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日本人は「母親像・子供像」に支配されている?ユング心理学と「推し活」「アイドル」文化 - 投影同一化とコンステレートの仕組み
ユング派心理分析による推し活・アイドル分析
ユング心理学においては科学や技術・産業社会システムの発展により人間の生活は一様かつ合理的機能のみが過多となり、感覚や直感・身体の心の繋がりが疎かになっていると考える。マインドフルネスでも重視されている考えだが、ユング派心理学ではこのような非合理的な感情や身体の感覚をも意識化され表現されることが人間をよりバランスのとれた存在にし人生を豊かにすると考える。
「ユング心理学入門」の著者は例えばオタクが推しを語ったり、引きこもりが「ポケモンGO」などがきっかけで外出することなども「感情や身体感覚の表現」「SNSなどを通して横の連帯が広がる」として賞賛している。一方で推しに心酔するあまり自己批判できなくなる・推し活が人生の中核となってしまい思考や現実生活を麻痺させる可能性についても警鐘している。
投影同一化とコンステレート
このような「推し活」文化とはユング派心理分析の用語を使うと、自分自身の思考・感情を相手に一方的に投げ入れるという「投影同一化」、無意味に配置されているものに意味を見出すという「コンステレート」によって成り立っている。推しが自分に都合の良い存在として振る舞ううちは良いのだが、相手が自分の思考・感情に反する行動や言動をとると「裏切った」「許せない」などと愛情や好意が憎しみに転化する可能性もある。
コンステレートされる出来事とは、主にその人にとって取り組むべき課題であることが多い。例えば母親に関する課題を持つ人は自身の母親のような見た目・人格の推しを、子供に関する課題を持つ人は子供っぽいアイドルやキャラクターを自然と推すことになる。
父親像を尊ぶ西洋、母親・子供像を尊ぶ日本
西洋と日本では、コンステレートされる元型のタイプが大きく異なっていると「ユング心理学入門」の著者は分析している。
西洋のアメコミ・バンドデシネでは男性も女性も筋肉隆々のワンマンヒーローとして描かれ、肉体的な屈強さが強調される。これは父親やアニムスの元型に相当する。そのようなヒーローに憧れる子供は、やがてピーター・パーカーが自覚したような「大いなる責任」に意識的なレベルで自負を抱くよう育つ。西洋においては女々しさ・未熟さは大人に好ましくないものとして(良くも悪くも)抑圧されている代わり、アニムスの原型という人格形成を尊ぶ傾向があると言える。
一方日本の漫画やアニメでは主人公は大抵未成年であり、筋肉隆々のポパイのようなキャラクターは珍しい。そのうえ「丸っこくて幼い」=かわいいキャラクターがウケる傾向がある。ユング派心理分析家の河合隼雄は、こうした日本の美的感覚を「母親元型・子供元型が優位でコンステレートされやすい」と分析している。
例えば「新世紀エヴァンゲリオン」の挿入歌である「魂のルフラン」は「私に還りなさい、記憶をたどり…優しさと夢の源へ… 」と乳児を産む母親の目線で歌詞が綴られている。この曲を聴いていると「ああ、そんなガキだったころに還れたらなあ〜」と恍惚状態になれるのだが、一方思考を巡らせて歌詞を分析すると「お前はずっとガキのままでいいんだよ」と子供を支配し続ける母親の恐ろしさも含まれていることがわかる。
良くも悪くも、このような母親・子供目線のコンステレートやかわいさ・未熟さを尊ぶ心性がポピュラー文化である漫画やアニメ、アイドルやゲームといったかわいさを基軸とする文化を後押ししていると考えることができる。
「かわいい=未熟」なアイドルと個性化の過程
旧ジャニーズを推す女性たちも同様に「ユング心理学入門」は分析するのだが、彼女らがアイドルに贈る賛辞は「かわいい」が大部分を占めている。同じ男性アイドル市場でも、韓国や西洋の男性が歌って踊るミュージックビデオは「かっこよさ・スタイリッシュさ」が訴求される傾向があるらしい(正直私は全然知らないが、多分そうなのだろう)。
「ユング心理学入門」の著者はこの点にやや否定的であり、「アーティストとは世の中に表現したいこと・伝えたいことを持つ人々でなくてはならない。芸能プロダクションによって売り出されている未熟なアイドルはアーティストではない」と記述している。個人が自己実現をする「個性化の過程」を重視するユング派心理学においては「かわいさ」だけを押し出すことよりもアイドル自身の個性やメッセージが楽曲や演技で表現されることこそが目標であるべきということだろう。