『安倍晋三回顧録』を読む①回顧録の出版や編集について感じた読売新聞への違和感
『安倍晋三回顧録』が話題です。私もざっくり読んでみましたが、非常に興味深い内容です。
ただ、今回は内容に踏み込まずに、『回顧録』そのものの性格、位置づけ、評価などについて思うところを書いてみたいと思います。
編集出版の趣旨と企画について敬意
内容については別途書きたいところですが、まず回顧録のインタビュー企画をされた読売新聞の橋本五郎氏と尾山宏氏、そして監修の北村滋氏には敬意を表したいと思います。記憶が明確なうちに、という趣旨には全面的に賛同です。
インタビュー形式の良さを感じた
米国の大統領などは分厚い回顧録で文章もこなれた感じですが、インタビュー形式で、安倍総理の肉声感覚が、ひしひしと伝わってきて、読みながら安倍総理が話しているかのような錯覚を覚えるほどです。また、読んでいて内容的な「ああ、これいいそうだよな」感が非常にします。インタビュー形式にしたのは、読みやすさやと言う観点で他の政治家へのインタビューでも同様の編集が望まれます。
インタビューから出版の経緯と再再登板の意識?
経緯は簡単にこんな感じです。
「機微にふれる」からと言うのは聞き手の推測にはなっています。安倍総理本人から「機微にふれるから」という表現があったのかどうか。ここは非常に気になる点です。
2021年10月にインタビューは終わっていますが、この秋の総裁選で岸田内閣成立しています。インタビュー終了からの2022年1月に「待った」がかかるのは、岸田内閣の登場を機に再登板の意識が出てきたのかと想像もしてしまいます。
なぜ読売だったのか
私が購入する前に気になったのはこの点です。
読売から持ち掛けたという経緯を回顧録で書かれています。しかし、いずれ時をおかず他社も回顧録の構想がある(だろう)とは思いました。在任期間最長を記録したから持ち掛けたと言うより「一番槍」で持ち掛けた、という実績が欲しかったということはあると思います。
それは否定的な意味ではないものの、単に「在任期間最長だから」の理由だけでは額面通りには受け取れません。
それぞれのメディアの会社の性格に応じて安倍流のマスコミの「使い分け」と言う面から、ここは読売の回顧録の企画に乗ったという点は「やはり感」はしました。朝毎東はもうどうでも良いし、産経は支持確定しているので、政権当時からも世論対策として安保政策などで読売を重点的に働きかけている印象は強くありました。その前提で読売の政治面を眺めていましたが、その延長とも言えます。
NHK岩田明子・産経阿比留瑠比さんの評伝待ち
安倍総理に近い記者としてはNHKの岩田明子氏と産経の阿比留瑠比氏が思い浮かびます。
NHK岩田氏は出版を前提にしたインタビューとなると、出版社とNHKの関係もあったのかなと思います。退職されたようで、NHK解説委員室のページも風前の灯のようですが。
また産経の阿比留瑠比氏は「保守系の色」が濃いので避けたのだと思います。私自身、産経阿比留氏のコラムの愛読者ではありますが、回顧録として「色」を薄くした方がいいという判断はあるとは思いました。
この『回顧録』を踏まえて、逆に岩田氏・阿比留氏は安倍総理の評伝本をいつ出すのか気にはなるところです。何より、生きていたら回顧録の後に追加となるインタビューを岩田氏、阿比留氏がやっていたらと思うとやりきれない思いもしてきます。
特に阿比留氏だったら、安倍総理のサービスで朝日新聞や野党について、痛快な発言が飛び出したのは間違いないと思います。ただ、これは記録としての価値と言うより、個人的にリクエストしたかった内容でした。そしてこれを過去形で書かざるを得ないのが何より残念です。
編集の方針には疑問な点もある:時系列にナゼしないか
本の話の展開はコロナ対策から始まっています。もう少し話を時系列に整理されたほうがよいような気もしました。話としてホットな話題と言うことでそうしたのかもしれませんが、話題をポイントポイントで入れたためにかえってわかりにくいところもありました。
一部に内容の重複(拉致問題など)もあり、別のインタビューで同じ話が出たのかという点なのかは気になるところです。(それだけ思い入れもありましたが。)また、詳細な日付などがほとんどないために、この本をもとにした検証と言うことですと、ちょっと苦労しそうな感じはします。
インタビューの性格:よく言えば網羅、悪く言えば総花
