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息をしやすい世界でエッジ超えにチャレンジする。
今日は、ライティング・ライフ・プロジェクトのファシリテーターが集まるオンラインミーティングがあった。
このサービスの考案者であるみおさんはもちろんのこと、まみさんや、さあやさん、まきさん、けいこさん……そう、ライティング・ライフ・プロジェクトのファシリテーターはけっこうたくさんいるのである。
ライティング・ライフ・プロジェクトのファシリテーターの集まりには、不思議と他にはない空気感がある気がする。
体感的に、とても息がしやすいのだ。
なぜそうなのか考えてみると、まずは会話がスムーズだ。人の話を聞くときと話すときのメリハリがある。意見を聞かれれば、みんなきちんと自分の言葉で話すし、人が話しているときは、きちんとその内容を咀嚼している。
それだけだったら、単なる礼儀正しいひとの集まりというだけなんだけど、その会話のスムーズさの奥には、ひとに対する敬意と信頼感があるような気がする。この「信頼感」は「お金を貸してもちゃんと返してくれそう」みたいなやつじゃなくて、すべての人がそれぞれ自分の世界を持っていて、その世界で起こるすべての事象は必然だ、みたいな信頼感だ。
これは鮫島美央さんのスタンスでもある。
わたしたちファシリテーターはたくさんいるけれど、受講するひとがどのファシリテーターを選択するかは、そのファシリテーター自身の設定による、というようなことをみおさんに言われたことがある。
だから、誰かがわたしのライティング・ライフ・プロジェクトを受けたいと思ってくれるのも必然なら、誰かがわたしではなく他のひとのライティング・ライフ・プロジェクトを受けたいと希望するのも必然なのだ。そこにあるのは能力の差とかではなく、送信と受信と周波数の問題だ。
そして、そういう世界観のひと同士が集まったとき、わたしは「息がしやすい」と感じるのだ。
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ミーティングではいつも大きな気づきをもらえるけれど、今回は特に大きなエッジを超えるのを、手伝ってもらうことができた。ぜったい見せてはいけない恥ずかしい部分を発表したのだ。
このミーティングまでの数日間、わたしはこれがイヤでイヤで、それを動きで表現するとしたら手足をバタバタさせながら床を転げ回って「うぎゃー!」とか「ひー!!」とか奇声を上げていたに違いない。
だけど、だいたいのエッジ超えがそうであるように、超えた瞬間は妙にしんとした静けさの中にいる。
起こると思っていた大変なことは、何ひとつ起きておらず、自分の体や心にはかすり傷もない。
エッジを超えるまでは、ほんとうに怖くて苦しかったけれど、わたしは無事にそれを超えられるということも、心のどこかで信じていたような気がする。
なぜなら、そこにいるひとは全てライティング・ライフ・プロジェクトを深く知るひとたちだからなのだ。
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第8期ライティング・ライフ・プロジェクトは満席につき、メンバー募集を終了しました!
ご関心をお寄せくださったみなさま、ほんとうにありがとうございます。
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