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寒波よ去れ

A.M.10:31
寒い日のあっついコーヒーは格別に美味い。
美味いけど、気温はあったかいのに越したことないな。寒波よ去れ。

歳を取るにつれてめっきり寒さに弱くなってきたので、冬に着るものはすべてあたたかさ重視にしたい。が、化繊は肌にかゆみと乾燥が出てしまう確率が高いのと、静電気がつらいのでなるべく着たくないわがままbodyゆえ、少しずつ天然素材のものに移行したいと思ってる。

天然素材の中で一番自分がしっくり来て、身につけていても心地よいのが麻と綿なので、夏は麻メインに、冬は綿をメインにしていけたら良いな。

それと同時に、断捨離も進めたい。
もともと捨てることが苦手な性分だが、特に親に買ってもらったものが未だになかなか処分できない。物を大切にすることはもちろん良いことだと思うけど、感謝して手放す練習もして行こう。ゆっくりね。

今年はとにかく身軽さを目指したいぞ。


P.M.2:17
今日はやりたくないと感じたことは一切やらない

自分で勝手に「やらなきゃダメだ」と決めつけてるだけで、やらなくても実は別段問題ないってこと、意外とあるよね。


P.M.7:31
実家に出す郵送物を郵便局で送り出し、最近あまり行っていなかったスーパーで買い出しをして帰ってきた。久しぶりに行くスーパーって新鮮で良い。

このところ、実家の母は全然電話に出ない。
昨年後半に体の不調が見つかり、それと同じころに、鬱を患っていることも判明した。以来、母はほとんど電話に出ない。聞きたいことがあっても、連絡をつけるだけで一苦労だ。

数日前から郵送物のことで聞きたいことがあり、何度も電話して、今日やっと連絡がついた。

電話口の母の声は、元気だった頃に比べてだいぶ小さくなった。

それでも、最近処方が変わった薬が合っているのか、鬱が判明した頃に比べたら意識もはっきりしていて、普通に会話も通じるので、少しほっとする。

今の母に、父はとても優しい。犬猿の仲だと思っていたけれど、今の父は献身的だ。母のために変わろうと努力しているんだなと思う。70を過ぎて、人ってこんな風に変われるものなんだと思ったりもする。(私が見ていなかった父の別の一面が今になって見えてきた、ということもあるかもしれない)いずれにせよ、母のために、色々なものが変わった。

私が昔おなじ病にかかっていた時に母からかけられた言葉や取られた態度のことを思うと、時々納得いかない気分になることもあるけれど。

私の鬱って、あの孤独に苦しんだ期間て、何だったのだろう。
と思ったりして。

でも、それはそれなんだろう。母の鬱は母の鬱、私の鬱は私の鬱。それだけのこと。当たり前だ。そう思えるようにもなった。

細かいところを見ていけば、逐一「うーん…」と思うこともある。でも、総体的に見たら、なんかまぁ、うん、良い流れになったね。みたいな。年末年始にかけて、本当に本当に大変なこともたくさんあったし、これからも色々あるだろうけど、とりあえず今のところは、そんな気分に落ち着いている。

すべては流れていてるものだから。
全部変わっていく。

長いよ。話が。


P.M.9:06

お風呂も早くに済ませたし、夕飯も食べた。一日を終える準備は万端。残った時間は、『回復まで』を読む時間に充てようか。そしてぬくぬくの布団に包まれて、今日も早く寝てしまおう。

ひとつ失うものがあれば、ひとつ得るものがあるというのは本当のことかも。と最近思う。私が最近得たものは、規則正しい生活と健康的な食習慣。これが結構、気に入っている。誰にともなくお礼を言っておこう。ありがとう。

早く寒さも落ち着いて、春を感じるほどにあたたかくなって、母の調子も今より少し上向いたらいいなと思う。

とにもかくにも。寒波よ、去れ(これで3度目だぞ!)

おやすみ


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