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安倍総理を追悼する②国内での演説談話にみる「歴史観」

安倍総理が歴史と向き合ってきた言葉の数々。改めて追悼の想いとともに、歴史を語り、歴史に名を遺した政治家であったように思う。

それを表す国内向けの5大演説のなかに垣間見られる歴史観。筆者の同意見を太字にした。

(1)明治150年記念式典演説(平成30年10月23日)

 近代化への道のりは、大きな危機意識の中で始まりました。当時、技術に先んじる列強が植民地支配を進め、その波がアジアにも押し寄せていました。国力に後れを取っていた我が国は、正に国家存亡の危機に直面していたと言っても過言ではありません。
 独立を守らなければならない。当時の人々は、文字通り命懸けで、情報を集め、策を練り、そして、果敢に行動しました。内外旺盛な交流により、学びに学んで、最先端の知を貪欲なまでに求め、それにとどまらず、日本の良さや伝統をいかしたものにまで高めていきました
 五箇条の御誓文が、古い陋習を破れと説き、身分や階級を問わず志を追うべしと勧めたとおり、新しい国づくりに際しては、それまでの身分、武士・農民・町民の別に関わりなく、若者や女性を含め、志を持った人々が、全国各地で躍動しました。外国からも多くの人々が訪れ、我が国の発展に大きな役割を担っていただきました。

 我が国の近代化は、西洋に比べて、極めて短い期間に行われました。それまでの歴史の礎があっての飛躍であろうことを併せ考えたとしても、それを成し遂げた先人たちの底力、道半ばで倒れた方々も含め、人々にみなぎっていた、洋々たる活力、志の高さに驚嘆せずにはいられません。同時に、今を生きる私たちも、これを誇りに力強く歩んでいかなければならないと思います。

(2)主権回復・国際社会復帰を記念する式典式辞(平成25年(2013年)4月28日)

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 61年前の本日は、日本が、自分たちの力によって、再び歩みを始めた日であります。サンフランシスコ講和条約の発効によって、主権を取り戻し、日本を、日本人自身のものとした日でありました。
 その日から、61年。本日をひとつの大切な節目とし、これまで私達がたどった足跡に思いを致しながら、未来へ向かって、希望と、決意を新たにする日にしたいと思います。
 国、敗れ、まさしく山河だけが残ったのが、昭和20年夏、わが国の姿でありました。食うや、食わずの暮らしに始まる7年の歳月は、わが国の長い歴史に訪れた、初めての、そして、最も深い断絶であり、試練でありました。
 そのころのことを、亡き昭和天皇は、このように歌にしておられます。
 「ふりつもるみ雪にたえていろかえぬ松ぞををしき人もかくあれ」

(3)新しい元号「令和」について 平成31年4月1日


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万葉集は、千二百年余り前に編纂された日本最古の歌集であるとともに、天皇や皇族、貴族だけでなく、防人や農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ、我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書であります。
 悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然。こうした日本の国柄を、しっかりと次の時代へと引き継いでいく。厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人ひとりの日本人が、明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そうした日本でありたい、との願いを込め、「令和」に決定いたしました。

(4)「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録決定を受けてのメッセージ(平成27年7月5日)

 幕末から明治にかけ、日本が西洋技術を取り入れながら、自らの力で人を育て、産業を興し、産業国家となったことを物語る「明治日本の産業革命遺産」。

 海外の科学技術と自国の伝統の技を融合し、わずか50年あまりで産業化を成し遂げた日本の姿は、世界でも稀有であり、人類共通の遺産としてふさわしい、普遍的な価値を持つものです。

(5)恒久平和への誓い(靖国神社参拝後の談話)平成25年12月26日

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 御英霊に対して手を合わせながら、現在、日本が平和であることのありがたさを噛みしめました。靖国参拝については、戦犯を崇拝するものだと批判する人がいますが、私が安倍政権の発足した今日この日に参拝したのは、御英霊に、政権一年の歩みと、二度と再び戦争の惨禍に人々が苦しむことの無い時代を創るとの決意を、お伝えするためです。
中国、韓国の人々の気持ちを傷つけるつもりは、全くありません。靖国神社に参拝した歴代の首相がそうであった様に、人格を尊重し、自由と民主主義を守り、中国、韓国に対して敬意を持って友好関係を築いていきたいと願っています。

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