人のカタチ・心のカタチ #01 フロイトの無意識・性発達の理論
「人の心はどんな形・構造をしているのか?」という事に純粋に興味を持ち始めたので、再び心理学や脳科学、あるいはオカルトに(笑)ハマってます。今回は元祖・無意識の学者であるジークムンド・フロイトについて学んでみました。
フロイトの生い立ちとヒステリー症
少年時代のフロイトは1860年、当時ハプスブルク朝オーストリア帝国の都市・ウィーンに定住していた。オーストリアはさまざまな問題を抱えており、貧困・人種差別(特にユダヤ人に対し)、売春と性病が蔓延していた。
成人したフロイトは医者を目指し、特に社会改善を目指す社会民主主義(思想の系譜的にはマルクス主義の流れを汲む)と生体組織・神経学の研究に惹かれた。
フロイトはコカインを局所麻酔に使った手術を同僚とともに行ったことでも著名。1885年、フロイトは実の父親の目の手術にコカインを局所麻酔として使い、成功した。しかし、1886年以降コカイン中毒の症状が報告され始め、コカが医療用麻酔として使われることはなくなった。
フロイトはパリに留学し、ヒステリー症の治療で知られるジャン・マルタン・シャルコーの元で学んだ。“ヒステリー“はギリシャ語のヒステラが元となっており、当時は女性に特有の子宮の炎症による神経症と考えられていた。
シャルコー、フロイトはヒステリー症の原因は子宮の炎症ではなく、脳神経系の観念の作用によるものと考えた。また、催眠術で暗示を行うと男性・女性に関わらずヒステリー症に似た症状が発生し、症状を緩和できるケースがあることを発見した。
1880年以降、フロイトはヒステリー症の女性・アンナを治療したことがきっかけで談話療法を考案。患者の幻覚・幻聴をヒアリングし、その内容を深掘りするというもの。談話療法は幻覚の元となっている不快な出来事(トラウマ)の記憶を想起させ、症状を克服するというカタルシス療法に発展した。
フロイトは研究内容を「ヒステリー研究」という著書として発表した。
内容はヒステリー患者の病原は子宮の炎症ではなくトラウマとなった記憶であり、これは心的要因が物理的要因に影響を与えるという機械論から逸脱した説となっている。
トラウマとなる記憶が生じる理由として、フロイトは無意識・抑圧機構・除反応という概念を提唱した。不快な体験はトラウマとなり記憶に残り続けるが、普段は正常な意識を保つために無意識の領域に押し込められている。これが動物が本能的にもつ抑圧機構である。この記憶は正常な形文法の整った言葉や直観的な情動の表現では表出されず、ヒステリー症のような「症状」となる。
トラウマ記憶による症状は、それに起因する抑圧されていた情動を解放することで改善する。これが除反応である。ヒステリー症の治療が難しいのは、このトラウマ記憶の原因と個々の症状が多重に構成されているためである。
診察を繰り返しているうちに、フロイトは患者のトラウマに共通点を見出した。トラウマとなる記憶は、特に両親や大人たちから受けた性的虐待であるケースが多い。このような記憶は、思春期を終えた後にヒステリー症状となる。
小児願望と夢判断
フロイトは患者のトラウマとなった記憶を探るため、催眠や前頭圧迫法をやめ自由連想法を採用した。また、父の死とアイデンティティー危機に向き合うため、「夢判断」という著作を執筆し始めた。
フロイトが見た夢の一例として、「年配の盲目の紳士が変装を試みている自分に近づいて尿瓶を渡し、ズボンから男根を露出する」というものがある。この夢は、フロイトの父が死去した頃に見たという。この夢は尿意を感じて目覚めるという脳の生理学的な機能と、幼少期に夜尿病であったとき両親から受けた侮蔑の言葉(「この子はロクな子にならんぞ」)によるトラウマによるものとフロイトは分析している。
紳士はフロイトの父親の象徴であり、彼が盲目であるのはかつて父の目を手術したという優越感、彼が尿瓶を渡す側なのは子供の時に受けた辱めを父親にも味合わせたいという敵対感情を表している。トラウマが重層的なのと同様、夢の内容にも生理的な機能や感情・記憶が複雑に作用する。
フロイトは夢には小児願望が顕著に現れると考えた。小児願望とは、フロイトによると父に対する死の願望・母に対する性の願望である。人間の文化はこの小児願望を適切に方向づけるための活動であり、クロノスによる父ウラノスの去勢は父の象徴的な死を実現する物語、一方モーセの十戒は父を憎しむ子供を抑制する物語であると解釈することができる。
エディプス・コンプレックス
小児願望を助実に表している文学としては、エディプスの物語が知られている。
エディプスの物語に魅了される人が多いのは、幼児期に誰もが描いた願望が表現されているからである。この近親相姦と愛憎の空想は、エディプス・コンプレックスと呼ばれている。
フロイトはこうした小児願望は夢の中では象徴を使った潜在概念として現れると考えた。剣・銃・傘・蛇といった突き刺す形状の物体は男根・男性性を象徴し、箱・財布、洞窟など容器の形状の物体は子宮・女性性を象徴する。神経の症状が複雑なのは、このような無意識下の置換によるものである。
前意識と無意識
人間のあらゆる思考は、この前意識・無意識が葛藤・妥協することで成り立っている。科学技術や文化はこの前意識の産物であり、その目的はリピドーの充足を最大化するか、全く異なる方向へ向かわせ昇華させることで充足することであると言うのがフロイトの文明論である。
性的行為とリピドー
フロイトは精神病的な性的倒錯が生じる理由を考察した。
人間の無意識は複雑に条件づけられており、そのため無意識の充足と生殖という生物学的な目標は必ずしも一致しないことがある。
