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どこみてんのヨ!(DAY422)
目の前の「あなた」のことを
想うこと、
祈ることって、
剥き出しの自分と
出会うことでもあるなーと
感じた今日この頃。
あなたは、
いかがお過ごしでしょうか。
「あなた」をほんとうに観れてる?
相手の方向に顔を向けながら
違うことを考えていないだろうか。。。
ちょっと
エロい話になっちゃうんだけど、
ある小説で
「アレの最後を迎え・受け止めながら、
窓の外の景色を見ていた」
という描写があって、
あーーー!
(分かる!めっちゃ分かる!めちゃくちゃ分以下略)
ってなったんだけど、
普段の生活でも
そうなりがちだと思った。
「あなた」を人としてではなくて
モノとか記号とか、
お金とか
愛情を与えてくれる機械とか、
そういった
呼吸をしないものとして
見ていないだろうか?
そんなことを想った。
先日、ある営業を受けた。
わたしが置き去りにされたまま、
わたしに関する契約がどんどん進んでしまう、
ということを経験した。
久々の経験だった。
子ども時代によく感じていた
「どうせ、何を言っても無駄だ」
という無力感、諦め、がよみがえってきた。
でもこれって、
自分も
同じことしてんじゃないか、って思った。
相手の背景をおもんぱかること。
どれだけ、出来ているのだろうか。
わたしが相手のために行動しているとき、
「あなた」の血液に、
なれているだろうか。
在れているだろうか。
そして、・・・そして。
「観」ながらも、
寄り添いながらも、
手を出さずに見守ることも大事なんだと。
また、
相手に嫌われること、
NOと言われることを恐れる限りは
ベクトルが自分を向いているのだと。
そんな自分の醜さも
なだめながら
一緒に進んでいく、挑戦していくのが
明日の一滴につながるのだと、
そんなことを思いましたよ。
あたたかな「くやしい」を味わいながら。
今日も、いってらっしゃい。