目を合わせるということ #読書感想文
こんばんわ。にゃみです。
今回は僕の好きなBiSHのモモコグミカンパニーさんの書いた本の感想文です。次回は「きみが夢にでてきたよ」を書くつもりですが予定は未定。
是非これを聴きながら読んでほしい。いや、別に強制なんてしないけど。
はじめに
普段感じたことをノートに文字で書くということは自分の心と目を合わせる行為でもあった。
日頃から自分の考えや思ったことをうまく表現できない不器用なわたしだが、言葉でなら伝わるかもしれない。
ここの文章を読んで、ああ、自分があの6人の中から彼女を一番好きになったことは必然だったんだろうと、そう思った。
なんというか、自分自身ノート、ではなくnoteを始めてかれこれ3ヶ月と少し、最初は別の目的だったのだけど、途中からまさにこの感覚を持ちながら続けてきた。それを代弁してくれているかのような気分になった。
笑顔の意味
だけど1人30秒にも満たない握手会の条件のなかで、何かを伝えようとするには笑顔が一番なことに気がついた。だから、笑う。ファンの人たちは自分の大切な時間を使ってわたしたちに会いに来てくれてるのだ。頭の中でありがとうございますと思っているだけでは伝わらないから、笑顔で愛想をよくする。今でもできているかわからないけど、これまで無駄なエネルギーだと思っていたこういうことだって、人に何かを伝えるという意味では大切なことなんだ。
自分も昔はもっと不愛想だったと思う。今でも素の時は愛想が悪いと思う。
でも好きな人やお世話になっている人、尊敬してる人、そういう人たちに感謝を示すときは、やっぱり笑っている方が伝わるのかなと思う。というか、本当に心から思っていたら自然に笑顔になるよね。
12月の1週目、2週目ととっても尊敬していてお世話になっている人や大好きな人たちに会うために遠出をしていたのだけど、本当に楽しかったし、別れるときは寂しかったけどまた来年も絶対会いましょうねと言ったときの自分の顔は、自分で見れなくても心から笑えていたはず。マスクしてたけど伝わったと信じている。
成長痛
成長痛は次のステージに行くのに不可欠だ。野音のライブは自分的に今ひとつだったところもあったけど、やりきった。それ以降はBiSHと共に成長しているという実感が得られている。自分の痛い思いを避けて楽な方に進むか、痛みを全身で受け止めてそこから逃げずに成長痛に変えるかは自分次第なのだ。
僕は痛いことが嫌いだし苦手だ。特に、人間関係はそう。踏み込まないし踏み込まれたくもないなって思うほう。だけど、最近それが原因でもっと仲良くなりたいのに自分のせいでなれてないなって思うことが多い。学生の時だとそんなスタンスでも時間が解決してくれるような部分がたくさんあったけど、社会人になるとどうしても自分から行かないとだめなんだろうなって思う。いや、気づくのが遅い気もするけど。
人間関係だけじゃない。自分自身のスキルについても、ある程度頑張ってある程度まで行けば「まあこんなもんか。ここから先はしんどそうだからいいや」ってなりがちだった。だけど、それじゃやっぱり味がないというか、泥臭くって醜い努力も必要なんだろうなって本当に思うようになった。
だから来年はそういうことにも挑戦しようかなと思ってる。多分、想像してるよりもひどいことになるんだろうなって思ってるけど、それも含めて自分の選択した、痛みを伴うことに責任をもって、もうちょっと味のある人間になりたいなと思う。
歌詞
採用されなかった歌詞はたくさんあるが、今振り返るとやっぱりどこかカッコつけていて、いい歌詞を書こうという気持ちが前に出すぎていた気がする。
自分のnoteも、もちろんネタのマニアックさもあるけど、やっぱりPVが多いのは狙ったものよりも文章構成とかが荒くても素の自分を出しているもののほうが多い気がする。文章に限らないんだろうけど、やっぱりその人自身があらわれるような表現に、他の人は惹かれるのかなと思った。だから、今回のnoteも一人称が自分だったり僕だったりブレブレだけど直さずに素の気持ちを書いている。
