旅行記「日日是好日」 | 8泊9日の旅と写真
2024年8月11日から19日、道連れと出会い、別れながらの男一人旅。
時間とともに薄れていく記憶を残すことが目的の、個人的な記録です。
※各SNSに投稿した記事を加除修正し纏めたものです。
長い文章ですが、写真を楽しみながら最後まで読んでくれると嬉しいです。
読んでくださったあなたにとって、旅に出ようと思うきっかけになりますように。
8月11日、日曜日
千葉-大阪-川西池田
午前4時、iPhoneのアラームには「出発」のラベル。
熱いシャワーを浴び、前日に準備したバックパックを背負って家を出た。
始発に乗れば夕方には最初の目的地に着くはずだ。
駅前には一晩中飲み明かしただろう若者たちが歩いていた。
旅に出ると決めたのは些細なきっかけだった。
一人暮らしも長い。
不用品の整理を始めると、2年前に買った鉄道地図が出てきた。
また、旅に出てみようかな。
今年から配属になった職場は比較的休みが取りやすい。
お盆休みを挟んで9連休をつくり、その足で青春18きっぷを買った。
朝焼けが遠くに見えた。
道中、前回の旅を思い出していた。
台風が接近し大雨だったこと。
思ったよりはるかに時間がかかったこと。
自分と対話する時間が取れたこと。
お金をかければもっと快適な旅ができるが、キャリー片手に革靴で歩くような旅は求めていなかった。
時間を使う。
お金を使うより贅沢に思えた。
うとうとしている間に京都を通過し、大阪に入った。
思い出がたくさん詰まっている大好きな街。
会いたい人もいた。
大阪駅で宝塚線に乗り換え、兵庫県に向かった。
旅をすると決めたとき、真っ先に連絡を取った友。
改札前で彼が手を振っていた。
川西池田
数ヶ月ぶりに対面する彼は、父になっていた。
2023年5月、直接伝えたいことがあるというので、週末大阪を訪れた。
奥さんが妊娠したこと。
予定日は9月であること。
名前は決めてあることを知った。
嬉しかったことを覚えている。
彼は僕を自宅に招き入れてくれた。
父の名から1文字もらったその子は大声で泣いた。
優しくなだめる奥さん。
カメラを向けると泣き止んでくれた。
メカが好きらしい。
彼は四苦八苦する僕を見て笑いながら、夕飯の支度をしてくれた。
お土産とかいらんからな。
わかった、じゃあ家族写真を撮らせてくれ。
旅に出る前にそう約束していた。
息子くんが少しずつ僕に慣れたタイミングで、写真を撮り始めた。
たくさん撮った。
息子が何をしても両親はずっと笑顔だった。
いい家族だと思った。
この家庭に生まれた子は幸せだと思った。
陽が落ち始めていた。
そろそろお暇するわ。
んじゃ駅まで送るわ。
父親のピン写真撮らせてくれないか。
そんなん照れるやん。
いいから、そこ、立って。
また来年も家族写真を撮らせてもらう約束をし、別れた。
背中まで父になったかよ、と思った。
布忍
大阪に戻り、Twitterで知り合った同級生(この旅で知った)の元へ向かった。
最寄駅で降りると、ママチャリに跨った彼が待っていてくれた。
久しぶり。
久しぶり。
彼の自宅まで他愛もない話をしながら歩いた。
月がきれいだった。
到着すると、奥さんが迎え入れてくれた。
先にお風呂どうぞ。
かたじけない。
風呂から上がると酒席が用意されていた。
帆立、炙りししゃも、ビール。
贅沢すぎる組み合わせだった。
すぐに酔いが回った。
2階建の長屋を自ら改装した家は、居心地がよかった。
奥さんのアトリエや作品を見せてもらった。
鳥肌が立った。
ボールペンだけで描かれた動物の数々。
写真では見たことがあったものの、生で見るとその迫力と繊細さに心動かされる。
なんとしてもお金を作って原画を手に入れたくなった。
穏やかに笑う夫妻は、夢見心地の僕に寝床を提供してくれた。
8月12日、月曜日
布忍
