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5人のA.B.C-Zを見納めてきた感想

12月19日、5人のA.B.C-Zを見納めてきた。
でも実際のところ、見納めてきたという実感があまりない。

私的千秋楽は思い切り気持ちを解放し、彼らのパフォーマンスを全身で味わい、すべてを出し切って終わろうと思っていた。
我慢せずに泣いて泣いて泣いて、でも笑って、そんな感じで終わろうと思っていた。
しかし、あまりにステージに近い席を引き当ててしまったことで、予想とはちょっと違った結果になった。

1階3列目の、ど真ん中。

いくらなんでも近すぎる。
私が座った席は、ちょうど0番の位置。
メンバーが横1列に並ぶと、目の前に橋本くんが来る位置だった。
入口で自名義のQRコードをかざし、チケットが発券され、席番を見たときはもちろん大喜びした。
最後の最後に、目の前で5人のA.B.C-Zを観られるなんて。
昨年の公演では自名義が落選し、「主演の名義で外れるってどういうこと!?しかも全部平日で申し込んでるのに!?!?!?!?」と怒り狂っていたが、今年のために運を取っておいてくれたんだな~とポジティブ解釈で昇華することができた。

観劇前は、1幕からボロボロ泣いている自分を想像していたが、そうはならなかった。
ステージとあまりにも距離が近く、色々なものが見える、聞こえる。
演者の表情や振りの細かい癖がはっきりと見える、踊り出す時の靴音が聞こえる。

正直、「A.B.C-Zの河合くんは今日で見納めなんだ…」と感傷に浸っている暇などなかった。
この距離だからこそ感じられるものを、自分の中に刻み込みたかった。
特に1幕は、事務所の先輩後輩の曲を中心に構成されている。
彼らを応援してきたこれまでの年月が走馬灯のように駆け巡り、センチメンタルな気持ちになり、1曲1曲泣いてしまう…という状況にはならず、「この曲の振りをこの距離で見れるの!?やったぜ!!!!!」と、終始ワクワクが勝っていた。

演者と近い距離の席に座るのは、今回が初めてではない。
でもやはり望んで座れる席ではないので、運良く引き当てた時は、自分の思考や感情を味わうより先に「この景色を全身で記憶して帰るんだ(使命感)」というスイッチが入ってしまう。
それは、メンバーの卒業公演という、普段の現場にはない要素が入っていても同じなんだな~ということを知った。


メンバーが客席に向けて視線を落とした時、その視界に入る位置に自分がいるというのも、普段なら嬉しいはずの状況だが、今回ばかりはほんの少し複雑だった。
先述の通り、基本的には至近距離でステージを観れることへのワクワクが勝っていたが、それでもやはり2幕に入ると涙を堪えられない場面が出てきた。

こちら側から演者の表情がはっきり見える距離ならば、逆にステージ側からもはっきりと見える(相手が自分を認識しているか否かは関係なく、物理的な距離の話)。
1階席前方を見渡すメンバーの視線が、自分の席を通過していくのがわかる。
彼らも色々な感情を抱えている(抱えてきた)はずだけど、ステージ上では笑顔でいる、楽しませようとしてくれている。
それに応えたくて、敬意を表したくて、どんなに泣いていようとも、客席の照明が明転すると、グッと堪えて笑顔を作る(それでも泣いてるけど)。

自分の個人的な感情を味わうのは、帰宅してからいくらでもできる。
今は、目の前にいる彼らにできる限りのエールを送りたい、という気持ちが1番大きかった。
そんなこんなで、「我慢せず思い切り感情を解放し、泣きたいだけ泣く」という目標は叶わなかった。


とはいえ、そんな状況でも涙が溢れてボロボロに泣いてしまった場面がいくつかあった。

2幕の『終電を超えて 〜Christmas Night』で、河合くんが目の前に立った。
ステージの上を心から楽しんでいる笑顔を目の当たりにし、10年前、彼のファンになった時のことを思い出した。

A.B.C-Zを好きになって最初の担当は、河合くんだった。
舞台でのパフォーマンスを生で見て惚れ込んだのをきっかけに、彼らの作品を観るようになり、惰性で録画していたザ少年倶楽部も血眼になって何度も観た。
特に、河合くんの笑顔に惹かれた。
パフォーマンス用の作り笑顔ではない、心から歌やダンスが好きだということがわかる表情をしている彼に、感動を覚えた。

当時の彼の笑顔と、今目の前にいる彼の笑顔が重なり、自分自身の心が動いた瞬間を思い出し、涙が止まらなくなってしまった。
あなたのその笑顔が見たくて、夢中で追いかけてきたんだよ。
たくさんの素敵な世界に出会うことができたんだよ。


