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恋愛脳過ぎて偏差値爆伸びした話【サピオセクシャル】

高校入学まで私は一ミリも真面目に勉強せず、一夜漬けで定期試験を凌いでいた。勉強に対しては不真面目であった。

中学3年間、授業時間は私にとって休息のひとときだった。私はバレー部であったが授業中は厳しいバレー部顧問がいないため顔面にボールをぶつけられたり、怒鳴られたりしない。授業はどれも簡単すぎて聞く価値がないので、先生の面白い小話以外は真面目に聞いたふりして、ひたすらぼーっとしていた。

特に英語の授業は毎回退屈すぎて鼻の頭に15cm定規を乗せつつ、教鞭をとる男性教員のTシャツ袖から見える腋毛を観察したり、教科書のそこら中に落書きしていた。先生は良い人なので厨二病の私をそっとしておいてくれた。(私は小5から中3まで英語特化型塾に通っており、英語だけは周りよりも早く勉強していたのだった。その塾は授業前瞑想を義務付けておりこれが後の勉強に役立った。)

厳しいバレーボール部の部長やってるのに毎回一夜漬けだけでテスト学年7位以内だし、私頭良い〜!!と中3まで思ってた。山梨の片田舎の公立中で神7になったところで一体何を調子に乗ってんだこのクソガキと今は思う。八王子を大都会と思っていたようなカッペなので許して欲しい。

そんな感じで自分が勉強できると思い込んでいたので、恋愛対象も同じく勉強出来そうなやつに絞られた。
中3までに2人と付き合ったが、いずれもメガネの似合う成績学年トップの男の子たちだった。小6〜中1で初めて付き合った男の子は同じ小中の子で、中学の定期テストは毎回学年2位か1位だった。周りからの冷やかしが多くて耐えきれず別れてしまった。中2〜3で付き合った男の子は毎回学年1位か2位の生徒会長だった。重かったので高一で私から別れを切り出した。私は自分をサピオセクシャル、サピオロマンティックと自認した。特に私の苦手な数学が得意な眼鏡男はポイントが高い。2人とも数学が得意だった。

(一方ときメモGS1では名前に馬鹿の文字が入るほどの赤点キャラ「鈴鹿和馬」に夢中だった。馬鹿は馬鹿で可愛い。攻略対象の知的男性キャラは他にいたのだが、私の大好きな理知的眼鏡の有沢さん♀という女友達キャラがその人を好きだったので譲った。むしろ私は有沢さんの方が好みだったので、性転換妄想で有沢さん♂と付き合ったりもした。ニドラン的表記になった。話が逸れたので戻す)

高校に入ると勉強の順位はガクンと落ちた。入学した高校は偏差値55くらいのいわゆる自称進学校だったがその地域としてはまあ頭は良い方だった。毎年東大合格者は1人程度だ。無駄に多い小テスト対策と課題だけは渋々やっていたが、それ以外一切勉強しなかった。高一はヘタリアと君に届けの風早くん、高2はときメモGS3の生徒会長紺野先輩に夢中だったので勉強どころではなかった。毎日平日6時間、休日12時間はPCに張り付き、pixivと個人サイトを巡回した。夜中は海外掲示板で知り合ったスペイン人(後の親友)とSkypeで二次創作について語り合った。乙女ゲーム、お絵描き、MAD動画鑑賞等々非常に忙しいオタク生活だった。

高1からアッパークラスに入ったので周りも学習レベルが高く、一気にクラス内で成績ドンケツの人になった。あれ私ってこんなに勉強できなかったっけ…。気付いた頃には理数系科目は手遅れに、まずいと気付き手を取った時には徐々に冷たくなり、私の思い虚しく静かに息を引き取った。学年最下位レベルの理数系科目は偏差値47、国語は小学生時代に鍛えた読解力程度、そしてヘタリア効果で英語と世界史だけはまあまあ偏差値55…高二の終わり頃までは冴えない成績になっていた。

だが、高2の冬に私の運命は変わった。高校で学年1位の男の子に恋してしまったのである。隣のクラスのNくん!彼は非常に理数系ができる男の子で、メガネが青くてとても理知的であった。後から知ったが誕生日が私と一緒!もう運命。完全に好きになった。

高2になってから隣のクラスとの合同授業が多くなったのだが、そこで彼を目にして惚れた。私が一番出来ない数学が彼の得意分野だったのだ。先生も解説に悩むような難問を、黒板前に出て先生と楽しく解く彼の姿は凛々しかった。青チャートがよく似合う男の子だった。

なんとかして彼と接点を増やしたい。だが接点が全くない。そうだ彼と仲良くなるためには勉強をしなければいけない!私は邪な心で勉強を始めた。理数系はお亡くなりになっているため、せめて文系科目だけでも、教室に貼り出される学年順位内の私の名前をトップの彼に近づけたい。あわよくば名前を並べたい。認知されたい。

そこから狂ったように勉強をするようになった。毎日平日6時間ネットサーフィンに充てていたが全てその時間を勉強に充てた。勉強前はYUIのGloriaを必ず聴き、英語塾で習った瞑想を行うことで集中力を上げた。食事中もトイレも風呂の中も教科書を開いた。そして実家を記憶の宮殿に変えた。廊下や自室、トイレや居間の扉あらゆるところに暗記系科目の単語を書いた紙を貼り付けた。自室は和室だったのだがふすまにびっしり貼り紙したら呪いの空間みたくなった。その状態で高3は生活した。頭の中で家を歩いてその貼り紙を見つけることで単語を思い出せた。