よく通る奥さんの優しい声で目覚めると身支度をし、家を出ると、蛙がいた。
僕は蛙を縁起の良い動物として捉えている。
アーティストの夫婦とこの旅の幸運を象徴しているようで嬉しかった。
玄関前で記念写真を撮らせてもらった。
2人は静岡へ、僕は岡山へ。
再会を約束し、別れた。
布忍-岡山-広島
車内は帰省だろうか、各々手土産が入った手提げを持っていた。
岡山に着くと、大切な人たちが満面の笑みで迎えてくれた。
お互いの近況を報告し合った。
元気に楽しく暮らしているようだった。
次は冬に会おう、そう言って別れた。
今の自分について考えた。
手持ちは少し寂しいが、雨風を凌げる家、仕事、趣味、友達、旅をすれば声をかけてくれる人々。
欲しいものは沢山あるが、それらが手に入らなくても十分過ぎるものを持っていると思った。
自分の幸運に気づきなさい。
瀬戸内の海がそう言っている気がした。
広島
広島に着くと、お目当てのお好み焼き屋さんに向かった。
約1時間待ち。
迷わず待つことにした。
こんなときカメラが最高の相棒になる。
あれこれ撮っていたらすぐに呼ばれた。
鉄板の上に乗ったお好み焼きをヘラで切り分けそのまま口へ。
腹が減っていたのもあってか、すぐに食べ終えてしまった。
行列に配慮し追加注文は難しいとのことで、2枚目の注文は諦めた。
腹ごなしに広島の街を歩いた。
川沿いに原爆ドームが見えた。
あの時代に生きた人たちのおかげで今僕はここにいる。
父が広島に行ってみたいと言っていたことを思い出した。
旅行の計画はしていたが、病状が悪化し叶わなかった。
父と母の出会いに感謝した。
静かな夜だった。
月が出ていた。
8月13日、火曜日
広島-小倉-鳥栖-長崎
広島から始発で小倉へ。
前日、旅をしていると知ったクリエイターの友人から連絡があった。
さらに西に来るなら、一緒にフォトウォークをしないか。
二つ返事でOKだった。
この日中に長崎へ到着したかった僕に合わせ、仕事ばりの予定調整をしてくれた。
小倉で合流し、鳥栖でもう1人のフォトグラファーと待ち合わせ、彼の車で長崎へ移動することになっていた。
直前での予定変更に、一人旅の醍醐味を感じていた。
連れがいる旅も魅力的だが、予定変更に煩わしさを感じてしまう。
1人だからできる欲望に忠実な旅。
我慢しなくていいのは最高の気分だった。
長崎
夕方前に長崎に到着した。
歴史ある上品でハイカラな、坂道と路面電車の街。
それが長崎の第一印象だった。
建物も道具も、古いものを手入れしながら大切に使う。
数年前に行ったイタリアを思い出した。
特急や新幹線を使えば長崎までは一瞬。
だが2人とも僕の旅に合わせ、移動手段の調整をしてくれた。
わざわざ車で長崎と鳥栖間を往復し、さらに「ここは絵になる」と彼のお気に入りフォトスポットを案内してくれた。
1人なら訪れなかっただろう場所ばかりだった。
初めて訪れた長崎の街並みには友人2人の人柄が刻まれた。
陽が暮れ、3人で居酒屋に入った。
仕事のこと、人間関係のこと、酒が深くなるにつれ話も深くなっていった。
混み合った店内は時間制限があった。
再会を約束し2人と別れた。
宿も決まっておらず、その上かなり酔っていたが、どうしても長崎の夜景が見たいと思った。
僕は千鳥足で山の展望台へ登り始めた。
グラバースカイロード-鍋冠山
長崎の夜景といえば稲佐山が有名だが、天邪鬼な僕はその反対側にある鍋冠山の展望台を目指した。
人気のない静かな道。
好みの雰囲気だった。
少し登ると夜景の片鱗が見えてきた。
顔がにやける。
20分ほど歩いただろうか、汗だくの僕の目の前に、急に展望台が現れた。
期待が高まった。
長崎夜景
世界新三大夜景とも、一千万ドルの夜景とも評される長崎の夜景。
ほあああ、という意味不明なため息が漏れる。
眺めて、数組のカップルに依頼され彼らのスマホで写し、また眺めた。
