人生のターニングポイント【バレーボール部入部】
今までの投稿を読んでいただいた方は知っていただいていると思いますが、
私は中学時代、バレーボール部に所属しました。
それでは、そもそも何故バレーボール部に入部したのでしょう??
今思い返せば、
スポーツしたくてウズウズしていたような気がします。
横浜から転校してきて、
横浜でやっていた軟式野球のチームが近所になく、
あるのはソフトボールチームだけ…。
誘われましたが、子供だった私は、断り続けました。
理由は…、
この年齢になれば、大変失礼な理由なのですが、
ソフトボールをなめてました…。 というか、ソフトボールって女子がやるイメージでした…。”なんでソフトボールを男のオレがやるんだ”、というような勝手な発想でした…。
そこで、中学校に入学したら、一番厳しい部活に入ろう、と考えていました。
しかし、入部後、思い知らされます…。
あの当時、許されていた?? 今ではすぐにニュースになるような部活動笑
いえ、決して当時の顧問を恨んでませんし、むしろ、今でも感謝しています。
その内容を簡単に紹介します。
朝7時に校門が開くのを待ちます→部室で着替え、5分後には校門に集合。
そこから2、3kmほど離れた山に走りに行きます。→約15分で到着。
その山頂にあるお寺まで石の階段が230段ほどです。
これを1分以内に3本クリアして終わりです。
文字にすると以上ですが、
1分以内で山頂まで行くと、下りの時に足がガクガクでヤバいです。
各々作戦を立てて、1本目は絶対にクリアして、
2本目はクリア出来ないけど、力を戻すのに、80%くらいの力で走る、
そこから3本目を絶対にクリア、等々。
それが終わって学校戻ると、だいたい授業前でダッシュで1時間目にギリギリ間に合う、という感じです。
平日はそこから授業でだいたい3時から部活です。
午後は基本を多くやった記憶があります。
壁パス、パス、二段トス、アタック等々。
ちなみに、今ではあまりないかもですが、
当時は他の部活との兼ね合いで外のコートで練習をしていました。
今でも明確に覚えているのは、外のコートでワンマンレシーブをした時、
フライングレシーブをして、体操服の胸に穴が開き、血だらけになっていた事や笑
グラウンド一周タイヤをひいて走り、最後に顧問がボールを持って待っている、そこにフライングレシーブをします。
すると、当然ですが、タイやが上から降ってきます笑笑
※フライングレシーブというのは、ボールがギリギリの所に行ったときに、野球のヘッドスライディングのような感じでレシーブを上げるテクニックです。
体育の授業の時に胸を見れば、バレーボール部とわかる感じの学校でした笑
土曜日は昼ごはんを食べて、近くの備中国分寺という大人になれば、素敵な五重塔があるデートにもピッタリの場所なのですが、そこまで往復約10kmを1時間以内に走って戻ります。
制限時間や様々な決まり事等ありますが、
それではそれが出来なかったらどうなるか??
はい、当然愛のムチです笑
しかし、子供たちも謙虚に全て受けるわけもなく、
ボクサー並みの流し方を覚えていきます笑
顧問の裏拳が当たると同時に顔を同方向にひねります。
すると、ダメージはだいぶ和らぎます笑
しかし、3年間で数回あったのですが、
裏拳が来る方向を流して安心していると、返しの一発がきて、カウンター気味に痛かったりもします笑笑
日曜には他校と練習試合等。
そう、私の学校は1年間で休日は1週間もないくらいでした笑
また、練習試合での忘れられない思い出が一つ。
その日、土曜日、昼ごはんを食べる暇もなく、練習試合を告げられました。
先輩も私もお腹ペコペコです。
内容はあまり覚えていませんが、きっと顧問の思い描くような内容ではなかったのでしょう。
少しの間インターバルをもらいました。
その間に、近所の駄菓子屋だったかな?? 行って買い食いをしました。
当然?、内緒で行ったのですが、練習試合が終わった後、集合がかかりました…(終わった)笑
買い食いした部員は皆顧問を中心に輪になり、
バレーシューズでひっぱたかれるという…笑笑笑
今思い返しても、ギャグです笑
更に、その学校から自分の学校まで、10kmほどなのですが、
”テメーらみたいなやつら、歩いて帰れ!!!”
