伝説のソムリエール 2
イタリアワインというものが、今だによく掴みきれない。産地と品種と原産地呼称と代表的な造り手という4つの要素が、フランスと比べてなんと言うかこう、体系立って整理されていないというか、型にハマらない自由人が多いと言うか、なんかそんな要素が学びの意欲を削ぐのである。別の表現をするなら、細かいことは気にせず適当に楽しめばいい。そんな言い訳が通用するような気がする。
だから、イタリアのワインが好きです、なんて言ったこともない。どんなものが好き?とかあれはどう?とか聞かれたら答えに窮すること間違いないから。でも実際は好きだ。イタリアのワインは土着品種も多く、その土地に根付いた地酒のような性質が強い。だから、フランスのボルドーやブルゴーニュのような高尚なヒエラルキーがなく、それがいい。ワインが主役ではなく、あくまで料理と合わせて飲む脇役の感覚が、人間中心のルネサンスを興した国、イタリアらしい。
イタリアワインを学ぼう、と思ったことは何度かある。が、必要性を感じないからすぐにドロップアウト。知識と経験がともに備わっている人が羨ましい。そんなことを考えるたびに思い出す。そういえばあの店のソムリエールはいま何をしているんだろう?
幸いにもSNSをフォローしていたおかげで、彼女の今を知ることができた。そしてしばらくの沈黙を経てある時とつぜん、彼女は動き始めた。ただし、ソムリエールではなくパティシエールとして。
SNSの投稿は、あきらかにクオリティの高いスイーツ。知り合いのカフェに納めているのだとか。旬の果物や季節の定番菓子を織り交ぜた、宝石のような美しさ。毎回その絵を見るのが楽しく、すっかりワインのひとではなくなりつつあった。あの品のいい美人が作るスイーツ。パティシエールのイメージもすぐに定着するわけだ。ただ、SNSに顔は出していなかった。
それからしばらくして、動きがあった。そのスイーツを食べられる場所を始めます、と。おまけに前菜、パスタにワインまで選べるというではないか! 封印されていたソムリエールの復活のみならず、料理まで出すだなんて。完全復活の上をいくこれをなんと呼ぶのか、そんなワードを私は知らない。唯一の弱点は、それが平日の曜日限定、かつ昼間だけということ。そう簡単に行ける場所でもない。なので、1年以上もそこへ行く機会を作り損ねていた。
あのワインの説明が聞けるのだろうか?
どんなイタリア料理を作るのだろうか?
偏愛、みたいなワインを合わせるのかな?
きっと自信があるからやるんだよな?
あのきれいなスイーツがメインなのかな?
そんなことを思いながら、その日が来るのをそっと待っていた。
1年が過ぎた。季節は巡る。それは彼女のスイーツのメニューから伝わってくる。春には桜、夏は冷菓、寒くなるとイチヂクやりんごが主役に。パスタの具材も同様だ。
夏のある日、平日の休みを利用して彼女の店を訪れることにした。
それは、とてもとても暑い1日だった。駅から店までの道を歩いた僕は、額の汗とはうらはらに、あたかも涼しい顔をして店のドアを開けた。
正確には、そんな真夏日にもかかわらず、ドアはなぜか開け放たれていた。