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感想:素晴らしき世界 【ネタバレあり】

※以前のアカウントからの転載となります。
記事自体は2021年1月に書いたものになります。

SNSで流れてきた予告みて、太賀だしってなって気になって朝イチで見てきました。
予告から想像していたものからはいい意味で裏切られました。
ただ朝イチには重かった😅

★★★★☆
4or4.5って感じです。よかった。重いけど。

ストーリーは、三上(役所)は生き別れた母親を探すために刑務所にいる頃に自身の身分帳をTV局に送っていて、それを見たTVディレクター(あ長澤まさみ)が御涙頂戴のエンタメになると密着取材を企画し、後輩(太賀)と出所した三上に関わることから始まっていく。
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一度ぶち切れると手がつけられないトラブルメーカーである半面、他人の苦境を見過ごせない真っ直ぐな正義感の持ち主。はたして、私たちの身近にいてもおかしくない三上という男の本当の顔はどれなのか。そして、人間がまっとうに生きるとはどういうことか、社会のルールとは何なのか、私たちが生きる今の時代は“すばらしき世界”なのか。
引用:素晴らしき世界公式サイトより

自分の居場所とぬるま湯の違いってむずいよね

社会で生きるということは1人では生きられないということ、そしてカテゴライズされ、グルーピングされ、みんなそれぞれの居心地のいい箱の中を探しているんだよなぁと三上の奮闘を見ながら考えてました。

三上は元ヤクザ者でまともに働いたこともなく、希少の荒さもあるから最初はなるべく人と交わらないように生きようとするんだけど、なかなかそうもいかない。
ケースワーカーとの面談も、免許の教習も、安アパートでの近隣トラブルも、1人で誰とも関わらずになんて無理な話で。

これまで関わってきたのはヤクザと刑務所の人達だけの三上は、カタギの世界でうまいこと立ち回れずに激昂を繰り返し、一度昔の兄貴分のところに逃げてしまうシーンがあるんだけど、気持ちわかりすぎて胸が痛かった。

自分がいるべき場所、輝ける(かもしれない)場所は居心地のいい(ぬるま湯)箱とは違うのかもしれない。
というか、最初はフィットしない箱に徐々に自分が形を合わせて居心地を良くしていくんだろう。

生きてると、ここが楽な場所ってわかってくるから私もこれまでの人生での中で良くも悪くも自分で線引きして今の居場所にいる感覚がある。
でもきっと荒波に揉まれた方がいい時もあって、その場所から逃げちゃダメな時もあるんだけど、年取るとその判断鈍るよなぁと。

タイトル「素晴らしき世界」は皮肉なのか、、、

三上が出所してから出会っていく人たちが、めちゃくちゃいい人ばかりで。
特にスーパーの店長(六角精児)がめちゃくちゃいい人すぎる。
店長が三上のことを思ってあえて苦言を呈したのに、不貞腐れてカタギの世界から逃げた三上が、結局昔の居場所も今は居心地のいい箱では無くなっていることに気づいてまた戻ってやり直すんだけど、喧嘩別れしたのに仕事見つかった三上に本当にいい笑顔で「よかったねぇ〜」って言ってて、もうジワーーーーーーーって涙出ちゃった。

ケースワーカーも最初は普通の融通の効かない役所の人って感じだけど、徐々に三上に親身になっていって仕事を紹介する。

でもこんな人本当にいるのか?って思った自分もいて。
正直な話、私にとっての店長は見当たらない(気づいてないだけかもだけど)。それに、自分にも店長ほどの善意がない。
三上だからの善意なのか。(一種の憐れみのようなものもあるのだろうか)

映画を見ててこんな店長と出会えた三上の世界が素晴らしき世界よなって思ったんだけど、私が私にとっての店長に気づいていないように、三上自身も店長の善意にどこまで気付けているかはかわからない。

こんなのはファンタジーだよっていう現実の突きつけなのかな。。。

お前みたいなやつが結局何にも救わねぇんだよ

映画の中で一番印象に残っている、まさみが太賀に放ったセリフ。

三上の密着取材中にサラリーマンに絡むチンピラ2人を見過ごせず注意した三上が、暴力性を暴発させてギンギンの目でチンピラを暴行し始める。
三上の暴行をカメラを抱えてただ呆然と見ることしかできない太賀から、カメラを奪って暴行する三上を撮影するまさみ。
太賀は焦ってまさみからカメラを奪い逃げ出し、それを追いかけてカメラを一度奪い返してから大河に投げつけて言い放ったのがこのセリフ。

自分に言われているようでぎゅーーーーんてなった。
でも世の中太賀ばっかりな気がする。
だから素晴らしき世界なんてないんだよってことなのかなぁ。

店長もケースワーカーも太賀も現実であってほしいと願ってしまう

現実なんてこんなもんだよな、ちょっと無理して、ちょっと我慢して、なんとか居心地よくして生きてくもんだよなと思っている反面、どこかでやっぱり自分にとっての店長やケースワーカーや太賀にいてほしいし探しているし、いるって信じたい自分がいる。

後半、太賀は三上の母親探しに取材関係なくサポートし、(おそらく)母親への幻想に気づいてしまった三上を励ますお風呂のシーンがあるんだけど、その優しさは現実であってほしい。

映画の後半、三上はすっかりこの素晴らしくない世界に馴染んでいく。
我慢することを覚えて、その箱の形に体を合わせるように仕事仲間の愚痴に口裏を合わせる。

そのシーンを見た時に、なんとも言えない残念な気持ち、やるせなさが込み上げてきた。
そしてその後に続くラストシーン。
三上の葛藤にちょっとだけほっとしている自分がいた。

今回も汚い感情もちゃんと事実としてプラマイゼロで描かれている

西川さんの映画は「ゆれる」しか見てないけど、「ゆれる」はすごい好きなタイプの映画。
「ゆれる」もそうだし、私がいいなと思う作品は、実社会で人が生きてれば感じるであろう憎しみとか諦めみたいなネガな部分を否定も肯定もせずちゃんと描かれている映画にグッとくる。
この映画でもそういうリアルがちゃんと描かれていた。
そしてそれがリアルすぎて、突きつけられてちょっと苦しかった。

やっぱり素晴らしき世界があるって信じたいなぁ。

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