【LAP第8期】ジェンダー単元復習
みなさん、こんにちは!
LAP8期アシスタントのまえこです!
本日、INVITATION代表の松田美幸さんを講師にお迎えして、 LAP8期初めての講義「ジェンダー単元」を開催しました!
日頃カナダにいらっしゃる美幸さんですが、今回福岡までご足労いただきました!
この場をお借りして、御礼申し上げます。
特権とは何か
まず、「特権」について考えさせられる動画をみんなで見ました。
100ドルの賞金をかけたレースをする。
しかし、今から言う条件に当てはまる人は、それぞれ二歩ずつ前に進んで良い。
ここで伝えられる条件は、どれも「労なくして得られる」ものばかり。
自分自身の努力で勝ち得たものではない「特権」の存在に気づかせてくれる動画です。
ちなみに私は8つの条件のうち7つ当てはまった、特権のある部類です。
しかし、私はこの動画を見るまで、特権の存在に気づきませんでした。
なぜなら、特権がある環境が当たり前だったから。
「自動ドア」という例えをすることがあります。
特権がある人は自動ドアがスーッと開くのが当たり前。
特権がない人はいちいちドアに阻まれる。
私は今まで自動ドアが開くのが当たり前で、自動ドアが開かなくてもどかしい思いをする人たちの存在に気づけませんでした。申し訳ない気持ちでいっぱいになると同時に、今から特権があるからこそできる行動をとっていかねば、と心に誓った瞬間でもありました。
ジェンダー不平等の昔と今
美幸さんが大学を卒業した1980年ごろ、まだ男女雇用機会均等法が成立しておらず、女性採用がダメな企業や、採用したとしても自宅通勤に限る、結婚したら寿退社する、などのルールを定めている企業が大半でした。
今でこそ女性も働くのが当たり前で、子育てをしながら働き続ける方も増えてきていますが、今でもなお様々なハードルがあります。
例えば、シングルマザーの人は、家計を自分で支えないといけないという状況であることから、簡単に辞めないだろうということで、過酷な労働規定で働かされたりすることがあります。
「103万円の壁」が現在話題になっていますが、このように所得制限をかけることで、仕事によって得られるやりがい・スキルなどが奪われている女性が多いのも現状です。
アメリカでは、以前アファーマティブ・アクションと言って、黒人・ヒスパニック系の人は、大学進学において優遇されていましたが、該当しない人種への差別であるとの主張から、6月30日に「違憲」と判断されました。
このように、自由の国アメリカで、人権に関する法律が悪い方向にひっくり返されるケースが増えています。中絶禁止の流れもその一つです。
現在の日本のジェンダーギャップ指数は、さらに順位が下がり、146カ国中125位。カナダでは大臣の割合が男女で半々である一方で、日本の女性大臣はたったの2人。
「カナダとかは昔から男女平等だったんでしょ?」と思われていそうですが、1980年代は、どの国も男性の割合が高い、日本と同じ状況でした。
しかし、今は日本だけとてつもなく遅れている。なぜか?
多くの国は、クオータ制といった抜本的な制度改革を進めていった一方で、日本は○年までに女性の割合○%を目指しましょう!という目標だけつくって罰則規定なし。優秀な女性がいれば入れます、というスタイルのため、いつまでたっても女性の割合が増えないのです。
チームの事前課題発表
※特に印象的だった発表と、私なりの見解をまとめていきます!
Aチーム(いただきMONICO!)