美しいの一言では表現できなかった。
どう撮ったらこの目で見た風景を写真に残せるだろう。
三脚をたて、f5.6-f14に絞った長秒露光を何枚も試した。
どれくらいの時間が経っただろうか、急に雲がかかり、雨が降り出した。
これはまずい。
急いでカメラと三脚をバックパックに納め、足早に山を降りた。
石橋-浜町アーケード-長崎港
市内は大雨になっていた。
路面電車からアーケード街へ滑り込み、タオルで体を拭いながら宿を探した。
世間は盆休みの真っ最中。
どこも満室、ネットカフェですら空きがなかった。
ははは、と笑った。
これもいいじゃないか。
この歳になって野宿確定、これも人生の肥やしになると思った。
そして雨の長崎も絵になると、写真を撮り続けた。
0時を回った頃、雨が止んだ。
港へ移動し、ベンチを見つけて横になった。
明日はいよいよ五島に渡る。
体調を崩しては楽しむものも楽しめなくなってしまう。
8月14日、水曜日
長崎港-福江港
長崎港から約3時間半、フェリーは五島列島の一番南に位置する島、福江島に着岸した。
五島に行こうと思ったのは、今年同僚になったばかりの、先輩の一言だった。
どうせ長崎に行くなら島に渡っちゃえば?
一生行く機会がないかもよ。
そうかもしれないと思った。
そもそも先輩に聞くまで五島列島の存在を意識したことがなかった。
これは何かのご縁ではないか、そう思った。
船を降りると、この島の足兼宿になるレンタカーを借り、探索し始めた。
夏空を期待したが雲がかった天気だった。
先輩から聞いた話とも、YouTubeで見た景色とも全く違う空。
でもそれがまたよかった。
カメラを向けると、まるで水墨画のような幻想的な景色が広がった。
ドンドン渕
小さな滝がある沢に着いた。
途中コンビニで買ったアイスコーヒーを一口飲んだ。
水、木々、風、鳥、魚。
それらの営みに想像を巡らせながら、ゆったりと時を過ごした。
人間は僕だけだった。
この場所だけ時間の概念の外にいるような錯覚に陥った。
長崎への車中で友人と話したことを思い出す。
忙しい社会人にとって、何も考えずに時間を使うことが、何よりの贅沢だよね。
本当にそうだと思った。
少し陽が傾いてきた。
車を走らせ、西へ向かった。
大瀬埼
灯台が見える高台で、ぼーっとしながら陽が沈むのを待った。
体感ではそろそろ陽が沈んでもいいはずなのに、なかなか沈まなかった。
調べてみると、この日の東京の日の入りは18:32、ここでは19:12。
西に行くほど日の入りが遅いのだ。
この旅は西に行くと決めたからできるだけ西に来たかったが、それにしてもずいぶん西に来たなと思った。
ここが今の僕が到達できる西の果てだった。
鬼岳
夕日の次は星が見たい。
コンビニで夜食を買い込み、鬼岳に向かった。
しかし当然のことながら、自然が僕の思い通りになるはずもなかった。
月は十分すぎるほど明るく、雲が空を遮っていた。
ここで自分の愚かさにようやく気がついた。
月齢は時計が教えてくれていた。
写真だって何枚も撮っている。
雲の多さにしても、昼と夕の空で分かっていたはずだ。
僕はそれを知りながら、のこのこ山を登ってきたのだ。
笑いがこみあげてくる。
我ながらバカだ。
西の果てまで星を見に来たのに星がない。
これはこれで面白いと思った。
どうせなら愚行の記録を撮ろうとカメラを構えた。
はっとした。
そこには月を愛でる人々と、天体観測の少年たちが写っていた。
星ばかり見ていたら撮れなかった写真だった。
8月15日、木曜日
芝生で寝転んで旅の写真を見返しながら、いつの間にか寝てしまっていた。
あたりは暗く、もう誰もいなかった。
車に戻るか。
立ち上がって空を見た。
星が出ていた。
月が沈み、主役が交代したのだ。
山肌から弧を描くように伸びる長い長い天の川。
この時間にこの場所にいたことへのご褒美のようだった。
