自分に諦めていた私の#想像していなかった未来
「ちょっと聴こえづらいくらいでしょ?」
「しゃべれるから聞こえてるよね?」
誤解され続ける難聴者。
ちょっとした事。と思われがちだけど、生活していく上では結構大きな事だと思う。
「聴こえづらい」ってどんな事か?想像してみて…
小学校高学年頃から聴力検査に引っかかるようになってきた。
それを機に、少しずつ聴力が低下していたのだろうと思う。
曖昧な表現なのは、はっきりと自覚がなかったからだ。
中学に入ると周りの殆どが通うのが当たり前だったけど私は塾にも通わせてもらえなかったし、授業中の聞こえにくさ、わかりにくさが気になるようになっていたので、席替えがある時は、手を挙げて前の席を希望していた。
前の席を希望する子はだいたい、視力の関係で見えにくいからという理由が多く、聴こえにくいからっていうのは誰一人居なくて、結構勇気の要ることだった。
今、改めてふりかえれば、自然と周りのマネをしてなんとかやり過ごしていた。
商業高校だったので、就職に有利と
聞いていたはずが就職氷河期真っ只中で、成績上位の子しか就職を斡旋してもらえなかった。
残りの子は専門学校や短大へ進学か、自力で探すしかなく、私も街の求人情報を頼りになんとかバイト先を見つけた。
バイト先では聴こえにくい事に同情して必要以上に庇ってくれるか、対処方法が分からないのに、クビにできず苦悩する雇い主が多かった。
そんな扱いをされても自分でもどうしたらいいのか分からず、常にモヤモヤして
正体の分からない社会にムカついているだけ。
恋人や友人は庇ってくれ、励ましてくれるけれど、解決方法が分からなかった。
ちなみに、ろう学校や難聴学級というのは存在すら知らずに大人になった。
存在を知った時は、心の底から羨ましいと思った。
アラフォーと言われるようになった頃、手話に出会った。同時に要約筆記と言う言葉も初めて知った。
この情報社会で当事者にこれ程遅れて届くモノなのか?と驚くが、隠しようもない事実…。
手話の存在はかなり前から知っていたけど自分には全く関係の無いものだとしか思えなかった。
変わったのは、自身の経験談を手話で話す人に出会った時。
「え?!…私と一緒やん…!」
そう感じるのは初めてだったし、自分一人で抱え込んでいた感情が溢れ出て止まらなかった。
そんな事言ってもいいの?
言ってもどうにもならなくない?と思ってた事を、話す人、熱心に聞く人を目の当たりにして衝撃的だった。
それからは目まぐるしい日々が始まった。
とにかく手話で会話できるようになろうとあちこちに通い、その中の一つに盲ろう者通訳・介助者研修なるものがあり、6ヶ月程、通った。
卒業すると同時に仕事が始まるけど、まだまだ拙い手話なので、怒られたり担当を外されたり厳しい現実だったけど、段々と慣れてきて他のろう者とも手話で会話をできるようになっていた。間違いなく手話の上達に効果があったし
楽しくなってきていた。
(組織でなく個人で活動できるのも私に合っていたのかもしれない。)
何よりも人の役に立てる事が、嬉しかった。今までずーっと、誰かに助けてもらう立場だったのに、自分が役に立っていると直に実感できる活動だった。
通訳・介助者として4年目に入った頃だろうか、初めて手話を知った場所、情報センターから仕事の誘いを頂いた。
実は、手話を勉強し始めた頃にもそんな話があったのだけど、なぜかわからないが話が流れてしまった。当時、声をかけてくれた方は同じ難聴者でご自身の体調が思わしくなく、跡継ぎを探していたようだ。
結局、その方はコロナの混乱期に会えないまま亡くなってしまったのだけど、その後もセンターは人事の入れ替わりが激しく、慢性的な人材不足だったようだ。
2回目に声をかけて頂いた時はトップからの事だった。その方は何度か盲ろう者通訳・介助の仕事を依頼してくれた事もあったから、もしかしたら、その時からテストは始まっていたのかも知れない。
でもその活動は、通訳者・介助者としての立場を経験できる良い機会だった。
センターで働くには手話で会話ができる事が最低条件だろうし、本当なら国家資格も必要な仕事なのに私が入ることになったのは完全に力不足の感が拭えない。
でも、自分自身のコンプレックスであり、弱みであった「難聴」と言う部分が強みになり、当事者だからできる事をやらせてもらえるというのは
自分の事だけで精一杯だった私にとって、本当に考えられないことだった。
社会に出る時、できる仕事が、何もないように感じていた。
聴こえないからと言って色んなことを諦めていた。自分に期待出来なかった。
やりたい仕事よりも、できる仕事は何か?と言う考え方しかできなかった。
手に職をつけるために勉強をしたり、がむしゃらにモノづくりをした事もあるけど、どれも違ったようだ。
当事者にしか分からない事がある。
当事者にしか言えない事がある。
当事者だからこそできる事がある。
自分が悩んだ事だからこそ、相手の悩みに寄り添える事がある。
もっと勉強して視野を広め、知識を深めたいと、資格取得を目指して来春、通信大学へ入る。
もちろん、仕事を続けながら。
家族や友人の中に大卒者はほぼ居ないから想像できなくて、ハラハラするけどすごく楽しみだ。