自由に羽ばたけることを信じて見守る保育
「私は保育士になる!」
少女は突然思いついた。
理由は特にない。
強いて言えば、自分より年下の従兄弟の面倒をみていた時に『あ、これが私がやることなんだろうな〜』と降りてきたそうだ。
今回は、神のお告げを受けたかのように保育士になった小西なつきさんのお話しです。
保育士まっしぐら。
だけど、あれ?なんか違うかも
小学校5年生の時に降りてきた、保育士になること。それは途中でぶれることなく、着実に段階を経て保育士になった。
だが、保育士の仕事は思っていたものとは違った。
「子どもは好きだったけど、業務内容とか環境が合いませんでした。すごい大好きな仕事だったけど、不満を抱えるくらいだったら辞めた方がいいかなと思い、辞めました」
人の意志とはこんなにも簡単に環境で変わってしまう。
「昔から規則に合わせたり、団体行動が苦手だったのもあります。あと、子どもに関わること以外に書類業務も大変でした」
保育士を辞めたなつきさんは特にやりたいことも思いつかず、子どもが好きなことから子ども服の販売員となった。
「子ども服の販売員は淡々とこなす日々で、心の中では『子どもに関わりたいな〜』ってずっと思い続けてました」
保育士への未練は残っていた。
そんな時、沖縄とオーストラリアにいた姉二人の出産が続いた。二人の姉の元へそれぞれ約一か月半、子育ての手伝いに。
「姉の赤ちゃんを抱っこした時に『やっぱこれじゃなきゃダメだ』と思いました」
その後、再び保育士に戻った。子どもと関わることができ、楽しくも忙しい毎日を過ごしていたが、29歳の時に突然思い立ったかのように海外に行くことを決めた。
「『私、行かなきゃいけないんで、すみません』って海外に行きました」
思い立ったら、行動に移さないといけない性分なのだ。そして、ワーキングホリデーでオーストラリアへ飛び立った。
海外でもやっぱり子ども
「ワーホリ期間中は保育と関係ないことをしようと思っていたのですが、ご縁とタイミングが合い“オーペア”という住み込みでベビーシッターをするお仕事をしていました」
偶然か必然か、オーストラリアに行っても巡り合ってしまった“子ども”と接すること。オーペアをしながら大好きな海に潜ったり、ぼーっとしたりと、のんびり過ごしていた。
「ワーホリ期間中は一番自分と向き合った1年間でした。自分にとって必要な期間だったと思います」
子どもと向き合うこと以外に規制や書類提出などストレスが多かった保育の仕事。一旦現場を離れ自分の心地よい環境に身を置くことで、自分を取り戻していった。
初めての挫折
身も心も解き放たれ、自分の好きな子どもに関わって過ごしていたが、帰国直前に突如謎の痛みがなつきさんを襲った。
首が痛くて体を自由に動かせない。手も震えが止まらない。
『私は一体どうなってしまうんだろう……』
今まで止まることなく、やりたいことをやってきたなつきさん。どうすることもできない自分の体を抱え部屋に閉じこもってしまった。
「自分の体が動かないことにすごく恐怖を感じて、ドツボにはまったんでしょうね」
「今思えば海外の環境に、少なからずストレスを感じて、溜め込んでしまっていたのかもしれません」
幸いにも、オーペア先でそのままお世話になることができ、落ち込むなつきさんを見かねてオーナーが催眠療法を進めてくれ、受けることに。
「はじめ『何で私が催眠療法なんかやんなきゃいけないの?』と思ったけれど、想像と全く違いました。深層心理の潜在意識に語りかける感じで、自分の感情が解放され、自然とボロボロ涙が出てきて、わーっと泣いたらすごいスッキリしました」
自然に感謝、人に感謝
催眠療法を受けたことがキッカケで少しずつ動けるようになってきたなつきさん。完全に完治していないが、ワーホリ最後にどうしても行きたい場所があった。
「背中痛いし辞めようかなって思ったけど、折角申し込んでいるから行こうって」
4リッターほどのバックパックを担いで、ウルルツアーに向かった。痛みに耐えながら向かったツアーだったが、ここでも不運が。
サンセットの直前に雨が降り出したのだ。雲が出ていてはウルルに沈んでいく夕日は見れない。とことん付いてないと思い帰ろうとした。