広角のレンズを使っても収まりきらないスケールに思わずため息が出る。
夢中でカメラに収めた。
ペルセウス流星群が見えるかもよ。
天体観測をしていた少年たちの言葉を思い出す。
この日は車中泊の予定だった。
しかし車に戻る気にはなれなかった。
また芝生に寝転びながら、時折顔を見せる流星をぼーっと見ていた。
流星を撮る技術は僕にはなかった。
でも肉眼で見たこの日の星の命を、ずっと忘れないだろうと思った。
鬼岳-福江港-奈良尾港
朝が近づくにつれ霧が濃くなっていった。
朝の散歩に出てきた親子連れが山頂に向かっていた。
なーんも見えんねえ!と誰かが言った。
それがまたいい絵になってますよ、と思った。
山を下り、レンタカーを返却して港に向かった。
船はほんの30分ほどで上五島に着岸した。
蛤
奈良尾港からシャトルバスで有川に移動し、蛤というバス停で降りた。
最初の目的地はGOTO BASE。
この日の宿と、原付をお借りするホステルだ。
荷物を置くと、目の前の海へ走った。
海は青いものと勝手に決めつけていたが、そこにあったのは透明度の高いエメラルドグリーンの海だった。
高く上がった太陽に照らされる海水が美しい。
沖まで泳いで浮いていると、サイレンが鳴った。
8月15日、終戦記念日、正午。僕は海上で黙祷を捧げた。
蛤-県道62号線
近場のスーパーで刺身を買ってその場で食べた。
照れ屋のおじいちゃんが作るハンバーガーを頬張った。
どっから来たの?
千葉県です。
そりゃまた随分遠くから!
こっちは暑いでしょう、ポカリサービス!
お目当ての寿司屋が休業だったが、そのおかげで出会いがあった。
地元の人の温かさに触れ、この島に少し受け入れられた気がした。
頭ヶ島へ向かった。
原付のゆっくりなスピードが、上五島の景色を僕に見せつけた。
どこをどう切り取っても美しい。
来てよかった。
暑さも名脇役に思えるほど、全ての瞬間に価値を感じていた。
路肩に寄せては写真を撮っていると、原付に乗った青年が現れた。
綺麗ですよねえ。
本当に。
記念写真撮りませんか、そこ、立ってもらって。
夏とこの景色がよく似合う、礼儀正しい爽やかなイケメンだった。
インスタのアカウントを交換し、それぞれの目的地に向かってまた走り出した。
頭ケ島
15時過ぎ、頭ケ島天主堂に着いた。
ミサが始まっており残念ながら内部の見学はできなかったが、外観だけ見せていただいた。
隠れ切支丹、五島崩れ、世界遺産登録。
力強く美しい石造の天主堂から、なぜか切なさを受け取った。
県道62号線-ハマンナ-蛤浜
寄り道しながらGOTO BASEへ向かった。
行きに出会った青年から穴場らしいと聞いていたスポットにも立ち寄った。
小さな港では家族が釣りを楽しんでいた。
陽がどんどん落ちてくる。
宿に帰る前にもう一度蛤浜に寄ってみた。
そしてこの旅で一番の夕焼けに出会った。
蛤浜
遠浅の砂浜に潮が満ち少しだけ残った砂浜で、親子連れが楽しそうに遊んでいた。小さな子が何をしても両親は笑っていた。
親子が帰るまで眺めていた。
何を考えるでもなく、ずっと眺めていた。
GOTO BASE
宿の御主人から、天の川が肉眼で見えると聞いていた。
残念ながらこの日は空の大部分が雲に覆われていて、星を見る事は叶わなかった。
またおいで。
そういわれている気がした。
また来ます。
今度はもっと長く。
8月16日、金曜日
有川港-長崎港-長崎電気軌道
ご主人のご厚意で有川港まで送っていただき、朝一番の船で長崎へ帰ってきた。
船を降りるとお天気雨だった。
この旅空は本当にたくさんの顔を見せてくれる。
路面電車のフリーパスを買い、すべての路線に乗ってみる遊びを始めた。
地元の方々や観光客に混ざりながら、路面電車に揺られる時間が楽しかった。
まずはテンプル、それからシュラインだと話す外国人たちは意気揚々とお寺に向かっていった。
