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手で書くことの意味を考えてみた。

来週の月曜日から、第7期のライティング・ライフ・プロジェクトを開催するんだけど、訳あって今日からわたし自身がライティング・ライフ・プロジェクトを受ける側になっていたりもします。

受けてる方のライティング・ライフ・プロジェクトは今日から始まっているんだけど、このライティング・ライフ・プロジェクトってなかなかめんどくさいですよね。

いちばん何がめんどくさいかっていうと「書く」のがめんどくさい。
そもそも、手書きでなんか書くってメモぐらい。わたしは仕事柄パソコンのキーボード入力にも慣れているから、初めて受けたときもたぶん「パソコンで書けたらいいのに」とかぶつくさ思っていたような気がします。

とはいえ、手書きで2年ぐらい続けて、やっぱりキーボードで入力するのと手で書くのでは違うなぁということに気づきました。
それは、スピード。
わたしの場合、キーボード入力のスピードって、言葉が思い浮かぶスピードと同じか、やや入力の方が早いんです。だから、言葉が出てくるまで手が止まることもしばしばあります。
それに比べて、手書きの時は、圧倒的に言葉が思い浮かぶスピードの方が早い。手は一生懸命思考を追いかけている感じ。

そうするとキーボード入力の場合は、書くことが主体になってしまうんですよね。なんというか落ち葉がいっぱい散らばってる場所で、むやみに箒を動かす感じ。落ち葉が思考や雑念ですね。手が早いと、うわっつらだけをさっと撫でるような状態になってしまうのです。

手書きの時は逆です。手が遅い分、箒は割と深いところの落ち葉まで届くのです。そしてゆっくりと落ち葉を集める。すると中には落ち葉だけじゃなくて、キラッと光る何かや、自分が長いこと忘れていた宝物を見つけたりする。思考から書くまでのタイムラグは、浮かんできた言葉のさらにその下に隠れている何かを見つけさせてくれる気がします。

めんどくさいことを、あえてやる。
この文章をここまで読んで
「そんなめんどくさいこと、やりたくない!」
と、強く感じたあなたは、
きっとどこかで「ほんとうはやるべきなのかも」
と思っているのではないでしょうか。
「やってみたほうがいいのでは」という本心を
思考という落ち葉が覆い隠そうとしているのです。

そのまま自分の本心を、埋もれさせますか?

***

次回のライティング・ライフ・プロジェクトは1月16日から。
募集は1月13日までです。


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すがこ
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