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止まり木の紳士
#バー
今はたまに伺うくらいで、随分と遠退いてしまったけど、
30代前半は、とある銀座の老舗バーに足繁く通っていた。
“銀座”や“老舗”と出すことに、眉をひそめた方もいらっしゃるでしょう。
当時の僕はそんな鼻につく感じを出さぬよう気を付けるふりをしながら、
その実、心の中では、そこに通っていることを大層得意に思っていた。
#おかえりなさい
いつも通り、30そこそこの僕がバーテンダーさんと話をしていると、
60歳手前くらいでスーツ姿のシュッとした男性が入ってきた。
カウンターだけの店内は比較的混んでいたが、
僕の隣は空いていて、男性はそこに通された。
『C.C.ソーダ』と頼んだ※ので、バーが好きな人なんだなと思った。
※カナディアンクラブで作るハイボールで、ちょっと通っぽいオーダー
2杯目を頼む頃、何となく僕と話すことになった。
その男性が言うことをとっても短くまとめると、
・当時僕が働いていた広告代理店に、かつてその男性も勤めていた
・その頃、今のあなた(僕のこと)のようにこの店によく通っていた
・若くして出世し、独立したが、大きな失敗をしてしまった
・またいつかこの店に来ることを夢見て、必死に頑張ってきた
・こんなに歳をとってしまったが、何とかここに来れるまでに戻れた
そして今日こそが、その数十年ぶりに来た日だと言うのだ。
僕は何か言わなければと思い、考えに考えた結果、
できるだけ丁寧に、でも涼し気に、「おかえりなさい」と言った。
男性は僕のグラスに自分のグラスを合わせて、ニコッと微笑んだ。
#気の利いた言葉
わかってる、ちょっと違う。
だいぶ違ったかもしれない。
10年ほど前のことなのに、
歯磨きをしながら、シャンプーをしながら、珈琲を淹れながら、
時々ふと、何でもないこの光景を思い出すことがある。
何と言うのが正解だったのか。
「がんばりましたね」は、何目線かわからない。
「そうですか」は、興味を示していなさ過ぎる。
「大変でしたね」は、お前に何がわかる感が出そう。
「嬉しいでしょうね」や「良かったですね」は、そりゃそうだって感じ。
その時頭に浮かんだのは、
人が出かける時、「いってらっしゃい」の言葉に無事を祈る願を込め、
「おかえりなさい」によって、その願を解きつつ労うという話。
頑張ると決めて張り続けた緊張の糸を、今日は解いてくださいと思った。
何目線でもいいから労いの一助になりたいと思った。
ただ、今考えると、かつての同じ会社の後輩で、
むしろ後輩だからこそ、30そこそこの心持ちとかは見え見えだったはずで、
将来に大した不安も抱えていなさそうな奴が言う「おかえりなさい」。
グラスを合わせた時の男性の笑顔は、
当時見た笑顔よりも、もっと色々な意味を含んでいたのかな、と思う。
「ありがとう」も、「今はわからないよね」も、「これから頑張れよ」も。
#優しい止まり木
余談だけど、バーテンダーを“バーテン”と呼ぶのは、
改めて、本当に、やめた方がいい、と思う。
これはバーテンダーさんに直接言う/言わないだけでなく、
日常会話でも口に出すのは避けるのが無難、とおすすめしたい。
「“バーテン”は、ただ言葉を縮めた略称以上に失礼な意味がある」
という諸説はもちろんだけど、言うと、こなれていない感がすごく出る。
実際のバーの中でも、一見さんや、常連さんが連れて来た後輩などが、
『バーテン』と発することがあって、そうすると一瞬凍る人がいる。
ビシッとしている風の人がこれを言うと(少なくとも僕は)あれ?と思う。
あなたが心を寄せる人が仕事帰りの一人バー通いを大切にしていたとして、
そんな人との日常会話で「バーテンが〇〇でさぁ」なんて言おうもんなら、
きっとその意中の人は、あなたを恋愛対象に入れることはないだろう。
人生のベテランの域に達している方々にまで正してほしいとは言わないが、
どちらの呼び方もまだ言い慣れるほど使っていないのなら、
変にかっこつけて略さず、ぜひ「バーテンダー(さん)」と言ってほしい。
因みに僕は、
「bar(酒場)+tender(提供する人・世話する人)」より、
「bar(止まり木)+tender(優しい)」の“優しい止まり木”説が好き。
それくらい、バーテンダーという職種の人たちは、
寝る間も惜しんで勉強し、腕を磨き、仕込みをし、
お客さんのお酒や話や、時には二軒目にも付き合ってくれて、
お祝いと聞けば顔を見せに休日返上で駆け付けてくれたりする。
ありがたい。
そうか、今日は金曜日だ。
“余談”と付けて書き加えた部分が随分と長くなってしまった。