今日は公園で遊ぼうか、という家族連れは平和公園で降りた。
僕もそこで降りてみる事にした。
行きたかった場所でもあった。
平和公園
1945年8月9日、午前11時02分。
広島に続き長崎にも悲劇が訪れた。
空からの脅威はこの時代に何をもたらしたのだろうか。
あの日、生きたかっただろう未来を今、僕は生きている。
ああ、暑い、喉が渇いた。
カリオモンズコーヒー
友人に紹介されたカフェに入った。
普段深煎りを好んで飲むが、この日は深煎りが売り切れていた。
おすすめは、と聞くと、こちらはいかがでしょうか、と浅煎りを勧められた。
NATSUという名の豆だった。
この日にぴったりの名だと思った。
美味しいアイスコーヒーを飲みながらゆったりとした時間を過ごした。
旅行者は僕だけのようだった。
店員さんと楽しそうに話す常連客らしき男性は、自分のタンブラーを使っていた。
上品なマダムたちは世間話に花を咲かせていた。
いいカフェだと思った。
平和の象徴がここにもあった。
大波止
カメラのバッテリー残量がなくなった。
予備のバッテリーも空っぽだった。
しまった、と思った。
前日充電をし忘れたのだ。
電源があるカフェを検索し、近くのスターバックスがヒットした。
充電しながら写真の現像をしていると、腹が減ってきた。
五島に行く前に、長崎で一番美味しいちゃんぽんは?と聞いた。
友人の答えはリンガーハットだった。
千葉の自宅から徒歩3分、長崎生まれのチェーン店。
わざわざ長崎でその味に浸るのも悪くない。
どうせならたらふく食ってやろうと、チャーハンと餃子もつけた。
夏らしい、エモいのも撮れた。
充電満タンのカメラは絶好調だった。
ドラゴンプロムナード
長崎港の周りを歩いた。
展望デッキを見つけ登ってみると、若い2人がいた。
付かず離れずの微妙な距離感で、男の子の方が手を繋ごうとしては引っ込めて、を繰り返していた。
夏そのものを見ているようだった。
どこかで見たキャッチコピーを思い出す。
「青い春と書くけれど、青春の季節は夏だと思う」
斜陽を反射する長崎の街も、挑戦を応援しているように思えた。
諏訪神社
長崎最後に訪れたのは諏訪神社だった。
地元の方だろうか、1人の女性が参道の鳥居前で一礼し、右に曲がっていった。
俄かに敬虔な気持ちになる。
畏怖と感謝。
自分は生かされているという感覚。
天候に恵まれ、人に恵まれ、なんとか成立している旅。
月がまた大きくなっていた。
8月17日、土曜日
長崎-熊本
長崎からの始発で熊本へ向かった。
僕が九州にいることを知り、遊びに来ないかと誘ってくれたのだ。
当てもなくぶらぶらしようとしていた矢先に目的地ができた。
僕は本当に運がいいし、人に恵まれていると思った。
ゆっくり進む各駅電車は、5時間ほどで熊本に着いた。
ロータリーで待ち合わせ、彼女の車に乗り込んだ。
お久しぶりです。
元気でしたか。
何度も東京に来ていたのに、僕の都合ですれ違いが続いていた。
2年前の写真展で知り合った珈琲写真家。
彼女の作品はアイスコーヒーでも温かい気持ちになる。
大きく開いた青空に入道雲が映える。熊本は眩しかった。
森の味処なかむら
昼食場所に選んだのは森の中の古民家レストランだった。
高く登った太陽が照らす青もみじ。
スプリンクラーで水を流し続ける屋根が涼しさをくれた。
地鶏を焼きながら熊本の郷土料理を堪能し、僕らは菊池渓谷へと向かった。
菊池渓谷
圧巻の景色だった。
無色、緑、青。
阿蘇からの水はまさに絵に描いたような清流で、こんなに綺麗な水を目の当たりにするのは人生で初めてだった。
好きに止まって撮っていいからね、彼で慣れてるから大丈夫。
写真家の彼氏の惚気を時折挟みながら、渓谷を上流へと進んだ。
木漏れ日を浴びて笑う彼女は少女のようだった。