人間の性的行為そのものは生殖には直接関係しない部分本能が複雑に重なり合うことで成立する。病的な性的倒錯は、これらの部分本能が自己目的化することで生じる。覗きや露出狂は視覚的な部分本能を、コルセットや下着・革靴を収集するフェティスズムの倒錯者は収集物に性的行為を投影することで部分本能を満たしている。
心理・性の発達段階
フロイトは無意識論の基礎をもとに、新生児の無意識の充足=リピドーがどのように発達するかを考察した。新生児のリピドーは組織化されておらず、身体のあらゆる部分から刺激・快楽を受け取る。この状態のリピドーを「多型的倒錯」と呼ぶ。成人の人間はこれらの多型的倒錯を社会環境に合わせ方向づけることで人間的社会的な性的満足を得、健全な性生活を送れるようになる。これらの学習プロセスに逸脱があるとリピドーは部分的本能に固着する性的倒錯となる。
旧約聖書の創造神話は、知恵の実を食べた結果楽園を追放されるという食欲の充足と制御・母親からの乳離れを描いた物語であると解釈できる。この時期のリピドーは、楽園回復・愛する対象との一体化という原初的な文化的願望と結びついている。
人間の排泄機能は、秩序・清潔・嫌悪という社会的機能とも結びついている。無からの創造・非難、技術の考案という文明神話はこうした欲求と強く結びついている。
ギリシャ神話のプロメテウスは最初の人間を泥から作った。泥は汚物であること、色が似ていることから糞を連想させる物質である。プロメテウスは人間に火を扱うことを教えるが、神々により罰せられ岩に鎖で繋がれ鷲に腸を啄まれる。この時期のリピドーは汚物からの創造、新しい技術、サドマゾ的な破壊願望と内臓感覚に結びつけられると考えられる。
5~6歳になるまでは子供は漠然と男女ともに同じ性器が付いていて子供を産むことができると考えているが、そうでないと気づき始めるとエディプス・コンプレックス段階へ入る。小児のエディプス・コンプレックスは男児の場合父親的存在による去勢不安、女児の場合は両性と一体になりたいという男根願望を発達させる。これは男女両性に二面的性質があり、双方ともに男性的・女性的性格を持っているために生じる現象である。
健全な成人となる過程で子供は男女の結合という観念を受け入れ、両親に対する憎しみと愛着を克服する。
トーテミズムとエディプス神話
フロイトは原始社会に氏族の霊魂・祖先を象徴するトーテム、および族外婚の制度があることを性発達の視点から考察した。フロイトによると、社会に族外婚の制度があるのは生物学的な弱性交配を避けるためでなく、異なる家系間の関係を制度化し社会を維持するためである。こうした男女の性的交換が文化と異なる氏族同士の相互交流の基盤となる。
トーテミズムは、トーテムに描かれた動物を狩る・供儀するという儀式を伴っている。この儀式は一般に1年ごとに行われる。フロイトはトーテミズムの起源は氏族の男性同士の争いで、特に年長の男たちを殺し象徴として墓碑=トーテム、およびトーテムに描かれる動物を祖霊とした、というエディプス神話に近い構図があると主張している。このエディプス的な父親殺害・母親獲得と、父親殺害に基づく罪悪感が殺人・近親相姦を禁じる原始社会におけるトーテム規則の起源であると考えている。原初のエディプス的な歴史の記憶が、全ての文化・宗教・芸術の始まりである。
ナルキッソス神話と自己愛
ギリシャ神話には、自分自身に恋をしてしまう美少年が登場する。
青年は自分自身を自分のものにできないことに落胆し、池に映った自分の姿を見ながら衰弱していく。青年は水仙=ナルキッソスに姿を変える。
ナルキッソスのエピソードから、自己愛は“ナルシシズム“と呼ばれる。
鏡を見て顔を整える・衣服を整える等、健常な成人の生活には若干のナルシシズムが組み込まれている。自己愛が健常なナルシシズムから逸脱すると、幼児期のナルシシズムへの退行が発生する。フロイトは極度の抑うつや心気症・統合失調症はナルシシズムの縮小・肥大によって発生すると考えた。
トラウマの反復とタナトス
フロイトは人間の活動は快楽原則・現実原則によって成り立つと考えていたが、第一次世界大戦が終わるとシェルショック症候群のような不快な体験を反復するという症例が報告され始めた。トラウマの反復が無意識に繰り返される理由は、事後的にトラウマを克服しようとする無意識的な防衛機構であるとフロイトは考える。
フロイトはこの防衛機構を説明するため、リピドーに加えもう一つの無意識の本能を考案した。死・自己破壊を目指すタナトス(死の欲動)である。
死の欲動は、逆説的に死の脅威を克服して生命を長引かせ環境に適応するための本能である。外敵に対して攻撃し、障害が自分自身であるときは自身を攻撃する。
フロイトの結論
フロイトはタナトスはリピドーに勝る場合もあると考えるに至った。
神経活動の目標は外的な要因による緊張・恐怖や不安を減じるためである。
これを恒常原則と呼び、安定を求める保守的な傾向に結びついている。
恒常原則は、最終的には非生命的な無慣性状態を指向する。
これは本能的な退行現象であり、生命はあらゆるエネルギーを欠いた状態=死ぬことを目指している。全ての生命体の目標は、最終的には死に絶えることである。
フロイトの死の欲動論は若干これまでの患者の症例のような、具体的事例を挙げて解釈するプロセスに欠けている印象を受ける。症例や文化研究よりも、ナチズムの勃興、相次ぐ家族の死がフロイトの論考に大きな影響を与えたのだろう。
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