親にも頼み込んで高2の終わりから地域の塾に通わせてもらえる事になった。その塾には私がかつて中学で付き合った学年1位2位の2人がいた。入塾するとレベル別クラスに振り分けられるだが、案の定私は2人と同じクラスになった。彼らは隣の市の地域で一番頭の良い高校に行ったので再会は久々であったが気まず過ぎて教室に入った時は顎で挨拶くらいしかできなかった。更にはその2人に挟まれる机の位置になったりもした。私は無心で勉強した、その表情はチベスナだった。かつて愛した男達に両隣挟まれていたが私が今愛するのはNくんただ1人、彼を想いながら一切昔の男達とは口を聞かず勉強した。

努力の甲斐あって高3の1学期で成績は爆伸びした。模試の成績で文系はクラスのドンケツから学年トップクラスへ、ついに貼り出された順位表で彼と名前を並べることができた。5月くらいには勉強のダークホース的存在になり彼にも認知してもらえた。そこからは毎回模試の順位ではいつも隣になれた。キャー♡

実家で発掘した高3秋の模試結果

まあまあ有名私立大は
入れそうな位には伸ばせた

2位のとこは全部彼に負けた♡
なんかどのグラフも偏ってる


勉強の順位だけでなく直接的接触も増やすように私は努力した。まず彼のいる隣のクラスに入り浸る事にした。私のクラスはこそ勉いけいけリア充ばかりでオタク理解はない感じだった。一方隣のクラスはSSH(スーパーサイエンスハイスクール)でほぼ男子校みたいな感じのオタクが多かったのでそっちのクラスの方が話が弾み人とも仲良くなれた。その中でNくんと話せたりもした、ラッキー。また仲良くなった男子に頼んで、かっこいいNくんの写真を撮ってもらうなどした。帰って即PCに写真のバックアップを取った。

数学と理科は故人になっていたので諦めて全く勉強しなかったが、それも接近材料にした。彼に問題を解いてもらいに行ったのである。真っ白な紙に美しい数式の解を書いて頂いた。何が書いてあるのかさっぱり分からなかったが部屋に飾った。彼は筆跡まで美しかった。それ以外のなんか面倒くさそうな箇所は再従兄弟やら別の数学強い友人に解いてもらった。私の数学ドリルSTEP4は私以外のいろんな人の文字で書かれていた。エンドレスとかいう100点取らないと帰れない数学の小テストは毎回変わらず私が最後まで残っていたが彼に応援してもらえるようになったのでだんだん帰るのは早くなっていった。彼の応援ブーストで数学偏差値50はギリ保てるようになった。

また意中の彼はとても手先が器用だったので、接点を作るためにわざとロッカーの鍵を破壊し、ドアごと外して直してもらいに彼の元に持ち込んだりもした。彼はなんでも手早く直せる器用な男で外科医になることを先生から薦められているような人だった、シャーペンやら鍵をすぐに直してくれてますます惚れた。時々教科書を借りて勝手にページの隅っこにパラパラ漫画を落書きしたり、彼の席の隣に座って放課後勉強しワンチャン一緒に帰ったりもした。手作りのプリンまで作って渡した。文化祭では彼の作った二重螺旋構造のビーズストラップを恵んでもらいこれも部屋に飾ったら学力が上がった気がした。沖縄修学旅行で購入したデカいチンアナゴのぬいぐるみにNくんと名前をつけた。今でも大切にしている。

だんだん食事も忘れて勉強するようになったので体重も7キロ落ちた。友達や塾の先生からは心配されたが私はガンギマリですこぶる元気だった。最後の体育祭では朝まで寝ずに勉強していたので社長出勤して教科書片手に学校裏で彼と彼とその仲間たちと日陰で勉強した。その時その流れで学年写真を撮る際に彼の隣をキープできたのですごく嬉しかった。マヤ文字で机に「Nくん大好き♡」と落書きしたらクラスのサヴァンな男の子に解読された。死ぬほど恥ずかしかった。

私は完全に恋する乙女であった。乙女の力は強い。私は志望校を一気にD判定からA判定まで伸ばすことができた。防衛大も腕試しに受験したが文系女子は県で私1人だけ合格だったらしく自衛官が家に来た。おばあちゃんが喜んでくれたので良かった。そこから塾の先生の私へのテンション感が変わった。私が塾の実績稼ぎ頭になる予感がしたのだろう、実際その通りだった。B学院よ、Nくんと私の恋、そして金を出してくれた私の親に感謝しろ!

恋した勢いで大学受験は全勝だった。こうして私は彼と模試の順位で名前を並べることができ、無事に志望の大学にも入学できた。

彼のことは大学に入っても好きなままで、留学前に私から電話で告白してOKをもらった。
一回だけ町田でパフェデートしたがその後は音信不通だ。遠距離は難しかった、でも一回でもデートできたので幸せだ。大切な思い出ができた。

もう成仏してもいいと言いたいところだが今もたまーに思い出しては名前を検索して彼の動向を探ったりしている。今彼はベンチャーの執行役員だ。なんかルービックキューブ持ってる写真とか出てくる。今でも格好良い。

ただ今はもう私は既婚者で、素敵なメガネの似合うこれまた理系の優しい旦那さんがいる。

なのでもうNくんと再会したいとか、どうこうしたいとかそういう邪な気持ちはない。
ただ、彼のおかげで今の私がある。本当にありがとう。

めっちゃ好きでした。

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