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夫である息子、息子である夫。

明けましておめでとうございます。
2025年いっぱつめの記事です。
みなさん、正月休みはいかがお過ごしですか?

わたしは、なんかけっこうバタバタしています。
オットが実家に戻り、息子(25歳・既婚)と老犬がいたからだと思います。
さいきん流行りのセパレート帰省です。

息子は新婚生活で、奥さんにかなりしっかり鍛えられたはずでした。
半年ほど前に生活の様子を覗いた時は、ズボンや靴下を脱ぎ散らかしたり、コップやお菓子の包み紙を放置することもなく、一日の終わりにシンクをしっかりキレイにするところまでやっているのを見て感動したものです。

なのに!
なのに!!
うちに戻った息子は、まるで何かの腹いせかのように、履いていたものをそこらじゅうに脱ぎ散らかし、コップやお菓子の包み紙やミカンの皮は放置され、主体的にやるのは犬の散歩だけという体たらく。

あ、でも別にグチではないです。

ふーん、結婚してても家に帰ったら息子モードにスイッチするんだなぁ、というのがちょっと面白い。
わたしは結婚前から娘モードで甘えることなんてできなかったし、オットのそういう姿もあまり見たことなかったので、なんか新鮮。わたしが甘える対象の親だという事実も含めて。

今の家庭では納豆食べられないとか、カレーはいつもバターチキンカレーだとか、料理をしたら手際が悪くて怒られるとか聞くと、可哀そうな気もするけれど、たぶん家庭を作るってそういうことなんだと思います。

 結婚というものは、たしかに結婚というものなのである。結婚ということではない。結納というものから始まって、モーニングに高島田、たんす、鏡台、茶碗、鍋、釜、犬小屋、エプロン、靴べら、表札等々。もしこれが時代おくれだというのなら、ミキサー、紅茶、ジャム、豆腐、油揚、牛肉、卵、さしみ、みかん等々。夜になればまた、敷ぶとん、掛ぶとん、電気スタンド、その他。これらのおびただしいものの間に秩序をつくり、そのものの制度の中で男を飼い馴らすこと、それが女の仕事だ。結婚とは、先ず愛情ではない。先ず制度なのである。〈私はお掃除も下手だし、御飯もこがしてばかりいる。でも大丈夫。彼は私を愛してくれているんだもの〉とんでもない主客転倒だ。男にしたところで、あらゆる些細な理由で女を愛するものなのだ。
 家庭の中では、女が政治を司るのである。民主制であれ、封建制であれ、女は先ず有能な政治家でなけれないけないのだ。彼女は確固たる制度を維持し、男を統治しなければいけない。

谷川俊太郎/女*果てしなき夢

結婚前に、「奥さんになる人のどんなところが好きなの?」と彼に聞いたら、「可愛いし、おとなしいところ」と答えたので、つい「おとなしい女なんていないよ」と余計なことを言ってしまったけど、今ならなんて答えるのかな?

今は亡き義母は、帰省した夫とわたしを見て、どう感じていたのかな?

そんなことを考えながら、元の生活に戻る日を心待ちにしつつ、それでもやっぱり寂しい気がする不思議な気持ちです。

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すがこ
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