新連載がはじまります
PLANETSさんのnoteにて、新連載がはじまります。
「母と娘」の物語についての批評です。
これ、個人的にはチャレンジというか、がんばって書くつもりで。いや、いつもがんばって書いてはいるし、新しいものを探して書いているつもりなんですが。笑 でもジャンル的にも内容的にも挑戦だなあと。
普段、連載がはじまるときはTwitterで告知して終わりなのですが、ちょっとこの連載は、長めに個人的まえおきを書いておきたいと思って。注釈のつもりで。
「母と娘」については、ずうっと興味のあるテーマで、ずうっとなんか書きたいなあ、と思っていた。
でも、書きたくないな、いつか書ければいいかな、とも、同じくらい思っていた。
なぜかというと、単純に、こういうものを書くと「三宅さんは母娘問題に悩んでたんだ」て思われそうだからだ。笑 というか、もっとありていに言ってしまえば、最近はやりの言葉でいえば「毒親に悩む娘だったんだー」と思われるのが嫌だった。
ぶっちゃけてしまえば、私はいろんな面でかなり恵まれてる人間だと思っている。それは家庭という意味でもそうだ。両親にも大切に育ててもらっていたし、母親との間に軋轢はとくにない。普通にいい家庭で育ってきた。そりゃ反抗期もあったけど、まあ、ごく平凡な親子関係のなかにいる。そこに何も物語などない。
だから「母と娘」というテーマも、「自分の悩み」のような小さなものではなく、「いちばん興味のある問い」なのである。
ではなぜ興味があるかといえば、単純だ。それが私にとってはいま一番、物語の世界で語られているのに語られていないこと、に見えるから。
母と娘の話は、少女漫画でも、小説でも、ごまんとある。最近とくに増えている。とにかくみんなが、物語で読みたがっている。そこに何かあるのは分かる。だけど、それがちゃんと解読されているのかと言われたら、そうは思えない。フィクションでは語られても、現実的な言葉でそれを解説しているとは思えないのだ。
もちろん臨床の専門家や、「毒親」ブームのエッセイによる母娘語りはたくさんある。Twitterでもたくさん見かける。でも、私が知りたいのは、もう少し手前の話を解説する言葉なのだ。つまり「毒親」と言われるような精神的虐待、とまではいかない、そうではない、もっと手前の場所にある、「普通の母娘」のなかにある何かが、フィクションでは語られているのに、現実の言葉にはなっていないように思えた。(私もうまく言えないけれど)。
あんなに有名な『イグアナの娘』も、『日出る処の天子』も、『愛すべき娘たち』も。川上未映子や村田沙耶香や宇佐見りんのデビュー作も。表現しようとしているものは分かるのに、それらの物語を、ちゃんと読めて、言葉にできているような気がしなかった。
こんなに膨大な作品群があって、もっともっと語る言葉が多くていいような気がするのだが、他のテーマに比べて、なぜか解読されていないような気がした。
「フィクションでは語られているのに、現実ではみんなが口を閉ざすもの」――それは、書評家としてはいちばん興味がそそられる対象だった。
まあ、ちゃんと読みたい、言葉にしたい、と思ったわけです。
たぶんそれらが語られていないのは、これが女性の話だから、でもあると思う。少女漫画を批評する言葉は、明らかに少ない。でも、少女漫画はほんとうに、たしかに、描いてるのだ。何十年も前から。とても大切な話を。
というわけで、PLANETSさんにご縁があって書かせてもらえることになったとき、ぼんやり思ったのだった。「母娘物語の批評、書けるかなあ」と。
そんなわけで、いままでの文体解説や小説書評とはまたちょっとテイストも違いますが……読んでもらえたら嬉しいです! 途中から有料なのだけど、どうにか最後まで書いて、まとめられるように私も頑張ります。いや、連載なので、どうなるかはまだ全然わかりませんが。書きたいもの書けるといいな……。
よろしくお願いします!