英語教員と障害者支援の出会い
Nyao先生には英語の先生としての顔と、実はもう一つの顔があります。
それは、障害を持つ人に対する「job coach ジョブコーチ」としての顔。
ジョブコーチとは、障害を持っている人が仕事に適応できるようにコーチングしていく指導者のことで、そのような仕事をするNyao先生、という側面もあるのです。
※”障害”に関する英語表現は最後にご紹介!
英語と障害者支援??全く畑が違うじゃない?と言われることがあるのですが、案外共通した、「人を導く」という一つの道筋でもあると感じているNyao先生なのです。
Nyao先生の社会人としてのキャリアは英語とともに始まっていったのですが、そこになぜ「障害者支援」という道が並行して存在するようになったのか、本日はそのお話をしていきたいと思います。
そんなNyao先生、自分の子供が生まれてからは、主として子供への英語教育に携わっていました。そのうち小学校での英語教育に携わるようになったころ、気づいたことがあります。それは・・・
発達障害
と疑われるような子供が相当数存在している
という現実。
発達障害についての詳しい記述はこちらから!
学級崩壊という言葉は皆様ご存じかと思いますが、そうしたことが起きてしまう原因の一つに、その発達障害の子供が通常級で健常の生徒と同じ授業を受けていることがあげられると感じました。
例えば、とある授業中に走り回ったり、奇声をあげて授業妨害していたTくん。
よくよく観察していると、彼が落ち着かなくなる原因が少しずつわかってきました。
彼の場合、教室の机の配置を変えた途端、席に座っていられなくなっていました。
配置の変化についていけない
という特性があるように見えたため、その子のいる授業では机の配置は変えずに授業するだけで座っていられる時間が増えた、ということがありました。
また、人から
「○○したらだめだよ!」
という否定をしつつ周囲と同じ行動を強制した結果、奇声を上げて走り回ることが多く見受けられました。
そこで、彼への指導は基本的に
「ここに座ろうか」
「ここに書いてください」
と肯定で伝えるようにしました。
そして座っていられた、とか、指示どおりの行動ができたら、それだけで
褒める!
ということを繰り返しました。
結果、保護者から
「今度の英語の先生はわかりやすい!とTが言ってました😃」
と言われたことがあります。
何も変わった教え方はしなくても、その子の特性に寄り添うだけで子供も先生も楽になると感じた瞬間でした。
他の子供たちからずれた行動をし、それを否定され続けた結果が問題行動となって現れてしまう・・・・ということは否定しなければいい。彼らがやりやすいように周囲が変化してあげればいい、ということになりますね。
しかし、それは障害を持つ人に限らないと思いませんか?
否定されてうれしいひとって、いないのではないかと思うのです。
アメリカの教育現場でも先生たちはよく肯定的な表現で子供たちを指導していたのを思い出します。
プールサイドで走ろうとしていた生徒に先生が一言
「walk!」
走るな!ではなく、
「walk!」
でしたね笑
さて、話は戻りますが、一口に「発達障害」といっても様々なタイプがあり、先出の厚生省のページで出ているように複合的な要素も加わったりと教科書通りの特徴ではない場合もあり、ごく年齢の低い早期の段階で個別に教育していくべきだろうとは思います。
知的な遅れがあったり、なかったりと様々な特性がありますが、多くの場合、それに気づかず、もしくは現場の人員不足やそれに対応できるだけの環境整備もなく、そのような子供たちの多くはいきづらさを抱えて成長していきます。
その成長の過程で様々な現実社会、世間と言う厳しい壁にぶち当たり、大人になる頃には二次障害といわれる精神疾患を得てしまうという負のスパイラルが起きているような気がして仕方ありません。
幼い段階で保護者や周囲の教員などが一人一人の特性に気づき、対応をして来ている子は比較的容易に(といっても健常の人の何倍も、何十倍も大変なことなのです)社会人としてのキャリアをスタートできますが、そうでない場合ということを目の当たりにしたのは、私が専門学校のコーディネータに就任した初年度のことでした。
小学校でいじめにあって以来、ずっと不登校で、その後大検をとり、なんとか大学に進学した者の周りになじめず大学を中退したという経歴をもつAさん
そんなAさんが私のコーディネートする学科に入学してきました。
外へ出るのも数ヶ月ぶり、というそのAさんも,その経歴情報をもとに、臨床心理士の教員とともに面談しただけで、なんらかの発達障害を抱えている可能性が高いと意見が一致しました。
児童英語の教員を養成する学科だったので、みんなで幼稚園や小学校に実習にいきます。
実習の準備など非常に一生懸命参加したAさん。
日に日に明るくなっていくのがわかりました。子供への対応と同じく、彼女に対しても何かできたらすかさず
褒める
ということを基本にしていきました。
そのうちAさんは
「私は、Nyao先生のような児童英語の先生になりたいです!」
と言ってくれるようになりました。
彼女が社会に再びつながるお手伝いができている!