嘘のない言葉しか伝わらない
わたしは苦しいとき、言葉に助けられることがたくさんあった。本物の言葉の裏には本当の感情が潜んでいるから、大変なのは自分だけじゃないって思えるからだと思う。悲しいけど、やさしくて泣いてしまうような言葉ほど、その裏には傷ついた心が潜んでいるのだ。
BiSHに入って書いた歌詞、ツイッターで発信する言葉たちは、心からうれしかったり、苦しんだり、傷ついた自分自身を励ましたりするためのもの。嘘のない言葉たちだ。
僕も性格的には嬉しいことを伝えたいときやしんどいときには音声ではなく文章に頼るタイプだから本当にとてもよくわかる。noteやってるような人間はどこかそう言う気があるんじゃないかな。
本当に伝えたいことを心から削りだして磨き上げたその言葉の持っているパワーは、きっと絶対、届くと信じている。
Nothing.について
自分がBiSHに爪跡を残せるように、下手な歌詞だと思われてもいい、お客さんに本当の気持ちがそのまま伝わるように、私は夢中で歌詞を書いた。
youtubeのリンクを貼ったことにもつながるけど、この曲はBiSHの曲のなかで作詞が誰かを初めて意識した曲だった。そして、やっぱりなあって思った曲だった。この本をまるっとそのまま歌詞にしたといっても過言ではない。ライブやフェスで盛り上がるとか、そういう曲じゃないかもしれない。けど、僕にとってはめちゃくちゃ好きな曲。まさに、彼女の存在証明みたいな曲なんだと思う。
BiSHはアイドル!?
そう、みんなのことを笑顔にできればいい。だから暗い顔は見せずにいつもニコニコ笑っていればいい。これがアイドルの仕事だと思うし、いつでもニコニコしているのは簡単なことではない大変な仕事だ。
僕がBiSHを好きになったこともでんぱ組を好きになったことも同じような理由だけどメンバーの統一感のなさがある。いつもニコニコしているいわゆるキラキラしているアイドルに惹かれない理由はその人、個人の人間味が分からないからなんだと思った。今はなき宇宙を駆ける金色の異端児にしても永遠の魔法少女未満にしても全然いつもニコニコなんてしてなかったしな。
おわりに
わたし自身、一人きりだと孤独を感じるときはたくさんあります。だけどどんなときでも誰かは味方してくれていた、誰かは目を合わせようとしてくれていたのだと思います。
でも、自分から目を合わすことは簡単なことではありませんでした。それは自分の弱みをさらけだすことでもあって、人に弱みを見せることはわたしにとってすごく怖い事だったからです。だから長い間、目をそらして生きてきました。
~中略~
だから、迷ったり、悩んだりしたときは一人の世界にこもらないでまず周りを見てほしいです。そして自分から、何に迷っているのか、何が苦しいのか、どんな方法でもいいので誰かに伝えてほしいです。きっと誰かはあなたと目を合わせてあなたの味方だと言ってくれるはずです。
僕は今まで本当に誰かに頼るということが苦手だった。でも、この半年くらい、人を頼ったり、甘えたり、相談してみたり、できる人はこわいからまだ限られているけど、でも思ったより裏切られないんだって、人を信用してもいいんだなって思うようになった。
そう思わせてくれたその人たちには本当に感謝してるけど、でもやっぱりまだ自分の中ではハードル高いなあと思ってる部分も多い。だから逆に、味方だよって思ってる人からも味方だと思われてないんだろうなあとも思っている。
来年以降の自分は、もうちょっとだけ、壁を低くして生きていきたいな、そう思った。
本当のおわりに
正直「きみが夢にでてきたよ」が出るから合わせて買った本だったけど、こっちの方が読んでよかったと思った。推すつってもガチ勢みたいな推し方はしてなくて、6人の中で一番好き、っていうくらいなんだけど、でもやっぱりこの本を読んだら、あの6人の中で一番自分に近しいのは彼女なんだろうなあと改めて思った。
早く密な空間で、全力で大声で、推しの名前を叫べる空間が戻ってきてほしいと切に願う。