「もし自分のブランドを持つなら」という自由な妄想、あるいは日の目を見なかった作品たち【閑話休題】
服を作るのは自由だ。強制されたこともないし、それをしなければいけないということもない。それで生計を立てているわけでもないし、むしろそれをするためには出費を伴う。ああ、人はそれを「趣味」と呼ぶのだっけ。
「もし自分のブランドを持つなら」。これは妄想だ。そして、妄想は自由だ。おそらく、自分で服を作ることよりも、ずっと。それにはお金もかからないし、機材も必要ない。場所も関係ないし、好きな時にできる。例えば、電車の中や、布団の中で。あるいは重要な会議の時に上の空で。
で、仮にブランドをやるとして、何よりの楽しみはブランドコンセプトを考えることではないだろうか。いや、もちろん人それぞれだろうけど、私の場合は、そうだ。
コンセプトは私の服装観と大いに関わってくる。これは、大小問わず、どのブランドも同じだろう。「なぜ、服を着るのか。」
私の考える、コンセプトの素となるような、短い言葉たち。それをざっと書き出してみる。
服は道具である。
服は着られて初めて意味を持つ。
服は気候や場面に合っていなければならない。
服には着用者を楽しませる効果がある。
こうして書いていくと、どれも当たり前のように思える。
ただ、服にはもっとたくさんの要素がある。例えば、「服は社会への異議申し立ての機能を持つ。」私は、これを選択しない。異議申し立ての服を作りたいわけではないから。そうした服に価値があることは大いに承知しているのだけれど。あるいは、これ。「服は着用者の体型にピッタリとフィットしていれば美しい。」これは、おもにテーラードの世界で言われることだ。でも、私が作りたいのはスーツではない。もしかしたらいつか作りたくなるかもしれないけれど、今ではない。
服には(あるいは服に限らず)、それを構成するたくさんの要素があって、私たちはそれらの中から任意の要素を「選択」することで、出来上がった作品に特徴が生まれる。創造は選択によって生まれる。おや、なんかいいじゃないか。うん、気に入った。これもブランドコンセプトに入れよう。「創造は選択によって生まれる」。ステッチを入れるのか、入れないのか。脇は袋縫いか、折伏せ縫いか、ロックミシンか。ボタンの数は。生地の選択は。洗いをかけるか、洗わないか。襟の形は。……一つ一つは何てことない選択。だが、それらの選択の集積で一つの服が出来上がる。それを感じることができる服の一つだと思うのは、COMME des GARÇONS HOMMEのブロードの白シャツ。これについてはまた後日。
ブランドコンセプト、草稿。ブランド名未定。
「私たちは、『創造は選択によって生まれる。』という考えのもと、服の大部分を構成するファブリックはもちろん、ボタンやファスナーなどの副資材、そして縫い方など、服の基本の部分にこだわり、丈夫で機能的、それでいてつい手に取ってみたくなる、そんな服作りを目指します。」
妄想は自由だ。でもいつか本当にやってみたいなあ、とも思う。
話は打って変わり、これまで作ってきたが、あまり納得がいかず投稿されなかった服たち。
袖が青いシャツ。形は気に入っている。イメージは、COMME des GARÇONS HOMME DEUX。一見ただの白シャツなんだけど、ジャケットから覗く袖が青くね? みたいな。失敗したところは、白生地部分にパターンを引くときボールペンで書いたこと。洗濯で滲んだ。誰が悪いんだ? 私です。
春先に着ると爽やかでいいかもね。失敗した点、袖ぐりを縁取りテープで処理したので、そこだけ硬い。柔らかい生地こそ、折伏せでしょ。(そうか?)
開襟シャツのパターンをベースに、シャツアウターを作りたいと思っている。まず練習として半袖から。構造はなんとなく分かった。ただ、脇のスリットが初めてであまり上手くできなかったので、ワンマイルウェアとして着ようかな。夏までにボタンを付けたい。
【閑話休題】ということで、取り留めなく書いてみた。
ちなみに、それぞれのシャツに使われているボタンは、もともと無印良品のシャツのもの。無印良品のシャツはわざわざ貝ボタンと交換して(手縫い)、着ている。これも「選択」か。
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