えりアルフィヤさんを応援する
前稿でえりアルフィヤさんに声援を送るということで書き、多くの方にご覧いただきました。私もアンチの罵声も浴びて閉口し、苦笑する貴重な機会を得ました。
なぜ、えりアルフィヤさんを推すのか、前稿では長過ぎて省略したことを言語や歴史を交えて書きたいと思います。
多くの批判的なコメントも目にします。彼女の言葉足らずも無いとは言えません。しかし、罵声を投げかける方も含め、冷静になってえりアルフィヤさんのブログに目を通していただけないでしょうか。
教科書ぐらいでしか見なくて済む「幸運」
私はこのブログを読んだとき、涙が出ました。
「主権、人権、民族、国家、自由」の重みを、実感をもって語れる人だと思いました。これらは普通の人ならほとんど教科書程度でしか見ません。「主権」や「国家」は「今は」教科書ぐらいでしか見なくてもすんでいる「使わなくていい単語」です。
回りくどい表現かもしれないので「政治に無関心」でいられる気楽さと同じ文脈と言うことです。
麻生さんの高校生向け講演。麻生さんが言うからフザケた話に聞こえそうですが、全くそうではありません。逆です。前後関係も5分ごろから9分ごろまで耳を傾けてみて下さい。
えりアルフィアさんが政治に関心を持たれたのは同じ文脈で、これら「主権、人権、民族、国家、自由」を渇望し、切実に感じるところにルーツがあることも無関係ではないでしょう。だからこそ、「当事者として」苦しみ、経験をしてきた彼女の外交・安全保障の話を聞いてみて欲しいのです。
私がえりアルフィヤさんを推すのは、これらの単語をこれからも教科書程度だけでしか目にしなくてよくするために、「えりアルフィヤを使いこなそう」ということです。
彼女自身も国際情勢での緊迫感を語っています。
「日本が世界をリードする」にこやかな挨拶の重み
7か国語で「日本が世界をリードする」を明るく、にこやかに披露しています。
しかし、この陰にある民族の興亡の歴史と政治に翻弄された人々を思わないわけにいきません。
このウイグル語は「現代ウイグル語」で、9世紀から16世紀頃にウイグル文字で表記されていたウイグル語とはほぼ別の言語とされています(諸説はあるようですが)。文字もいわゆる改良アラビア語で字幕もそうなっています。ウイグル文字ではありません。ウイグル文字は断絶し使われていません。
ウズベク語は、アラビア文字、ラテン文字、キリル文字(ロシアで使用されています)と国際政治に翻弄された事情でしばしば変更され、現在はラテン文字を使用されています。字幕もそうなっています。
両方とも伝統の独自の文字ではありません。知識として知っていても、いかに大変なことなのか動画みて改めて思い知らされました。そして、中国政府による言語政策でウイグル語も危機にあります。
また、動画の中国語について。私も中国語を習いましたが、数秒の彼女の中国語の中に「母語感」を感じませんでした。nativeの「ギトギト感」や「泥臭さ」がない「正しく勉強した中国語感」です。
えりアルフィヤの母国語は日本語
中国語より英語の方が遥かに(桁違いに)上手い印象です。そして何より、彼女の「母国語」は日本語だと確信しました。アンチの方が叩く目的でアップされたのかもしれませんが、この動画の北九州なまり。
私は全く逆で非常に好感が持てました。国連で働いていたり、英語のうまさに「別世界の人」感を感じる人いるかもしれません。激怒と言うより自然な口調に「その辺の子」感の身近さを感じました。(本人はどう思ってるかわかりませんが)同僚(部下)の愚痴聞いている感覚です。
話がそれましたが、ウイグルと同じような話を、私も知人に中国国籍モンゴル族の方が日本にいて、実情を聞いたことがあります。楊海英氏の著作のほぼそのまま、それ以上です。私の知人も母語はモンゴル語である一方、日本の大学や企業で「中国人」として扱われ、中国語の仕事をする苦しさ。
