ランチアのひと 4

 就職氷河期。自分たちの世代がまさにその谷底にいたと知ったのはずいぶん後になってのことだったが、たしかに僕らの仲間を見渡しても、一部の体育会のやつらは商社や損害保険会社から内定をもらったり、アナウンサー志望の子は狭き門をくぐったり、そんなわかりやすい話はちらほらあれど、なんとなく、全体的には明るい話題は少なかった。だがそれは個人の問題、あるいは学閥の弱さのせい、その程度にしか思っていなかった。あの閉塞感こそが、極限まで冷たく、河なのに流れないどころか微塵も動こうとしない氷河に喩えられた所以ということなのだろう。
 その氷河期のせいかは分からないが、僕らの世代はおそらく、多くの仲間がスタートに失敗し、かたや成功した連中との「差」を否が応でも意識させられた。それコンプレックスや悔しさのような原動力になることもあれば、その差を逆手に取り、いっそのこともっと遠くへ行ってしまえと自由な生き方を選ぶ者もいた。
 僕も就職負け組のひとり。そして、まさにその差を取り戻すべく、第二新卒のような形で大きなITの会社に転職した。まだ、ITという言葉ができたばかりの頃で、そこには日本にIT業界というものをゼロから作った、まぁ変わった人間がたくさんいた。彼らは仕事はもちろんのこと、それ以外のわずかな時間をも最大限に楽しんでいた。やがて、食べることに異様なまでに執着する仲間が集い、ランチタイムの名店探索から始まり、ホームパーティー、キャンプ、ワイナリーでの農作業まで、食と酒に情熱を注ぐ日々を過ごす。
 僕はおのずとイタリア料理の担当。どこで覚えたの?と聞かれるたびに、イタリア車から入って料理やワインのような文化に惹かれていったのだと答えた。
 
 イタリアに暮らす人々の毎日は、マッキナ、カルチョ、アモーレ。つまり自動車、サッカー、愛なのだそうだ。そして来世を信じないカトリックの彼らは、いまを生きる。毎日、美味しいものを食べ、キリストの血たるワインを楽しみ、大声で笑い、すぐに泣く。ひとつの国として見るならば、じつは経済的には貧しい国で、いつ経済破綻を起こしても不思議ではない。だからこそ、日常のちいさな悦びをかみしめて生きている。そんなイタリアの食卓に並ぶ、質素だけれども思わず笑ってしまうような美味しい料理を僕は再現しようとする。料理は、それがいつ生まれどんな場面で楽しまれどう受け継がれてきたのかを知ると、もっと美味しく作れるし、食べるときもいちだんと美味しいものだ。
 だから僕は、料理のことをよく調べる。高校生のころは放課後、駅に程近い大きな書店にほぼ毎日立ち寄り、料理本を読み漁っていた。その中からこれぞと思うものを買い、そのレシピこそがいまの礎になっていたりする。そのうち、料理の文化やシェフの哲学などにフォーカスを与えるような専門誌が創刊され、かつて自動車雑誌を隅から隅まで読み暗記していた頃のように、僕の頭の中はさらに料理で溢れていく。毎月の発売日が待ち遠しくてたまらなかった。

 2018年。
 食べること、飲むことに対する熱意がひとつのピークを迎えていた時期だった。なぜなら、それから1年半の後にはあのコロナが大流行し、外食や会食が大きな制約を受けることになるから。そんな未来が訪れるなどとはつゆ知らず、2018年はただただ美味しい時間を過ごしていた。
 飲食店の情報はスマホでいくらでも手に入る。だが、毎月楽しみにしているいつもの料理雑誌はまだ健在。息を飲むほど美しい料理写真に独創的かつ作り易いレシピが過不足ない文字数におさめられており、近ごろめっきり減ってしまった「わざわざ紙で買いたい雑誌」なのである。もちろん、隅々まで読むし、スマホのメモにも書き写す。
 
 いつものようにそんな時間を過ごしていたのだが、突然、いつもとはまったく違う瞬間に見舞われた。ただお気に入りの雑誌を眺めるというきわめてリラックスした時間は、そこで止まった。同時に、ページをめくる手もテキストを追う目もまた、止まった。停止。フリーズ。

 だが、頭だけは止まらなかった。
 止まらずに、反対方向に回された。
 時間と重力に逆らう動き。
 ただし、抗うことはできない。

 レシピに添えられた、料理家の写真と名前。そこにいたのは、まぎれもなく、美紀さんだった

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