自分と自分も、比べない。
自分と他人を比べない、そう口にする人が増えた気がします。他人と比べることをやめたはずなのに、それでもなんだか苦しそう。比べること自体をやめたらどうだね?というお話です。
こんばんは。にゃんちーです。
星読み屋さん時々タロット使い。
noteは徒然なるままに、筆ならぬ指を走らせよう。
(キーボード打ってるわけだし)
何者でもない私としてを徒然なるままに書こうと思います。
比べているのは、対他人だけじゃない。
自分を他人と比べると疲れちゃったり、自己嫌悪に苛まれたり、羨ましくなったり。
でも、そういうの、なんか違うよなって感じた人達の多くは、「自分と他人を比べる世界」から離脱している気がする。
幸せについて考える時にも、よく言われるようになったよね。自分と他人を比べないって。
自分と他人の世界そのものは、本当は比べようがない。自分と自分以外では、生まれた瞬間から今まで、何もかもが違うのだから。
はなから同じ条件ではないものを比べたところで、意味がない。林檎とキリンの背比べくらい、意味がない。
でもだから、競争してきたのだとも思う。
時間や長さなど、数字で明確な順位がつく。
比べることが悪いわけじゃない。競う相手がいることで、切磋琢磨できるケースもある。好敵手とかいてライバルと読む、みたいな関係だよね。
自分より先にいる人を、分かりやすい目標やロールモデルにすることも出来る。そうやって、何かと競って超えていくことで、自分をもっと上へ上へと、押し上げてきた人も多いだろう。
そんな競争から離脱したら、比べなくなるのかと言われれば、そうでもない。
ほら、聞いたことない?昨日の自分を超えろ的な台詞。
他ならぬ私が、正にこれだったのである。
比べるのは常に自分、だと思っていた。
そう、結局、自分同士を「比べていた」のだ。
競争社会から足洗ったんじゃないのんか、つってな。
比べない=今を生きるってことなのかもしれない。
自分同士を比べるって耳馴染みがないかもしれない。
例えば、昨日の自分より今日の自分のほうが成長したとか。この逆もあって、昔の自分は痩せてたのに、今の自分ときたら(落胆)…とか。
こんな風に、過去の自分と今の自分を比べ続けている人は、案外多いんじゃなかろうか。それだけじゃない。
今日はこれだけのタスクを片付けるはずだったのに!なんて、それが出来なかった今の自分に残念な気持ちになる。
まるで未来の自分、或いは別の自分は、あたかも全てのタスクを片付けられる前提ではないか。
こんな風に、案外、未来の自分と今の自分を比べていることもある。
だいたい未来の自分は、今の自分より成長している・できる奴に設定されていることが多いと思う。その設定は、大概、今の自分の願望だとも思う。
けれど本当に未来の自分がどうなっているかなんて、分からない。
過ぎ去りし日々が輝かしく見えることもあるように、今日より明日の自分のほうがポンコツかもしれないわけよ。
そもそも何をもって、成長と言えば良いのか分からない。もう身長が伸びるような年齢でもないし、私は。数字で計れないものに対して、どうやって比べろというのだろうか。
過去の自分にしろ、未来の自分にしろ、どちらも今この瞬間には居ない自分だ。
今ないものと比べても、ただの妄想に過ぎなない。
どうやら何かと比べる時、過去や未来、或いは他人など自分以外の世界など、「今ここにないもの」を見てしまうみたいだ。
それは、今・ここから、飛んでしまうってことなんだと思う。
でも人はいつだって、今・ここにしか生きることが出来ない。
比べること自体をやめたら、やっと、今・ここに生きられるのかもしれない。
今この瞬間は、今この瞬間しかないのだから、今を味わって、今を楽しまないと勿体ないなと、そんな風に思ったのである。
結局それは、今の自分を大切にすることなのかもしれない。
とりとめないけど、以上!
したらばまたにゃーん。
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