お寺を継ぐつもりで修行をしたら、お寺を継がない選択にたどり着いた。
昔、私は僧侶とか酒蔵とか〇〇職人という肩書きに憧れがありました。多分何か信念があってやり続けていることがカッコいいと思っていたのだと思います。なので、今でも元僧侶とか聞くと他の人より興味を持ってしまいます。
今回は、元お坊さんで現在は理学療法士を行う鈴木秀彰さんにお話をお伺いしました。
山梨県にある約1500年の歴史ある寺院がご実家で、一時はお坊さんとして活動するものの自分の本当の願いに気づいてお寺を継がないという決断をしました。自分がやりたいことを歩み続ける鈴木さんのお話をどうぞ。
自分が変えてやる!と尖っていた僧侶時代
──鈴木さんは昔僧侶だったときいたのですが、その時のことお伺いしてもいいですか?
大学卒業後しばらくして、父のお寺を手伝っていました。最初はお寺を良くしたいと思って、お寺で音楽会とか座談会とかヨガなど色々イベントを仕掛けていました。図書館や公民館などにも出向いて、少しでもお寺を身近に感じてもらえるように、お寺と接点を増やすきっかけづくりもしていました。
親とか周りの人の期待も感じてたので、なにか変えたいというのは正直ありましたね。「今の父とは違うことをやってるんだ」ていう思いもあって、その当時お寺ではあまりやらないようなことを積極的に行っていました。
──お坊さんになることは物心ついた頃から思っていました?
小さい頃はお医者さんになりたかったんです。白衣とかかっこいいなって思っていました。父を見ていたから、お坊さんだけは絶対なりたくなかった。(笑)
お寺はなんとなく次は僕が継ぐのかなとは思っていました。一人っ子だったので、自然な流れで周りも継ぐだろうと思っていただろうし、少なからず期待はあったと思います。今まで53代続いていて、54代目で親子で引き継ぐというのが初めてのことでしたから。でも親からは一度も継いでほしいとは言われませんでしたね。
何かが変わると思って体験した修行、
だけど何も変わらなかった。
──継がない決断をしたのは何かきっかけがあったのですか?
3年前、父が事故で動けなくなった時にそろそろ僕が継がなきゃと思い、迷いながらもとりあえず修行に行くことにしました。「修行に行けば何か変わるかもしれない」そう思って、お遍路と山伏と護摩焚きの3つの修行体験に行きました。
お遍路は一週間しか休みが取れなかったので全部は回れず1~17を巡り、次に山伏。あまり内容を言っちゃいけないみたいなので、すごいとだけお伝えしておきます。すごい体験だったけど何か物足りない感じがしていて。最後、護摩焚だったのですが、護摩の阿闍梨(アジャリ)さんをやるお坊様が病気になっちゃったんです。やっと継ぐことに向き合おうとしているのに、修行がうまくいかないし、自分の気持ちも何も変わらない…… そう思った時、自分を無理やり何かの枠にはめようとしているのに気がつきました。
今まで「継がない」という考えは、親や周りの目に対して考えてはいけないことだと思っていて、本当に自分がやりたいことに対して見て見ぬ振りをしていたと思います。ずっと腑に落ちない違和感を感じていました。
「お寺継ぐのやめよう」と素直に受け入れた時、すーっと肩の荷が下りる感じがして、すごい心が楽になりましたね。
──ある意味修行がきっかけになったんですね。
誰かが変えてくれるのではない、自分で気づくことでしか変わらない
修行する前から、そもそもお寺を継ぐのが「僕でいいのか?」とか「こんなに自信がない人がお坊さんになってもいいんだろうか?」という漠然とした不安がありました。憧れたり素晴らしいなというお坊さんは何人かいましたが、自分との距離感とかギャップを感じていたので、精神だけは3つの修行でつくり上げていこうと思っていました。
修行させてもらったのはすごい良かったし、自分でも期待していたんだと思います。こんなに3つも修行するのだから、お坊さんになる自覚もつくだろうと、今思えばやることに依存していましたね。多分、何かにすがっていたかもしれませんし、誰かの後押しが欲しかったのかも。だけど、山伏もお遍路も護摩はできなかったけど、どれも押してはくれなかった。ある意味誰も何も教えてくれないことで、自分に向き合うことができ、ちゃんと違和感を受け入れられたのだと思います。
修行もなんでもそうですよね、何かを体験することってお金と時間と自分がやろうと思えばできますけど、自分に大きな変化や衝撃をもたらすことって、自分と向き合うことでしか気付けないんじゃないかな。
リハビリでも患者さんをこう変えようと思っていてもなかなか思うようにいかないのと同じですね。相手が気づくタイミングを待つことって大事だなと思います。ただ、僕も修行するって決めたから気づくことができたので、とりあえず何が起こるか分からないけど、行動することは大事だと思っています。