本当によかった!
とそのときは思っていたのです。
しかし現実はそんなに甘いものではありませんでした。
1年ほどたったころ、次第に彼女と他の学生の間に溝が生まれて行くのがわかりました。
他の学生と面談して言った結果、わかってきたことは
Aさんは人に依存する
ということでした。
そのため、周囲がだんだんに関わりづらくなっている、というのです。
人との距離の取り方がわからない
今考えればそれが彼女の特性であり
仲良くなったと思った瞬間、相手との距離が一気に縮まってしまうという特性
その彼女の特性に対して、そのときの私はどう彼女に指導していいのかよくわかりませんでした。
障害の特性なのだから、周囲にサポートをお願いしなければ!でも個人情報だし特性を配慮してほしいとも他の学生に言いにくいという現実。
周囲との溝が埋まらず、コミュニケーションがとりづらそうになってきたのが見えてきましたが、いい大人の周囲の学生に「もっと仲良くしてあげて」という指導もうまく行かず、悩んでいるうちに、
Aさんは学校を休むことが多くなっていきました。
そしていつの間にか
ふたたび引きこもり始めてしまった。
出席日数が足りず、なんとか卒業だけはさせてあげたいとの一心で、臨床心理士の教員と彼女にコンタクトをとり、面談をすることができました。
しかしそのときの魂の抜けたような彼女には我々教員の言葉は一切届いていないように見えました。
彼女が口にし続けていたのは
死にたい
もう生きていても仕方がない
生きている価値なんかない。
それ以降、彼女と面談することはかなわず、
Aさんは卒業まであとたったの3ヶ月だったのに
彼女は自主退学してしまったのです。
あのとき私は何をすればよかったのか
どうすれば彼女を社会につなげることができたのか
Nyao先生のような教員になりたい!
と明るい希望を口にしていた子を、私は救うことができなかった。。。
そんなモヤモヤした気持ちを抱えながらも続けた専門学校の教員生活でしたが、その時の自分の無力さは忘れることができません。
その後もそうした障害を抱える学生を何度も迎えることがあったNyao先生。
そのたびに無力さを思い知っていきました。
英語へのやる気スイッチは、
勉強方法を教えてその通り勉強を進めていくことでTOEICなどの点数が目に見えて上がってきて、それがモティベーションアップにつながります。
自分の努力が結果として見えることで
もうこちらは何もせずとも、学生たちは自らどんどんよい方向へ向かっていくのです。
しかし
Aさんのような子は
いったいどうすればよかったのか。何をしてあげればよかったのか。
英語の指導以前の問題だったのではないのだろうか。。。
そんな気持ちが原動力となり、英語の仕事と二本立てで、そうした障害を持つ人たちが社会につながるお手伝いが何かできないものだろうかと、徐々に考えるようになっていったNyao先生なのでした。
私が救えなかった,様々な障害を持つひとや、引きこもりの人たちをなんとか社会につなげられれば!という気持ちを胸に、英語教員と障害者支援の二足のわらじが始まったのですが、、、、、
しかし、そこにはまた新たな現実という壁が立ち塞がっていようとは!笑
そんな現実的なお話もまた少しずつお話させていただきますね!
大人の発達障害に関しての記述はこちらから!
ということで本日のまとめは
☆障害を持つ人によい指導は普通の人にも優しい指導であるはず!
そしてそんな
"障害"を表す英語は
disability
発達障害を表す英語としては
developmental disability
もしくは
developmental disorder
学習障害となると
learning disability
では本日はここまで!
また遊びに来てくださいね――!