私は世界になにを残したいか?
大層なタイトルがついている今回の内容は、前回の吉田ユニ話の続きだよ!
とは言え前回のnote読むの面倒くさーいと言う方のためにあらすじを伝えておくよ!!!
時は西暦2021年、とある大阪のデザイナーは、ひとつのことに悩んでいた。
今まで学んだことのない「アートの基礎」に触れるべきか否か?
もしかすると、基礎を知らないが故に作れるものもあるかもしれない・・・
一度学んでしまえば、知らない頃には戻れない。
果たして彼女は、どちらの道を選ぶのか!
学ぶか?学ばないか?それともイケメソと一緒に爆発するか!?
いま、新たな時代の幕が開ける!!!!!
って訳で、アートの基礎を学ぶべきかっつー話。
それをね、正月早々、私の人生の師みたいな友人に相談したんですよ。
ちなみにこの人生の師は同い年の男友達なんだけど、人生何回目?ってくらいにあらゆる物事に精通していて達観していて、いつだって私の欲しい意見じゃなくてフラットな意見をくれるんだな。
(一緒にクラシックコンサート行った奴ね。こやつに関してはほんとまた書くね。)
で、まぁつらつらと上記の内容を相談したわけですよ。
あえて言うなら、私は「知る」ことに及び腰で。
だって一度知ってしまうと、知らなかった頃には戻れないわけじゃん?
あの頃のトキメキをもう一度・・・🥺ってなるかもしれないじゃん?
そんなスタンスの私に彼が言ったのが、
「君はどのレベルの世界で生きていきたいの?」という問い。
例えば、ひとつ前の岡崎体育とヒャダインの話。
「型を知らないからこそつくれる音楽」をつくっているアーティスト、まぁ具体的な名前は出さないが、彼らが数十年後、音楽の世界で名を馳せていると思うか?
彼に連れられて私が初めて体験したクラシックコンサートでは、バッハだったりモーツァルトだったり、いわゆる歴史に名を残した音楽家たちのつくった音が数百年経った今でも奏で続けられていた。
彼らが果たして、「基礎を学んでいなかった」と思うか?
答えは否だ。
まあ、もしかすると、彼らは「基礎をつくった」存在に近いかもしれないが。
ただ少なくとも、どの世界でもどの業界でも、そのトップに君臨する人々で基礎を学んでいない人間はいないだろう。
これは単に、「基礎を学んでいない」ことが悪と言うわけではなくて、自分が「どの程度の大きさの爆発を起こしたいか?」という話。
恐らく先ほどの音楽の話だと、その年のベストアーティストに選ばれたり、新しい音楽のジャンルとして確立されたり、基礎を知らない彼ら・彼女らも、そう言う小さな爆発は起こせるんだろう。
(もしかすると千年後も奏で続けられているかもしれないが、私はそうは思っていないので、今回はそう定義させて貰う)
私は、グラフィックデザイナーとして有名になりたい、大きな仕事をしたい、みたいな欲がない。
まぁ強いて言えば、「自分の名前」で仕事はしたいが。
それは本業・フリーランスの活動に関わらずなので、「私」と言う人間にお願いして貰うために、日々腕を磨いている。
つまり目の前のひとを自分の力で幸せに出来れば、ただそれだけで良いんだよな。
でも、コロナをきっかけに少し気づいたこともある。
それは、「力」を持っていなければ、目の前のひとすら助けられないということ。
自分のクライアントさんがバタバタと倒れていく中で、自分は「デザインの力」で何も出来なかった。
有名だったらどうにか出来た、とかそういう話でもないかもしれないが、私はこの時、ただただ自分の無力さを痛感した。
今まで目を向けていなかった「地位」や「権力」というものに、初めて目を向けたのだ。
その上で自問する。
私はどっちの人間だ?
小さな爆発を起こしたいのか?
それとも後世に語り継がれるほどの、大きな爆発を起こしたいのか?
「私がこの世を去るとき、世界になにを残したいか?」
答えはまだ出ない。
やべー、真面目な文章になっちゃった。(土下座するデザイナーの絵文字)