと思って行動に移したことです。

その日の前からずっと気になっていたことがありました。母が私が精神疾患になった理由が母のせいだと言うことでした。私は意味がわからなくて、母に問いつめました。すると母は泣きながら話してくれました。精神疾患のほとんどが遺伝であるということ。母が強い精神疾患の遺伝子を持っているということ。私は呆気にとられて何も言えずただ泣いていました。

それから辛いことがある度になんで私を産んだのかと母を憎く思うようになってしまいました。でもそんなの間違っていることなんて私は知っていました。だって、母は自分が精神疾患の遺伝子を持ってることも精神疾患が遺伝でおこるものとも知らなかった。それにこの10何年間私を大切に大切に育ててくれました。やりたいことはとことんやらせてくれたし、遊びたい時はとことん遊ばせてくれたし、ズル休みも許してくれました。

私はそこで思ってしまったんです

こんなに愛情を持ってくれた母を憎いと思ってしまう自分が憎い

そう思ってから死にたい親不孝だ最低の人間だって思うようになってしまいました。

そしてある日突然。とても天気のいい日に遺書を書いている自分がいました。内容は割愛しますが、最終的には私の存在を初めからなかったかのようにしてくれと言った内容でした。それが今の自分の一番の思ってることなんだと気づいてじゃあ死のうと思いました。

何がいちばん怖かったかというと、なにも躊躇いがなくどこでどのよう死ぬか一瞬で決めてすぐに実行に移していたからです。そして怖いと思いませんでした。むしろワクワクしているよう高揚感に包まれていました。こんな天気のいい日にしねて幸せだなとまで思ってしまいました。

橋から川に飛び降りようとしていたので、橋の柵を超えてあとは後ろに倒れるだけって時にたくさんの人がやってきました。どうしたのとか危ないよとか暖かい言葉を沢山かけてもらいました。今まで冷たい言葉をかけられてきたのはこの日に暖かい言葉をかけてもらうためだったんじゃないかと思いました。

1人のヘルプマークをつけた女性が話しかけてくれました。きっと警察が来るまでの時間稼ぎだったのでしょう。でも私はその人を見て死ねないなと思ってしまいました。多分ですがその女性の方も精神疾患だと思い、もし私が目の前で死んでしまったら罪悪感でその女性の笑顔を崩してしまうのではないかと思ったからです。

そして話しているうちに警察が来てようやく涙が出てきました。気づいたら道路で死なせてくださいと叫びながら土下座してました。これが本音でした。土下座するほど心は死にたがっていました。

パトカーの中で色んなことを警官と話しました。いじめられたこと。精神疾患のこと。母を憎く思ってしまう自分が憎いこと。増えてく薬に嫌気がさすこと。考えてもないのにペラペラと口から出てきました。

それから刑事さんとはなして泣いて母と話して泣いて父と話して泣いて遺書読んで泣いて分かりませんでした

私はこの体験で命を捨てれば必ず誰かが悲しむと知りました。

みなさんも無駄に命は捨てないでくださいね。捨てる時は覚悟があるのかしっかり確認してください。

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