投扇興の雅号の理由
投扇興に行った時のことを急に思い出した。
三度かな?投扇興に行ったことがある。
そこで聞かれたのが【雅号】
持ってるわけがない。
毎回適当に考えた。
最初は忘れた。2回目は薫、3回目は彩。
(私の名付け第1候補 "彩" と第2候補 "薫")
どんどん面倒くさくなった感が丸出しだけど、雅号を使うのは「身分を伏せ、対等に遊ぶため。」という理由だけはちゃんと覚えてる。
ある程度は服の布の質や持ち物でバレたんじゃないかと思うけど、対等だってルールがあれば、その場は楽しく"対等"ができたんじゃないかと思う。本名を知らないもの同士の友情なんてのもあったかもね。
人に無いものを生まれながらに持っている。
それを自慢に思えない場面もあると体験したことがある。それは予想以上にいい気分ではないと知ってる。
身分というのも、そんなことがあったのかも知れない。
何も悪いことしてない。より良く生きようと頑張ってる。でもズルいと言われる。
中国から伝わった投壺(とうこ)を分かりやすいルールに変えたのは、商人かな?武士じゃなさそう。
身分不問はただの分かりやすいルールのひとつなのかも知れないけど。
自己紹介が苦手で、人の肩書きを気にしてしまいがちな私は、時々、雅号のことを思い出してる。