彼女のファインダーは一体何を捉えていたのだろうか。
同じ時間、同じ場所にいても捉え方が変わる。
それが写真の残酷さであり楽しさでもある、と思った。
それぞれが思い思いに渓流を楽しんでいた。
ラムネを水につけ冷やす女性。
お尻を振りながら戯ける少年。
セルフィーに興じる父娘。
時間はあっという間に過ぎた。
昼から2時間ほど滞在するはずだった予定が、気づけば夕方に近づいていた。
僕らは再び車に乗り込んだ。
熊本-黒亭-博多
熊本駅へ向かいながら、悩み事や人生観、今後の展望などを語った。
人生はそれぞれだ。
だが、願わくば幸せになってほしいと思った。
夕飯はラーメンにしよ。
黒亭のラーメンに舌鼓を打ちながら、再会を約束した。
僕は福岡へ向かった。
博多駅に着いたのは23時、次の待ち合わせは2時だった。
8月18日、日曜日
糸島
朝日を背景に写真を撮ろう。旅立つ前にそう約束した。
深夜3時、朝日まではまだしばらく時間があった。
ふと車から外に出た彼女が言った。
ね、きて、星が出てるよ。
本当に?
月がまだ明るいはずだったのだが。
見上げると、糸島の空は星でいっぱいだった。
カメラを触っていると時の流れが速くなる。
いつの間にか星の声が小さくなっていた。
水平線近くの光が強くなり、夜が明けはじめた。
オレンジと青が曖昧に混ざり合う大好きな時間がやってきた。
引き波に足をとられながら、波打ち際を歩いた。
写真を撮るなら、街も、森も、川も、空もいい。
だが僕の中で別格の一番は、一瞬たりとも目が離せない、この時間の海だ。
朝日が顔を出す時間が近づいていた。
東北東、約74度。
地軸の傾きによってやや北寄りになった朝日が、ゆるやかに、大胆に、その姿を見せた。
青は消え失せ、一帯がオレンジに染まる。
強い光は彼女のほとんどを影にした。
海を見ていたら泳ぎたくなった。
カメラを預け、Tシャツを脱ぎ捨てて海に入った。
水温が適度に冷たく心地良かった。
朝ごはんは何を食べようか。
腹に入れば何でもよかった。
僕はすでに十分に満たされていた。
糸島-天神
朝飯を食べた。
海水と砂を流しに銭湯へ行って昼寝をした。
汁なし麵とわらびもちで腹を満たした。
映画館で前半のクライマックスで居眠りする姿を笑われながら、天神の街を歩いた。
カメラを持っていたのに殆ど写真を撮らなかった。
写真を撮るよりも楽しかった。
ネットカフェを旅の最後の宿に決め、大きな荷物を置くと、夕暮れの街を歩いた。あちこちから聞こえる人々の声。
どれも活気にあふれ、こっちまで元気になる。
広場にたどり着くと、月が出ていた。
その大きさが、旅の終わりを感じさせた。
8月19日、月曜日
天神-中洲
6時に寝落ちから目覚め、食べ放題のカレーを食べ、また漫画を読んだ。
この状況が楽しかった。
せねばならぬことに縛られずその時したいことができる堕落感。
漫画がひと段落したところで、籠るのに飽きて朝の散歩に出かけた。
繁華街のシャッターは閉まり、シャツとスラックスが足早に目の前を通り過ぎていく。
ひとり取り残されたような気分になった。
少し寂しく、しかしながらその感情をくれたこの旅に喜びを感じていた。
福岡市内-福岡空港-雲上
昼は絶品の鯛茶を食べ、冷やしぜんざいを楽しみ、レトロな喫茶店でコーヒーを飲んだ。
地下街を歩き、そのまま福岡空港行きの地下鉄に乗った。
空港の展望台で発着する飛行機を眺めた。
またね。
またね、気を付けて。
飛行機が分厚い雲を抜けると、月が見えた。
帰着し、この旅行記を纏め終えたら、きっと満月になるはずだ。
おしまい
あとがき
あとがきまでお読みいただきありがとうございます。
この旅行記を纏めている時に気づいたことや感じたことをつらつらと。
まずはタイトルについて。
「日日是好日」という言葉は、禅の世界で使われる言葉です。
直訳すると「毎日が良い日」ですが、掘り下げると哲学的な意味を持っているそうです。