「もう諦めようと思った時に、ふいに雨が上がったんです。そして、雲の合間からゆっくり夕日が顔を出しました。しかも、その後に、虹が……虹が二つかかったんです…… 」
なつきさんの目から涙が溢れ出た。
「それを見た時に『私、諦めちゃいけない、もう一回頑張ろう』って思えて、勇気をもらいました」
自然の圧倒的な美しさに癒され、さらに新たな感情が芽生えた。
「今まで一切周りのことを考えず、何をするにも人に相談しないで“自分がやりたいからやる!”で生きたけど、ようやく相手や環境に感謝の気持ちが持てるようになりました」
自分の人生だから誰に何を言われる筋合いはない!という強い思いでやりたいことをガシガシ進めていたなつきさんだったが、自由に好きなことが出来ていたのは母親だったり、パートナーや姉妹、親友が見守ってくれているからこそ出来ることだと気づいた。
理想の保育との出会い
オーストラリアから帰国後、しばらくは沖縄の姉家族の家で療養することに。しかし、意外にも日本に帰ってきたことですぐ復活。フリーで訪問保育士の仕事を始めた。
訪問保育士として働くようになったのも、海外での体験から。海外では子育や家事を母親一人で抱え込まず、人の手を借りることが当たり前だった。
また、海外の保育はなつきさんが小さい時から感じてた、違和感を払拭してくれた。
「日本では協調性とか、みんなで合わせて何かしなきゃいけないって教えこまれてきたけれども、オーストラリアでは自由に、周りに合わせることを強要せず、Noって言える環境がありました」
海外に行くまでは、日本の社会や子育てに対して反抗心があったが、自分が思い描いていた子どもとの関わりがあることを知り、道が開けた。
信じる気持ちだけでいい
それからというもの、どんどん子どものことについて勉強を重ねていった。心理学から脳科学、さまざまな知識を学んでいったが、どれも今までの経験の答え合わせだった。
そうして見つけた、なつきさんの保育の形とはどういうものだろう。
「色々やってきたけど、子どもに接するときは、その子を見てあげて、話を聞いてあげて、共感してあげる。それだけで心は育ちます」
「1人1人の嫌なものは嫌、好きなものは好き、そういうのを100%受け止めてあげられるのが私の保育だと思っています」
玩具やおやつを与えるのではなく、引き算していった末にたどり着いた答え。
「信じる気持ちさえあれば、何もいらないんです。私は100%あなたを理解してるよ、受け止めるよというスタンスです」
いろんな家庭へ訪問保育に行くが、どんな子でもなつきさんに心を開いてしまうという。
母が私の見本
“子どもを信じて見守ること”には母の影響があると教えてくれた。
「私の母がいつも『あんたならできるよ、だから心配してないよ』って、私を信じて見守ってくれていたことが大きいですね。だから、私もそうありたい」
小さい頃に受けた母からの信頼と温かさが、なつきさんの底知れない安心感に繋がり、何事にもチャレンジし続けられている。
今後は保育士業とは別に、子育てするお母さんのストレスケアも行っていきたいと話す。
「子どもってお母さんのことすごく察するんですよね。怒らせちゃいけないとか、子どもなのに気を遣ってしまう。だからお母さんのストレスをケアすることで、子どもが自由になれる。私一人では全ての子どもを見届けられないから、育児の不安や負担を手助けするサポートも今後はしていきたいです」
さらに、2022年の冬から地元沖縄でビーチクリーン活動も始めた。
「いつでも100%でいたいから、後悔しないように1日1日生きてます。今のところやりたいこと全てやっています。笑」
今までの人生で後悔したことはないと言い切るなつきさん。直感を信じて、やりたいことをやり続けられるのも自分に嘘がないから。自分を信じられるからこそ、誰かを信じることができるのだろう。
[撮影場所:幕張の浜]
ご本人のnoteではオーストラリアで見たウルルにかかる2本の虹の写真や、保育感について詳しく語られています。
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