これらの苦しさを大国である日本では簡単には、「今は」理解されないのかもしれません。単なる無知のまま、罵声を浴びせるのはやめてください。しかも、「中共悪い」の単純図式だけはとても説明できない複雑な事情です。
日本はどうでしょうか。ひらがなカタカナ漢字を何の疑問も持たずに使っています。明治時代の森有礼の日本語廃止論や戦後すぐのローマ字運動等は笑い話としてしか今は扱われていません。
しかし「言語や文字の危機」は本当に今後も他人事でしょうか。えりアルフィヤさんほど民族、言語、文化の危機や存亡に敏感な政治家は(当選すればの話ですが)いないはずです。
彼女の両親を悪く言う方は実情を理解しているのか
騒動で最も腹立たしかったのは、彼女の両親を悪し様にいう反応があったことです。「親がスパイ。親が中共工作員。」何の根拠でそう言っているのか、これ以上の侮辱は無いと感じ、憤りを感じました。
彼女の両親も母語は中国語ではないと思います。選んで学んだ私たちと違い「習わざるを得なかった事情や環境」を想像して下さい。そして一方で、日本に留学し勤務先で期待されるのはあくまで中国語の能力です。彼女の両親も日本の企業で中国語での業務を通じ日本にも貢献してきました。それに対して最大級の侮辱です。
元号「令和」の典拠『万葉集』の風景
「帰化一世が」「帰化が」「元外国人が」何度となく目にして辛くなりました。それでは古代の帰化人は何なのか、考え込んでしまいました。古代史は帰化人の存在無しで語れるのでしょうか。古代については聖徳太子の憲法十七条を引き合いに出しています。
私も憲法十七条で似たこと書いていたので共感しました。
一方で、元号「令和」の典拠である万葉集の成立の動機や背景を想像しました。白村江の戦い(663年)前後で、多くの方が大陸や半島から亡命などでやってきました。その中で「自分」を表現する必要性に迫られたと思います。今で言うIdentityの危機に瀕しました。これが古事記・日本書紀・万葉集の成立の動機や背景ではないかとの指摘は多くあります。
ひらがなカタカナもない中で、中国古典を参照しています。万葉仮名を編み出し言語と文字に苦闘。ここに帰化人の助けを借りていないはずがありません。私も中国・韓国語を学んだ時に助けてくれた友人たちの顔が思い浮かびます。
史上初めて元号の典拠を漢籍ではなく国書から撰びました。この意義は、実は万葉集の成立までの苦闘に手伝った帰化人たちの存在ではないかと、私は感じました。漢籍典拠ももちろん大変ですが、奈良時代の国書は日本人が「書いた」作業の苦闘の実績です。実際、英語でもreadingはまだしもwritingは正直しんどいです。
令和の世に帰化人の助けを得て何が悪いのでしょうか。それこそ奈良時代の律令制定に関与した帰化人を見つけて罵りますか。
明治のお雇い外国人にも敬意払ってきた
明治のお雇い外国人にしてもそうです。外国人に敬意を以って接して学び活かしています。異人斬りの横行した幕末からわずか数年です。異人斬りは明治に入りピタッと止まっています。攘夷ゴッコは卒業してます。
お雇い外国人に反発は無いとは言わないまでも、大半は異論をある方含め明治政府の高官たちも敬意を以って接しています。
えりアルフィヤさんにスパイだの工作員だの単語が飛び交っていますが、明治時代にはアメリカ人の外交顧問デニソンがいました。明治時代のデニソンにそんな罵声浴びせた話は見たことありません。見つけたら教えて下さい。
明治時代にも敬意を払って議論できたことが、この令和では、できないことですか。
前稿でも言いましたが、考えてみれば「祖国」と気安く言えるのは日本が歴史的な大国だからという幸運です。日本を大国にしてきた原動力のひとつは、外国から来た方に敬意を以って接して、学び活かしてきたことではないでしょうか。
えりアルフィヤさんの訴えに耳を傾けてみてください。
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