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ネタは歩かなくともネタにあたる
友人に触発されて、できるだけ何かしらのnote記事を毎日投稿しようと思っていろいろと書いてみるのですが、なにせ活動名もアカウントも、たくさん持っているものですから、
「これは小説アカウントのほうが向く題材だな、こっちは別のアカウントで投稿したい、この内容はNyarlockとしてアップするのは合うのか?」
などと選別していると、このNyarlockのnoteネタが限られてしまうのです(単にその日ずっと寝るか食べるか読むか書くかしか、していないだけで特筆すべき”今日の出来事”が少ないだけなのですが)。
ネタってどうやって見つけ出していたっけ? と悩んでいるうちに「まずネタとして認識しているかどうかでは?」「そもそも”私は私”で、みな誰かと同じになる人なんていないのだから、生きているだけでネタだ」という考えにいたりました。
もちろん何かを読んだり、観たり、聴いたり、はたまた誰かと話したり、どこかへ出掛けたりすることでネタというのは転がっている。でもわざわざ歩かなくともネタにあたるのですね。自分がネタなので。そしてネタはネタを呼ぶ。
ネタ要員は自分。
自分のなかにはたくさんの題材、ネタが蓄積されている宝庫で、それを発掘しどう調理するのかは、己の力量しだいだと思います。
そしてその素材たちを活かせるようになるには、意識と修練あるのみだろうと痛感するこの頃……。こうして毎日のネタを意識的に探して、見つめるようにしていると、感覚も研ぎ澄まされてきますね。逆にそれを怠ってしまうと久しぶりにとりかかろうとすると鈍っていてなかなか上手くいかないことが多いです(これは創作に限らずだと感じますが)。
ここまで自分をネタに、感覚を研ぎ澄まそう、と言ってきましたが、安易に(私に許可なく)他人に自分をネタにされるのはちょっといやですね(苦笑)ネタにされたこともある意味ネタになりそうですけども……。
自分のネタは自分で磨きたいかな。
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