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死を恐れすぎた現代人。もう一度原点を見つめ直す時。

現代人は死や危険を拒絶しすぎている。山菜採り・登山でクマに襲われれば「そもそも行かなければいい」「バカがやること」と言う。
市街地近くの森に熊が現れたら「早く殺せ」「クマなんて絶滅すれば良い」と言う。

現代人のこのような言動には心底呆れている。これは明らかに自然界と人間界の乖離による影響だろう。

一生に一度くらい、自然の中に身を置く経験をするべきだと思う。
“生きる”ということは“殺す”ということであり、当然、いつでも命を落とす可能性があるということだ。

地球環境は古来より、生死の循環によって独自の生態系を気づいてきたのだ。もちろん、死ぬのは辛く悲しいことだ。生物として死を避けようとする本能があるのだから、安全な都市があればそこに人が集まるのは当然だとも考えられる。

しかし、それで本当に幸せなのか?
自然を破壊してまで、自分の命を守りたいのか?このまま進めば、あなた方はこの惑星を食い潰してしまうだろう。

甘ったれた都会っ子共は、危険を避けすぎるあまり、本来の人間として、生物としての営みを忘れている。
それも幸せなことなのかもしれない。一生安全で、長く生きることも良いのかもしれない。しかし同時に、とても大きなモノを失っているとも思える。

地球と繋がる感覚を感じたことはあるだろうか。森を見れば大自然があり、夜空を見れば宇宙がある。足元には地球がいる。
そして、大きな循環の中に自分が在ることを知る。

自然と共に生きた先住民族らは、魂の循環を信じることで、死の悲しみに適応した。その思想は大自然の循環から派生したものだろう。
「非科学的だ」と思うか?
非科学的でも良いじゃないか。現状を見てくれ。先住民族たちが自然を破壊したことはあるか?特定の種を乱獲し、絶滅させたことがあるか?

私たち現代人には死を受け入れる体制が無さすぎる。だからこんなにも無駄に数を増やしてしまったんだろう。

そんなことになるくらいなら、死を受け入れ、自然の頭数調整に身を任せた方がいい。人間の数千年の歴史なんてカスみたいなものだ。
今の自然環境は十億年単位で形成された素晴らしいシステムであり、その偉大な循環を生まれて数百万年の人間如きが改変するなんて愚の骨頂だろう。

生物は死に抗うようにできている。そこにそれが実現できる知恵が与えられたら、当然そこにしがみつくだろう。
しかし、そのせいでまた新たな苦しみが生まれている。地球の人口はほぼ限界に達し、このままでは地球上に人間は住めなくなるだろう。

人間に残された道は三つ。
①自然に帰る。
②自然界から完全に独立する。
③地球を食い荒らし、数を増やし続け、他の惑星に敗走する。

さて、あなたはどう生きるのだろうか。地球人口が80億人を突破した今こそが、大きな転換点となるだろう。人類が聡明な判断を下すことを願っている。

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