ランチアのひと 3

 1995年。
 美紀さんが初めての愛車を探していたあの頃、残念ながらそれほど多くのチョイスはなかった。なぜならば、当時のイタリア車はほとんどがマニュアルトランスミッションで、オートマチックの設定そのものがなかったから。
 欧州のメーカーは基本的にはマニュアル車しか作らない。なぜなら老若男女とわずマニュアルで乗るのが彼らの常識で、オートマチックの需要がないから。オートマチックはアメリカ人が考えた仕組みで、日本はその影響を受けた結果、早くからオートマがスタンダードとなり、のちにオートマ限定免許などというものが登場する。

 イタリア車にも一部のモデルにはオートマが設定されていた。おそらく輸出先のニーズに合わせたのだろう。僕の記憶では、あの頃の日本へ輸入されていたイタリア車は6ブランドで、15モデルを少し超えるくらい。そのうちオートマが手に入るモデルは5つ程度だったろうか。
 美紀さんの希望は、オートマチック車が必須。そこからクルマの大きさなどを考えると、候補となるのはおのずと1つか2つのモデルに絞られる。初めてのクルマを選ぶのに、そんな消去法がふさわしいはずがない。そもそも高価な買い物であるし、おまけに人がどんなクルマに乗るかは、住む家や身につける服飾品、髪型やメイクと同じようにその人の内面や生き方、価値観を代弁する。そんな大事なところに消去法を持ち込むべきでない。
 だが、現実にはあの頃イタリアのクルマに乗るなんて選択は、限られたごく一部のマニアのもので、マニュアルであることは当然、それ以外のいくつもの制約があれどそれを制約と感じないような人たちが笑いながら楽しむ、まさに趣味の世界だった。

 僕らが働いていた喫茶店もまた、趣味の中にあった。駅前には200円も払えばその対価以上に美味しいコーヒーがわずか1分で提供されるような、本当にありがたいチェーンのコーヒー店が賑わうのに、わざわざその5倍もの金額を払い、豆を挽いてネルドリップされたコーヒーが出来上がるのを10分も待ち、ようやく小さなカップに注がれたコーヒーを楽しむ、そんな店。というより、そんな時間に価値を見出してくださるお客様のための店。それはそれは、アルバイトとしても背筋が伸びる。あらゆる所作に心を込めて。

 話を戻そう。
 美紀さんの選択肢は最初から限られていたし、万人受けとは真逆の、むしろ覚悟がないとそこから選べないようなものだった。普通に考えれば、頓挫、断念。だからイタリア車はハードルが高い。
 だが、美紀さんの反応は拍子抜けするものだった。当時はまだスマホなんてないから、バイトの合間に自動車雑誌を見せて、まずはこんなクルマがありますよ、と見た目の雰囲気を伝える。正直に告白すると、そのとき見せた、美紀さんの希望に合うオートマチックのイタリア車は、けっしてそんな第一印象で恋に落ちるような鮮烈なデザインでもなかったのだ。
 よく言えば落ち着いた、悪く言えば地味な四角いクルマ。その良さを理解するには、通訳があいだに入って「ほら、ここはこうなっているでしょう?じつはこれにはこんな背景があってね」などと解説でもしないことには始まらない。
 にもかかわらず、だ。
 美紀さんはいつもの明るい声で、少し興奮気味に、「え、素敵!すごくいい!わたしコレにする!」と、驚いたことにその場でランチアを買うと決めた。

 僕はその先何十年にもわたり趣味や仕事で自動車に携わっていくことになるのだが、あの日の衝撃は忘れられない。イタリア車は万人受けしない。ましてや1995年のオートマのランチアなんて、欲しがる人がいないどころかそもそも誰も知らない。2000年以降、一目惚れに値するイタリア車はたくさん出てくるしそんな場面に立ち会うことも増えたが、あの日のあの一目惚れは僕の中では異様だった。何かの間違いだったとしても諦めがつくくらい。

 そんな美紀さんに、僕はランチアデドラのカタログを渡した。クルマのカタログというやつは、ものによっては横幅が大きくてカバンには入らない。だから電車に乗るのに手に持って運ぶのが厄介で、まぁ、美紀さんが万が一気に入ったクルマがあれば、そのときにそのモデルのカタログだけを持って行こうと決めていた。

 デドラのカタログ。高貴で、上質な、あのカタログだ。

 美紀さんは1995年の女子大生にしてはファッションやメイクが大人びていた。ストリートファッションやモード系ブランドが流行っていた頃だったが、美紀さんはもう少し上の世代で流行っていた王道のコンサバ風で、女子大生というよりOLのようだった。
 だから、ランチアがよく似合う。
 カタログを受け取ると、一瞬驚いたのち、満面の笑みを浮かべ、このクルマは私のためにある、とでも言いたげな表情でまじまじと眺めていた。

 イタリア車は、人生を変える。

 僕は常に、そして真剣にそう信じてきた。実際にそうだと断言できる場面に立ち会ってきたし、もちろん自分自身も体験している。たが、美紀さんの人生に、ランチアデドラはどんな影響を与えたのだろう。美紀さんはランチアと幸せな時間を過ごしたのだろうか。
 
 僕はなぜかそれを、これっぽっちも知らないのだ。
 
 記憶に残るほど鮮烈な、かつ、想定外の一目惚れの瞬間をお膳立てし、目撃したのにもかかわらず。ちなみに、後にも先にも、僕の知る女性でランチアに乗っていたのは、美紀さんただひとりだけだ。

 それなのに僕は、美紀さんとランチアの話を、知らない。あるいは記憶していない。

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