![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/104561195/rectangle_large_type_2_b61b37922966ceab9be16b476330c188.jpg?width=1200)
今日の詩
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/104562483/picture_pc_55ab8ea36d0dc33532f263123298f300.png?width=1200)
1人で北斎館に行ったお話。
富嶽三十六景神奈川沖浪裏 は誰もが一度目にしたことあるのではないか?
長野小布施にある葛飾北斎の魅力溢れる北斎館。
心が震えて、とても感動した。(感動の2文字じゃ伝わらないくらいの感動)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/104562523/picture_pc_aa667d744d2c546c3c2bd0b74de57980.png?width=1200)
長野に来る前、チラッと長野県小布施町と北斎はゆかりがあることを知り、わたしは行くのが楽しみになった。
そして、北斎館に行き様々なナゾが解けて楽しかった。
北斎と小布施を繋ぐのが、地元の豪農商であった髙井鴻山(たかいこうざん)の存在。江戸の日本橋で呉服商を営んでいた人物を介し、鴻山と北斎は出会ったのだ。
鴻山自身も絵を描き、商人というよりも文化人としての気質のあった鴻山は、北斎を長野県小布施へ招き、丁重にもてなした。そして、北斎は江戸から小布施約240キロを歩き旅に出た。(徒歩240キロなんて考えられない...考えたくない...)鴻山の助けもあり、北斎は晩年の大作を小布施に沢山残した。
鴻山は北斎を先生と呼び、北斎は鴻山は旦那さんと呼び
ものすごい信頼関係があったことが呼び方から分かる。
江戸での素敵な出会いだなと感じた。
「生きることは 描くこと」と北斎館の北斎ムービーで流れてきた言葉に感銘を受けた。
生きているから、描けるし 生きているから、描くのだと
とてもグッとくる。作品はもちろん良かったのだけど、この言葉に出会えたことだけで長野小布施に来れてよかったと思えた。
わたしも生きているから、たくさんの気持ちを描いていくんだ。このnoteに。
読んでくれる貴方に気持ちを伝えたい。
北斎は嘉永2年(1849)4月18日、北斎は亡くなる。
もしもう一度出会えるなら ありがとう。と心から伝えたいものだ。北斎は日本だけでなく、世界の人々を虜にする天才アーティストだった。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/104561649/picture_pc_2c699baefc364a6ef69b2c6633c3f7e2.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/104561661/picture_pc_37aab962249f08eb0d2526868d423ebd.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/104561651/picture_pc_2be9162b977e2e90e24260595b817c7f.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/104561653/picture_pc_062665a8a48bb0c53309c36f398e8f2e.png?width=1200)
小布施は北斎を愛している