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我慢するだけ無駄だけど、我慢する所を間違えて生きている

許されたいと思う事を我慢出来ない節がある。言い訳を並べ、自分の生まれを呪い、こんな自分だから出来ないのは仕方ないと言い聞かせることも出来ない。開き直れたらいっそ幸せだったろうに。他人の顔を見ずに喋れたらどれだけ楽だったろうと思うものの、他人の顔を見ずに喋る人間がどれだけ怖い存在かも分かっているのでそれが出来ない。

声をあげない方が悪いとか、言ってくれればよかったのにとか、色々あって結局しんどい。

人間めんどくさい。けど人間と関わらないと外に出る気も湧かないのである。

かと言って人間に関わらない時は毎日色んなツイートを目にして毎日YouTubeを見て、死ぬ程無意味な時間を過ごして勝手に病んでいる。

何かのせいにする人間が嫌いだから他人のせいに出来ない。結局今を生きて選択して最善を進むのは自分の意思でしかない。

人間に関わらない方が多分気楽だけど、何かをするきっかけは結局誰かの為と回り回った自分の為。

私は気にするんだの一言も言えず、他人に期待するよりも我慢して自分が変わった方が早いと結論づける。幾度となく聞いてきた日本人の事なかれ主義が否定的な言葉を出にくくさせる。

でも別に不特定多数に不幸自慢したい訳でも不幸になって欲しい訳でもない。それを見て何を思われるかとか考えたくもない。

1度全部吐き出したら楽なのかもしれないが、その後猛烈な後悔が生まれるだろうし、多分出た言葉の取り返しはつかない。

そこに責任を取ってくれる人間は自分しかいない。羨ましい。

他人のせいに出来る面の厚さも、自分の性格に難があるのは分かってるんだから許してくれと懇願出来る面の厚さも、なんにも話題がないから慌ててなんの中身もない話をし続けて相手に気を使わせる人間も。

人間ってなんでこうも面倒なんだろう。

どれだけ柔らかく砕かれた言葉からも棘を拾われたらどうしようも無いと言われたとしても、自分にとってはずっと取れない小骨なのだ。

けど小骨の話を言ったって理解して貰えないし、相手の受け取りやすい形に変えなければ箸にも棒にもかからない瑣末な事なのだ。

だから結局自分が相手に許されたい事以外は黙っていた方が気楽なのだ。気楽なのだと言い聞かせているのだ。

世界は自分を中心に回っている様に振る舞えたならきっと幸せだったろうけれど、その中心があるせいで被害を受けてきた人間がいる事を分からなくなるくらいなら、自分はこのままでいい。

自分だけは自分の見方でありたい。だから自分で自分の肩を持って、今日も責任と我慢を負う。

結局自分は自分のことしか考えていないから、きっと好きで病んでそんな自分に酔っているんだろうと、きっと他人からは見えている。好きで病めたならどれだけ良かったんだろうな。

頭の中が毎日煩い人間が「当たり前」を生きていることがどれだけ大変か、他人は知る由もない。

知れるわけが無いと分かっているから何も言わない。いつか分かるように殴るから覚悟していろ。

こんなにプライドが高くて負けず嫌いな人間が蓄え込んだ恨み辛みはさぞ痛いといつか知れ。

そう負け犬の様に吠えなければやっていけないのだった。

毎日病まずに生きててぇなぁ…

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にゃん五郎
猫缶代、いつでも待ってます。