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書くこと、変わること。
小学校で行われている着衣水泳の練習をニュースで見た。
服を着たまま、落水してしまったら、身体の力を抜いて、しっかり空気を吸いながら胸を張って、救助を待つのがいいらしい。言うは易しだけど、ちょっとできる気がしないなぁと思った。このままどんどん流されちゃったらどうするの!?という恐怖感でカラダがすくんでしまいそう。
大人も安全な場所で練習させてもらえないだろうか?そう思った。
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ライティング・ライフ・プロジェクトを受講する動機に「変わりたい」と書いてくださる方は少なくない。
ここ最近の、わたしのテーマは「ライティング・ライフ・プロジェクトを受けると、ひとは変わるのか?」ということだ。
わたし個人のことを言うと、プロジェクトを受けている最中に、「わたし、変わっている!!」と思ったことはない。そして、受けて一年以上経った今も、誰かに「変わった?」って聞かれると、返答に困ると思う。
モーニング・ページは一年以上続けているけれど、いまだに「書くことないわ~」「お腹すいた」なんてくだらないこと書いてるし、自動書記みたいな状態にも、書く瞑想みたいな状態にもならない。書くと心が軽くなって、スッキリすることに変わりはないけど、ちょっと朝のルーティンが崩れたりすると、すぐ「書くのめんどい…」と思ってしまう。
書き始めた頃と、変わったなと感じられる唯一のことは、モーニング・ページに「怖い」と書くことが殆どなくなったことだ。書き始めたころは、毎日のように、アレが怖い、コレが怖いと書いていた。そしてその後にかならず「でも、大丈夫」と書いていた。この「怖い」と「大丈夫」は、それぞれ別の自分から発せられるイメージで、このやり取りは吉本新喜劇で毎回必ず繰り広げられるお約束のギャグみたいに、かなり長く続いていた。
いまも、ときどきは意識に「怖い」が出てくるのだけど、そこにはオーバーラップぎみに「でも大丈夫!!」という言葉がかぶさってくる。「怖い」と「大丈夫」は、わたしの中でセットになったのだ。
こうして、徐々に「怖い」という感情を深刻にとらえることがなくなると、「恐れ」や「不安」という感情にエネルギーを使わなくなってくる。体感的に、力んだり、縮こまったりすることも減って、なんとなくいつも泰然とした感じになってくる。だって、大丈夫なんだもん。
ライティング・ライフ・プロジェクトに出会う前のわたしは、この世界を大海のように感じていて、荒波に揉まれても、負けずに自力で泳げるひとだけが、助かるのだと思っていた。ぷかぷかと、チカラを抜いてただ浮いている、なんてことをしたら、とんでもない場所に流されて、孤独に干からびてサメの餌になるのだと信じていた。
今のわたしは、この世界で行きたい場所に行くためには、カラダから余計なチカラを抜いて、胸を張り、ただぷかぷかと浮いていても大丈夫な気がしている。ほんとうの海はまだ少し怖いけれど、その果てに孤独や死があったとしても、なんとなく大丈夫なような気がしている。
結論から言うと、ひとは変わる。日々、変わらずにはいられない。「変わる」と決めれば、もっと大きく変わる。これは、きっとライティング・ライフ・プロジェクトを受けるかどうかに関係ないような気がする。
ただ、違うのは「書く」ということを通じて、自分の変化をキャッチしやすくなるということだ。どれだけ細かい粒度で自分のことを見てあげられるか。変わるかどうかは、その一点にかかっている。
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