・施策①:幼児期からのジェンダー教育
→小学校あたりからの教育がいいのでは?といった意見も出ていたが、私は幼児期から行う意見に賛成。幼稚園・保育園といった狭いコミュニティの中での体験は、その後の人生にかなり影響を与えると思っている。特に何気ない「○○ちゃんは女の子だからおとなしくしなさい」といった発言は、無意識のうちに子供の中に刷り込まれていく可能性が高いと思う。
(ジェンダーとは関係ないが、私が所属していた幼稚園では、みんなの前で発表する機会が多く、当時引っ込み思案だった私にとってまさに「地獄」そのものであったが、あの「荒療治」があったからこそ、小学校に入ってからの勉強・コミュニケーションに苦労せずに済んだのではないかと推察される)
・施策②:女性40%・男性40%・ニュートラル20%
→女性・男性を半々とせず、様々なジェンダーが存在することや、柔軟性をもたせるためにニュートラル枠を設けているのがとても面白いと感じた。
この時点では、枠を設けただけでは女性の割合は増えないのでは?と感じていたが、その後の事例紹介で考え方が変わったので、それはまた後ほど。
Bチーム(しっぽり徒)
・施策①:国家管轄のメタバース構築
→実に面白い。自分のジェンダーを考える機会になるだろうし、お互いの性に寛容的になれるのではないかと期待。1点ひっかかっているのは「国家管轄」ということ。国家によって個々人のジェンダーが管理されるのではないか、プライバシー的にどうなのかとかがちょいと気になるところ。
・施策②:地域コミュニティを活用した教育
→私が目指したい、まさに理想の対話の場。これはジェンダーに限らず、様々な価値観を知り、受容し、自分とは何かを模索する上でも大変重要な学びの場になる可能性を秘めていると感じた。対話の場って、どうしても属性が似たような人が集まってしまいがちなので、本当に雑多な感じを、人工的でもいいから創れたら最高だなと妄想。
Cチーム(たのCおもちゃ箱)
・ジェンダー以外の「自動ドア」:キャラ設定によって変わる見方
→私自身とても心当たりしかない。この人はこう言う人だ!という表面的なものの見方で人を簡単に判断してほしくないと切に思います。そして、一見華やかに見える、いわゆる「陽キャ」の人たちも、また違った苦しみがあるのかな?と思ったりすると、「陽キャ=特権の高い人」というわけでもないのかもしれない?とモヤモヤ中。
・施策:小さいコミュニティから始めて成功体験をつくる
→とても素敵だと思います。いくつかロールモデルができたら、うちでもできるかもしれない!と追随するコミュニティが現れて、最終的に社会的に大きいインパクトを起こせるかも。まずはやってみること!大事!
Dチーム(糸浜な森)
施策:ロールモデル創出のためのクオータ制
→ニワトリが先か、卵が先か問題について、質問が出てたように私もモヤモヤ。
枠だけつくっても意味ないじゃん?とBチームのときにも思っていたのですが、枠を先につくることで、意地でも女性を探すので、一気に事が動く、という事例を聞いてモヤモヤがスッキリ。
コロナが流行り始めた時、あんなにできていなかったテレワークがすんなりできたから、やろうと決めれば案外できるんじゃない?という心持ちになっている。
男女の身体的区別に関する議論
「サッカーは女子に向いていない」と言われていた時代がありました。
今でこそ「なでしこジャパン」など、女子サッカーが主流になっていますが、ここまでの道のりは長いです。アメリカ女子サッカーチームが、男性とのイコールペイを求めて行動する映画が紹介されましたが、常識を変えていく行動力が素晴らしくかっこよかったです。
ジェンダー不平等について「仕方ない」と考えている人が6割以上。何をいっても変わらないという「学習性無力感」、「女性だから〇〇しないと」といった言葉による「意欲の冷却効果」によって、ずっと我慢してきている。しかし、それをまるで女性がやる気がないから、といって片付けてしまう社会ってよくないよね。
女子サッカーチームの苦悩をまとめた記事に対するコメントで多かったのが、「男性スポーツだってマイナーなやつは大変なんだから」というもの。いや、あんたの話は聞いてへんのよ!と思わずツッコミを入れそうになった。一緒に頑張っていこうね、と一言返すだけで、分断は起きず、連帯が生まれるのにもったいない。
「男性VS女性」ってわかりやすい二項対立で語らない!
男性の敵は女性ではなく「家父長制」なんだ!
女子サッカーが市民権を得られるようになったのは、男子サッカーを蹴落とそうとか、サッカー協会に対して文句を言いまくるとかじゃなく、本当の「コアな願い」を誠実に伝えて共感を生んだから。
立場の違いを理解して対話することが改めて大事だと気づいた。
最後に
ジェンダー単元を終えたけれども、私の中に「モヤモヤ」は残り続けている。
しかし、それは悪いことではない。それだけ色んな観点から考えられている、成長している証拠だから。
確固たる正解を見つけてスッキリすることなんてないけれど、今後も自分なりに考え続けていきたいと思ったし、思ったことはきちんと言葉にしていきたい!と改めて感じました。
(モヤモヤを抱えて辛くなったときは、美幸さんおすすめの絵本「挫折しそうなときは、左折しよう」を読んで、気持ちを整えたいと思います笑)