配慮と同情
こんにちはにょです。
久しぶりです未熟者です。
今回は、精神疾患になって思ったことを書いていきますね。
知ってるわんなもん。って思っていることも出てくると思いますが、最後まで付き合ってくれると嬉しいです。
あとさいきんいいねの数が減ってととととととととととととっても寂しいのでいいねは強制です。
では、書いていきます。
精神疾患になった人と\話す機会があったら配慮が大事だと思うんです。例えば相手がパニック障害の場合人が多い場所は避けて遊びに行くだとか、双極性障害の場合は鬱状態の時に無理して遊びに誘わないとか、広場恐怖症の人に対して、広い部屋の中に入れないとか。
相手の症状にあった配慮が大事なんですよ。そうしてくれることによって、私たちは生きていける。
そういった優しい配慮を私は心がけています。それは、自分がされる立場になったからです。だから街で倒れてる自転車で困っている人がいたら助けますし、迷子の子供がいたら一緒に親を探します。(迷子の子供って頭痛が痛いみたいになってますよね。すみません。語彙がないもんで)
ですが、同情は違うと思うんです。その中で一番嫌いな言葉が「可哀想だね」です。
相談してる時に辛いねとかだったら、分かるんです。
でも、可哀想だねってちょっと違くないですか?
精神疾患者も楽しくやっています。遊ぶことだってできるし、映画を見ることだってできるし、笑うことだってできます。もちろん泣くことも同じです。辛い時以外は。
それをさも何も出来ないかのように可哀想だねって言われるのは正直腹が立ちます。確かに症状が酷い時は布団から起き上がることも困難です。でも生きていて何も可哀想なんかじゃありません。
私は私たちのことを可哀想だとは思いません。
皆さんが変な同情に惑わされませんように
今日も読んでくれてありがとうございました。
にょでした。