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開門散文日記
3年前、日本から逃げたとき、わたしは飛行機でジットの『狭き門』を読んでいた。彼の作品はどれも好きだが、この一冊だけはわたしの脳裏に強烈な何かを残した。アリサが、あまりに自分なのだ。自分すぎて、好きになれない。
彼女は、ジェロームを愛しながら、地上的な愛を拒み朽ち果てる。ぬくもりを知らないまま、神に祈り死後に憧れ死んでゆく。その「狭き門」へと続く道はすべて彼女自身が自ら作り上げたものである。神の存在など弱さの言い訳。心の何処かで気づいている。彼女はすべてが、怖いのだ。人体とともに生きることが。他人を愛し、助け合うことが。それ故他人を拒み、自らの手で自分の道を狭めてゆく。
残されたのは、使い物にならなくなった人体と、残酷で美しい、価値のない日記。喪に立ちつくすジェロームが思い出すのは彼女の疲れ果てた表情。
アリサ、分かるよ。生きるのは怖い。ひとは、ひとりでは生きれないから。
最近、様々な面で強制的に人を頼らざるを得ない状況に直面している。多分、今までそれを避けすぎてきたからだ。数週間前、わたしは死のうとして、一夜にしていろんな決断をしてしまった。そのあと不幸にも生き抜いて、気づいたらわたしはなんにもできなくなっていた。が、やってしまったことの後処理が山積みである。あれもこれも。やるべき順位も分からない。あ、無理だ。動けない。眠れない。仕事も行けない。増えていく、正気でいるための薬。しかも何故かこのタイミングで日光過敏みたいなのを発症した。演技どころか化粧もできない。どうすれば良い?何をすれば良い?誰かに、教えてもらわなくちゃ。
過去に出来事が起こる度、わたしは全部捨ててきた。それを何度も繰り返した。その果てにあったのは孤独と疲れ。眠れず、食べれない人体。失敗の数だけ死にたくなった。増える切り傷。入れ墨とピアス。全部同じことだ。疲れた。繰り返したくない。死のう。無理だ。これを、繰り返す。
わたしは今日、また捨てた。半年住んだ狭い部屋を、少しの間培ったキャリアを、その土地で得た人間関係を。いとも簡単に、また捨て逃げた。そこで出会った人たちにはどうか、逃亡を知られたくない。どちらにせよわたしのことは、すぐに忘れるだろう。
生きれば生きるだけ、疲れは増す。わたしは死なないという状態を保つのことに膨大な力を使って生きている。それを人生と呼ぶらしい。こういうことを考えず生きている人がいるという事実を、知識として知ってはいるが理解など到底できない。一生できないだろう。
わたしの人生とその行動には常に一貫性が無いが、いつも死にたいということだけは一貫している。生きることは、苦しい。
まだ死ねないのならほんとうは、こんなこと繰り返したくない。いま、それでもわたしと繋がってくれている、片手で数えられる大事なひとたちと、わたしはどうかまだ繋がっていたい。
主治医
「転院はしても、このまま通うにしても、それはどっちでも良いけどリチウムだけは毎日飲んでね?勝手に止めないでね?それだけは約束。分かった?」
素直でいること。頼り頼られること。それはこの世で一番難しい。だけどもそれができるひとは、誰かと生きている。死ねないわたしが、考えなくてはならない唯一のそれは。
「ねえ、それで、人類の話をする?」
「ううん、」と首を振った。
「人類の話は、もうしない。これからは、人生の意味についてだけ話そうよ」
エウヘーニア コノネンコ
【余談】
精神年齢が低すぎるのが顔に出ているのか & 日光過敏の肌荒れで化粧していなかったからか、なんと年齢確認をされた。20歳をとっくに過ぎたアラサーを前に、おそらく年下であろう店員さんは焦り謝っていた。