どんな状況でも心穏やかに、前向きに生きること。
日々の小さな幸せを見つけ、感謝すること。
自然の中で生きている、生かされていることを感じること。
これらができるからこそ「毎日が良い日」たりえるのだ、と。
この言葉の意味を、亡き父から小学生ぐらいのときに教えてもらいました。
当時はまったく意味不明で、ふーん、深い意味があるのね、ぐらいにしか思っていませんでした。
しかし旅行記のタイトルをつけようとなったとき、ふと、実家の暖簾に書かれたこの言葉を思い出しました。
旅先では様々な「起こってほしくないこと」が起こりました。
そもそもちゃんと計画を立てていない時点で当たり前なのですが。笑
ただその「起こってほしくないこと」が起こったとき、不思議なほど心が穏やかでした。
むしろそれすら楽しんでやろうと笑い飛ばせていました。
この心を持てたことこそ、この旅をした意味であり価値であったと感じ、タイトルを「日日是好日」にしました。
次に人について。
旅の様子を写真とともにX(旧Twitter)とインスタのストーリーにアップしていました。
それを見てくれた方々から連絡があり、次の行き先を決めたり、急遽行き先を変更したりしました。
とても幸せなことだと思いました。
人間が自身の存在意義を見出すには、他者の存在が不可欠です。
「会いたい」という言葉には様々な意味が込められますが、旅の途中の僕は、その言葉に「あなたと会うことに価値がある」というメッセージを感じ取っていました。
ポジティブに捉えすぎていたらごめんなさい。笑
他者から「あなたの存在を認めている」と伝えられること。
これほど幸せなことがあるでしょうか。
さてさて、遅くなってしまいましたが。
ここでお世話になった方々を、道中でお会いした順にご紹介します。
自宅に招き入れ、手料理まで振舞ってくれた親友ポエムと、奥さんの妃世里さん↓
息子くんを御社の広告で使うときは、僕もカメラマンの候補に入れて欲しい。
宿と酒宴を提供してくれた写真家Kenziiさんと、ボールペン画アーティストのSakiさんご夫妻↓
言動の端々から互いへの敬意が伝わってくる。マジックグリル買います。
長崎フォトウォークに誘ってくれたクリエイターのAndyさん↓
同級生とは思えないイケオジ。中身までかっこいい。
長崎の街を案内してくれたイケメン写真家のマツシュンさん↓
芯のある若者で、この旅で友達になってくれた。また長崎行きたい。
上五島で原付と宿でお世話になったGOTO BASEさん↓
次は一緒に星の写真を撮りに行きたい。
熊本に呼んでくれた珈琲写真家のKeiko.さん↓
いつか彼女の写真を部屋に飾りたい。本人にはまだ言ってない。
福岡でモデル&旅の連れになってくれたMiwaさん↓
世界中の夕焼けを見るのが彼女の夢みたい。僕も見たい。
最後に写真について。
僕は写真を撮るのが趣味で、ときどきお仕事としても写真を撮ることがあります。今回、本編で使われている写真はすべて、旅先で僕が撮ったものです。
しかし僕が撮ったと言いながら公開する写真は、旅行記の言葉に合わせて何百枚の中から選ばれ、構図を調整され、色をいじられ、埃やチリなどのゴミ取りを施された、いわば創作です。
あたかも好日であったかのような美化が否定できないし、枚数制限や字数制限で泣く泣くボツにしたものも多くあります。
ということで。
現像前にボツになった写真たちを載せて、この旅を締めくくろうと思います。
ボケたり、ブレたり、白飛びしたり。
見た目はさておき、あの日、あの瞬間に僕の目がとらえた愛しい情景たち。
これらの写真を改めて見ると、この旅の日々はやはり、全て好日であったと思うのです。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
よい旅を!