今日の詩
1人で高野山ツアー開催。後編。
高野山での生活から2日経過して高野山の思い出に浸りながら記事を執筆している。早めに気持ちをnoteに閉じ込めなければ!と溢れる気持ちを綴っている。気持ちにも賞味期限があると思っているわたくし。
前編では、大門・壇上伽藍・清宝稲荷大明神についてをかいた。後編では、清浄心院・奥之院についての気持ちをたっぷりあなたに届けたい。
清浄心院
護摩行体験。奥之院付近を歩いていると、なにやらドコドコドコと鳴り響く太鼓の音と人の大合唱の声が聞こえた。異変を感知し、私は大急ぎでお寺へ入った。ドアを開けるとそこは、炎が燃え上がる(火事になるのでは!?と思うくらいの火)そして人々はお経を唱えている。私も後ろの方に座り様子を伺っていた。何が始まるか分からない。そんな状況でとりあえず周りに合わせ私も手を合わせていた。お経をずっと唱え続けているのを聞くと、私は身体がすごく苦しくて涙が止まらなくなってしまった(自分でもよく分からない)コントロールができないのだ。お経が止まると涙もピタリと止まり、身体がすごく軽くなった。不思議な体験を高野山でした。パワースポットだなやはり...と思いお寺をあとにした。
不思議体験をしたので調べたところ、私が大急ぎで参加したものは護摩行(ごまぎょう)という現世での祈願成就を目指して祈りを捧げるという密教の修法。 護摩行またはお火焚きとは燃え上がる炎の前で全身全霊願いを込めて唱える煩悩を炎と一緒に焼き尽くす修行。その意義は呪術的な強い祈りの力をもって願いを叶えようというものらしい。私は修行をしていたのか...修行僧...?とボヤいてしまった。世界遺産の地 高野山で修行できたことが光栄だ。私の中に潜んでいた悪いものが、浄化されたのかもしれない。
奥之院
壇上伽藍とともに高野山の信仰の中心であり、弘法大師空海がいるとされている聖地。一の橋から御廟まで約2キロメートルの参道には、おおよそ20万基を超える諸大名の墓石や、祈念碑、慰霊碑(全国から集まっている)が樹齢千年に及ぶ杉木立の中に立ち並んでいる。
私はこんな空間を歩いたことが無かったので、とても不思議な感覚だった。墓地なのに、優しい。虚しさや悲しさが感じられないのだ。寄り添いあって、ここで共に生きているような雰囲気で私の高野山でのお気に入りスポットだった。2週間で4回奥之院に行き空海さんにお参りしたりベンチに座り、杉並から零れるあたたかな太陽の光を浴びたり光をみつめたり。心を落ち着かせるピッタリの場所だった。また、奥之院に吹く風が私はすきだった。そよそよ〜とやってきて、私を囲ってくれてるようなそんな優しい風だった。人にイライラすることも無くなったし、今まで以上に心が穏やかになった気がした。
奥之院に架けられているへいわ橋を渡った。昔も、今も望むべきことは一緒だったということにとても親近感が湧いたのだった。
1週間後には北海道での生活がスタート。
1人で飛行機楽しみです。
北海道でも素敵な出逢いがありますように!
高野山生活無事 ~完~