安倍総理を追悼する⑥日ロ交渉・長門の無念(世界史の中の岐阜④)
安倍総理の業績は主にFOIP(自由で開かれたインド太平洋)など外交面で語られます。単に業績を讃えることだけが追悼ではなく、やり残した課題、うまくいかなかった検証を語ることも故人を偲ぶことになると思います。(なお、国葬反対などの一笑にすらならない馬鹿げた雑音に耳を貸す必要はありません)
成功とは言えないものに、日ロ外交があります。筆者としては、国葬にはプーチンこそ来てほしかった思いがあります。日ロ外交の経緯については駒木明義『安倍vs.プーチン ―日ロ交渉はなぜ行き詰まったのか?』筑摩選書が詳しく論じられています。
朝日新聞らしいアベガー批判のおかしなノリは無く、大方の評価として賛成なのですが、安倍内閣終わるまでの話で止まっており、そこでの成果だけの検証でよいのか、今後の研究も待たれます。一方でこの6月には本人が文化人放送局で出ていても日露交渉についても語っています。
出演者が仲良し同士と言うことで盛り上がっています。
しかし、ロシアも、ウクライナ侵攻の後始末がどういう形になるのか、いわば、日ロ交渉の「最終的」な成果を見ないまま、最期を迎えられた無念さも感じます。
交渉でのひとつのトピックは2016年12月の山口県長門市での会談です。
正直、これは確かに悔しいが二国間交渉としては失敗に終わったとしか言いようがありません。しかし、「自由で開かれたインド太平洋」の構想から見た場合に、中ロが連携していてはうまくいきません。対中国を中心に見た場合は、ロシアとの協力関係も欠かせません。
言い換えるなら問題はあるとしてもロシアに妥協してでもインド太平洋構想を優先という考え方の一端でもあるのではないか、正直今の時点ではこの評価は難しいと思うのです。
しかし、地元だけあって、安倍総理自身も「長門合意」など歴史教科書の事項にあがる成果をあげたかったのではないかと感じます。
長門市は、日露戦争・日本海海戦(明治38年5月27日)でのロシア兵の遺体が漂着し、墓碑もあります。
筆者としては、歴史に向き合ってきた安倍総理がプーチン大統領とともに、日本海に面した将兵の墓碑に手を合わせる機会があったらと思っていました。
昭恵夫人が、訪れ、献花もしています。
さらに、長門湯本温泉大谷山荘での日露首脳会談のメニューを見てください。地元の温泉旅館での待遇で筆者としては、安倍総理のなみなみならぬ意気込みと言うか凄みを感じます。
安倍総理の意気込みと、言い知れぬもどかしさがこの豪華なメニューに、そのにおいを残しています。
ロシアと言えばウオトカですが、このベルーガノーブルはロシアでも最高レベルです。しかし、日本のウオトカとして筆者の地元岐阜県からも「「参戦」しています。(もっとも、プーチンはウオトカは呑まないのですが。)
「長門合意」に至れば、歴史に名を遺すウオトカになるはずだでした。残念でなりません。
どのようにして、このウオトカを歴史に名を遺すようにするのか、できるのか、奥飛騨ウオトカは、飛騨の山中で静かにその時を待っています。