総理在任中の主だったポイントは良く言えば網羅的に触れられています。一方で回顧録の「一番槍」となるインタビューですので、総花的な質問で、政策判断や政権運営について検証した上での質問には残念ながら十分ではない面はあります。
ある程度は総理秘書官などのオフレコ発言などで新聞の政治面に出ていた感覚は多く、改めてインタビューで「安倍総理の肉声として」出てきたことに価値はあると思いました
政治部記者の方々はどんな印象を抱いたのかわかりませんが、私は新聞のスクープ相当の驚くような新しいネタは、意外に少ないという印象です。それでも検証して欲しい点は数多くあり別稿に書きたいところです。
これらは安倍総理自身、退任後あまり時間をおいていないこともあって、
口が堅くならざるを得ない面はあったとは思います。「記憶の定かなうちに」の両面性の面も考慮しなくてはいけないのかなとも思います。
「政治部のオフレコ取材と報道」の問題と限界
さて、最近起きた総理秘書官騒動と関連し日本の政治報道で、毎日新聞のオフレコ破りを契機に「オフレコ」が非常に問題ある点を書きました。
新聞社は「オフレコ」取材を大量に行っています。紙面にどれだけ反映されているのか、読者や国民には全く知らされないままです。オフレコ情報の所有権や公開についても全く不透明です。マスコミが「知る権利」や「情報公開」を正義として言う資格は全くありません。
「オフレコ取材メモとの整合性」の確認はなぜ行わなかったのでしょうか。
少なくともインタビューしたのが読売新聞ならば、やるべき義務があったように思います。ここは強く批判したい部分です。
オフレコとの関係は、新聞社も都合が悪いので『回顧録』で絶対聞かないことだと思いますし、日本政治外交史の先生方も出版社(中央公論)との関係で言いにくい面があるとしたら非常に問題があります。特に読売新聞と中央公論新社は資本関係があるだけに、新聞社のオフレコ問題が書籍からも抹殺されるのは罪が大きいと言わざるを得ません。
オフレコ取材の「オフ」はいつ公開するのか、永久に秘密なのか、これらが明らかではありません。回顧録を出版する以上は、同時に当時の取材関係者(総理秘書官等)にオフレコの公開可否を確認し、できるだけ明らかにしないと政策決定過程などが明確になりません。確認を取って、回顧録との裏付け作業を行う義務があるように思います。(外交安保で問題になる話はもともとオフレコだろうと言わないはずです。)
インタビューで聞いてないこと:マスコミについて
マスコミにの取材についてどう思ったのか?の質問がありません。回顧録の端々にもマスコミに対する不満めいた発言が出てきます。SNSなどの発信に力を入れた点を最後に嬉しそうに語っています。インタビューで「聞いていないこと」として強く文句言いたいのは、このマスコミとの関係です。ジャーナリストの神保哲生氏が厳しく指摘しています。
読売新聞の尾山宏・橋本五郎氏が、これらのメディア対応について安倍総理に「聞かなかった」のではなく、「自分たちが困るから聞けなかった」のです。この点は回顧録の編集上の大きな汚点です。これを聞けなかったことで、メディアの関係の検証が全くできないまま闇に葬られました。
北村滋氏の「監修」について
監修にあたったのは北村滋氏。内閣情報官・国家安全保障局長として安倍内閣を支えてこられました。退任後に2022年6月に日本テレビHD・日本テレビ放送網の監査役にもなっていて読売グループとの近さを感じます。現在は読売国際経済懇話会(YIES)の理事長もされています。講演動画もあります。
北村氏の「監修」として、気になる点があります。外交安保で支障ある部分は手を入れて、具体的には公開を止めた部分もあるかと思います。特に拉致問題は現在進行中の人命がかかっている事案で、公表差し止めもやむを得ない面があるとは思います。
しかし、それ以外で本当に削除などは全く無かったのか。まだ日も浅いので意外に削除部分もあるのではないか、と私は疑問はもって読んでいます。
なお、安倍総理の北村氏への賛辞ももっとあったのかもしれませんが、監修と言う立場で自画自賛と言われるのが嫌で削除している可能性はあるとは感じました。他の方への功績に触れた箇所は結構多いのですが、北村氏は職務に比べて非常に少なくアンバランスさを感じます。それが「内閣情報官の職務の本質」と言えばそうですが。
おわりに
ついでに、編集での注文で付けくわえたいのですが、「人名一覧」はありましたが、人名索引が無いのが親切でない感じはしました。
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