河合くん卒業という一大イベントを背負っての公演ということもあり、2幕ラストの挨拶は、いつもとは異なる雰囲気だった。
淡々と挨拶をするタイプのメンバーが胸の内を話してくれたり、かといってしんみりしすぎないようクスっと笑える言い回しでバランスを取ってくれたり、ファンが気持ちを解放できるよう寄り添う言葉をかけてくれたり。

でも、私的千秋楽の最後の挨拶は「通常運転のえび」だった。
まず、トップバッターの橋本くんが、開口一番Jr.とのエピソードを話し出した。
既に2回ほど観劇していたのだが、その時は綺麗にスッキリとまとまった流れで語りかけていて、いつもより感情をコントロールして話してるな、という印象を持っていた。
でも今回は「いつものはしちゃんの挨拶」で、思わず笑ってしまった。
みんなに話したい!という気持ちがストレートに伝わってくる喋り方、頑張って頑張って言葉を紡いで、オリジナルな日本語で一生懸命伝えようとしてくれるその感じ。
続く塚田くんも、初っ端からいきなり塚田節が炸裂し、会場に大爆笑が起こった。
間髪入れずに「今それ話す!?」という河合くんのツッコミと、隣でケラケラ笑う五関くんと、ステージの端で呆れている戸塚くん。

私の知っている、いつものえびの現場だった。えびでしかなかった。
悲しさや寂しさは一瞬どこかに吹っ飛び、心から大笑いしていた。
もうあと2日で、5人のA.B.C-Zは終わる。
そんな状況なのに、いつも通りのえびがそこにいて、私自身もいつも通り笑っている。
そのことに気がついたとき、また涙が溢れてきた。
笑いながら泣いた。
楽しい、心から楽しい、と思えたことが、嬉しかった。
当たり前に5人がいて、ここから1人いなくなるなんて考えられなかった。


メンバーの挨拶が終わり、最後の1曲『また出会える日まで』。
ドストレートすぎる曲に当然平静を装えるわけもなく、泣いていた。

観劇前に、私的千秋楽のラストは、ペンライトを紫に点灯させようと決めていた。
今日を最後に、紫の光を掲げる機会はなくなる。
最後は、河合くんへ感謝の気持ちを届けたかった。
しかし、いざその時を迎え、ペンライトを紫に変えようとすると、なんとも言葉にし難い違和感があった。
この感情は何だろう。
紫でないなら、自担の青か…?いや違う。
困惑しながらボタンを押し、全色が順番に点灯するモードにした。

赤、青、黄、ピンク、紫、白

一定の速度で、ピカピカと色が変わる。

はしちゃん、五関くん、塚ちゃん、とっつー、郁人くん、えび担

これだ、しっくりきた。
私は、A.B.C-Zというグループが、5人が、好きなんだ。
A.B.C-Zとえび担の作り出す世界が、空間が、好きなんだ。
最初からずっとそうだった。

アイドルのファンになる時って、メンバーの誰かを好きになり、そこからグループも好きになる、というのがスタンダードな順番だと思う。
でも、私がA.B.C-Zのファンになった時は、そうではなかった。
パフォーマンスをきっかけに、まずグループ丸ごと好きになった。

「はじめましての人も、久しぶりの人も、こんにちは!」
「ペンライト持ってない人は、心のペンライトで照らしてね!」
「僕も君に救われたんだよ!」
初めて彼らのコンサートに行った時、常に誰1人として置いていかない姿勢、最上階の最後列の席にいる人まで熱狂と感動を届けられるステージングスキル、パフォーマンススキルに衝撃を受けた。
そして、5人の思いを受け取り、理解し、行動に移す、優しくしなやかで大人の強さを持ったえび担にも。

A.B.C-Zとえび担が作り出す温かい世界は、自分自身の居場所となり、何度も何度も救われてきた。
10年もの間その世界に身を置くことができた幸せと、自分の居場所が大きく変化する分岐点にいる寂しさを噛みしめて、さめざめと泣いた。


多分、完全に受け入れられてはいない。
そんな短期間で受け入れられない。
未だに、実感があるようなないような。
でも、ネガティブとポジティブを行ったり来たりしながら、少しずつ受けて入れている自分がいる。
というか、どんなに時間がかかっても受け入れざるを得ない。
これからも彼らを応援したいから、時間がかかっても受け入れるしかない。

物語は次の章へ、4人のA.B.C-Zと、河合郁人のストーリーが続いていく。
近づいたり離れたり、進んだり立ち止まったりしながら、これからも5人を追いかけ続けます。

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