「ま、いっか!」のことばが、命をつなぐ。
「いま、指をにぎった?」(私)
「ま、いっか!」(娘)
(え⁈今、しゃべった? 娘? 確かに娘だ!!)(娘がしゃべった!)
娘が私の人差し指をわずかに握って、声を発したその日、一粒の涙が私のほほを伝った。
娘が20歳まで生きた時に、泣こうと決めていた。
なのに…。嬉しかった。とても嬉しかったんだ。
ちょうど1年前のある日、娘は倒れた。昨日までは、走っていた。話していた。一人でごはんも食べていた。トイレだって行けていたし、2歳でおむつが取れてから、おねしょだってしたことがない。
でも、今は……。
まばたきは、出来る。でもそれだけだ。
私の事も誰だかわからない。
全身の筋肉が急激に衰えてしまったようだ。首だって支えられない。便意・尿意そんなものも感じないようだ。表情もない。あ、そうか、表情だって筋肉がなければ・・・
後ろに魂の抜けてしまった、まるでろう人形のような4歳の娘をおぶり、生まれたばかりの弟を前に抱っこする。こうしてリビングの廊下を朝から晩まで行ったり来たり、もう何日こんなことをしているのだろうか、そして果たしていつまで続くのだろうか。
近頃、私は毎日本を買っている。子どもたちを前と後ろにおぶり、リビングの廊下を歩きながら届いた本を読むのが日課だ。今の私にとって絵本を読む時間は、なくてはならないものとなっている。まさに呼吸をする事と同じである。これがないと生きてはいけない。とさえ感じている。
「ピンポーン!」
「あっ着た‼」(私)
急いで玄関へ向かった
間違いなく、人生で一番「ピンポーン!」が嬉い日々。
今日届いた本は、
「まっいっか!」
主人公のテキトーさんがどんなハプニングでも笑顔で乗り越えてしまうユニークな本だ。テキトーさん口ぐせは、「まっ、いっか!」
それから、娘は「まっいっか」という言葉を発することができるようになり、一音一音、絞り出すように何度も何度も使った。まるで生まれたばかりのひな鳥を包み込むように大事につかった。私は、「まっいっか」という言葉には、今までプラスのイメージを持てないでいた。でも彼女が「まっいっか」と発すると、そこには、道ができる。
未来へ続く道。いのちをつなぐ道。
言葉が未来を運んでくるんだ。そう想った。
彼女の病気は難病らしく、原因はわからない。
再発も半年ごと、いつまで生きられるのか、わからないと告げられている。
彼女はそれがわかっているようだった。
「ま、いいか!」を、何度も何度も繰り返した。
その口調はふわりと柔らかく、だが同時に、凛とした力強さも内包していた。
「彼女はとにかく生きたいんだ!」わたしはそう思った。
今日も彼女は枕元の「ま、いっか」とともに眠りについた。
そう、彼女は生きている。
自分の足で立っている。
「ま、いっか!」から運ばれた未来。
築き上げた「奇跡の道」を彼女はしっかりと歩んでいる。
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今日のあなたのことばは、きっと、誰かを未来へと繋いでいます
5年前のある日のわたしより