と車で連れて来られてほって帰られました笑笑
いやー、なかなかスパルタ笑笑
後、夏休み、女子バレー部と練習時間が一緒になる事があり、
女子と練習試合をする事があったのですが、
当時は今とルールが違い、サーブ権がある方に得点が入る、15点マッチでした。
そこでどういう練習試合かというと、
女子14点ー男子0点、女子のサーブから開始します。
どういう事かというと、女子がサーブで得点、又、男子がミスしたら、その時点で負け、ビンタ、というような内容です笑
しかし、スパルタな部分ばかり書いてますが、当然強かったわが母校。
そこから男子16ー女子14で勝てていました。
すごくないですか??(*^^*)
今のルールで言うと、23-0から逆転するくらいのイメージです。
女子バレー部のサーブもそこそこ良かったのですが、
まースパルタ受けながら、自分たちも上達していた、という事ですね。
私の母校出身で春の高校バレーに出ている先輩もいますし、
全中、全国中学バレーに出場している方もいます。
やはり当時のスポーツ強豪校では同じような事はあったと思います。
アメとムチ、というのでしょうか??
正月、元旦にわがバレー部は、近くの日本でも有名な最上稲荷、奥の院という所に走りに行きます笑 はい、元旦です笑
そして、走って学校に戻ると、顧問がたこ焼きを買って待っててくれていました笑 これがアメでした笑
その他、夏休みの練習では竹刀で突かれる事もしばしばだったり笑
又、部活の時間以外でも、油断していると大変です。
部活がきつくて、授業中にコクコク、居眠りしてしまっていた時の事です。
頭に何か落ちてきた、衝撃の痛さで目が覚めました笑
すると、その授業の先生ではなく、顧問の先生が、
窓際に座っていた私が居眠りしているのを見つけ、思いっきりゲンコツを入
れてきたんです笑
その時授業をしていた先生もあっけにとられていました笑笑
当然、顧問は体育の先生だったのですが、
不思議な事に、バレー部の生徒以外からは、
”あの先生めっちゃ優しいし”、という話をちょくちょく聞いていました。
”おいおい、ストレスは全てバレー部にぶつけているのか??”
と思えるくらい狂暴でしたが笑
でも、でもです。
卒業後、顧問と話す機会がありました。
その時に顧問が言ってた言葉がすごく染みています。
”お前らの時はやりやすかったわ。 お前らなら乗り切ると思えたし、
厳しくしても絶対についてくる、というのがあった。
今はそういう信頼関係を築くのも厳しいわ…”
というものでした。
”先生、いやいや、恨んでますよ笑笑”、と冗談で返しましたが、
きっとそういう冗談も言えないようになっているんでしょうね。
いやいや、当然暴力はダメです。
又、私には当時の顧問のように生徒をあれだけ殴って生徒に信頼されている自信はありません。
でも、卒業して改めて、先生の生徒で良かったと思っています。
なんとなくですが、
先生の指導には生徒に対する信頼や愛情があった気がします。
だからこそ、教え子だった先輩たちも先生という同じ職種について、
バレー部の顧問をやり、岡山県バレーボールを盛り上げているのだと思います。
私は先生ではないですが、指導者として、バレーボールやスポーツを指導出来ています。
指導する際には手を抜くことなく子供たち、選手たちに指導しているつもりです。
これらも顧問から受け継いだものなのかもしれませんね。
このバレーボール部との出会いがあったからこそ、
今、ミャンマーでスポーツ指導が出来ていますし、
日本でスポーツ指導、バレー部の指導が出来てきたんだと思います。
これからも、顧問の先生の名を汚さないように頑張っていこうと思います。
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