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怒らない習慣力【本の感想】

 「心理学の本を読みたい」ーー以前、「100のやりたいこと」にそんなことを書いた。というわけで、図書館の心理学のコーナーで本を選んできた。タイトルは「怒らない習慣力ー心を感情が整う「平常心の作り方」(種市勝覺著)」。なぜこの本を選んだかお分かりだろうか?そう(?)、「習慣力」という言葉に惹かれたからだ。
 とても良い本だったので、ぜひ記録しておきたいと思った。「いつか本の感想の記事書いてみたいな~」と思っていたのもある(「100のやりたいこと」に入れておけばよかった!)。
 なお、以前から述べている通り私は情報まとめのような記事を書くのが苦手である。なので、本の要約という趣旨ではなく、私がいいなと思ったところを抜粋し、適宜私の感想を書くというものだ。



大前提

 イライラしたり怒ったりする人生ではなく、日々幸せを感じて過ごすにはどうしたらよいか。それは「平穏に過ごす」こと。以下で紹介する平常心が手にはいると、平穏に過ごすことができ、怒らない習慣を身につけることができる。


自力と他力への誤解

〇平常心とは

 この本では、平常心を「心を平常に戻す力」と説明している。

そもそも平常心は「どんなことにも動じない心」ではありません。一言で言えば、「心を平常に戻す力」のことです。平常心は不動心と呼ばれるものと同じで、感情の波を起こさないことではなく、波が起きても、元の状態に収める力を指します。

第1章 怒りの正体

〇自力と他力

 平常心は、自力と他力の違いを理解することで作られる。私はこの違いをずっと誤解していたことがわかった。他力といえば、自分以外、つまり他人に関することだと思っていた。だからなるべく他人には期待しないように、他人に依存しない目標を設定してきた。
 しかし、他力とは他人に関すること限定ではない。自分ではどうにもならないこと、すべてが他力なのだ。たとえば、期限を設定して目標を立てたとする。しかし、いつまでにこの目標が達成できるかというのは結果の範囲なので、自力には及ばないかもしれないのだ。目から鱗だった。その期限までにできるかどうかは、最終的には天が決めること。自分にできることは、「こうしよう、と自分で決めたことは、決めた通りに実行する」ということのみなのだ。

自分をマネジメントする力を高めるコツは、「こうしよう、と自分で決めたことは、決めた通りに実行する」ことです。今日やると決めたことは必ずやる。やらないと決めたことは絶対やらない。そうして自分が決めたことをやると、自信がつき、自信がつくと自力の範囲が広がります。

第一章 怒りの正体

◇小休憩

 なんだか、継続や習慣化のコツと似ているな、と思った。その先になにが待っているかという結果は他力の範囲。自力の可能性の範囲でできることを淡々と続けるのみ。そして、継続や習慣化は、自分をマネジメントする力を高めることができるのでは、と嬉しい気持ちになった。ますます、習慣化のモチベーションが高まった。


感情を記録する

〇何をされると感情が動くか

 「こういうことをされると、私は悲しいんだ」など、自分の感情をデータとして集める。そうすると、「自分はもっと寛容だと思っていたのに、こういうときは許せないのか」などの気付きがある。感情は、自分の本当の器を教えてくれる。器とは、心の枠のことで、心の予想範囲のようなもの。想定内のことには感情という反応が起きないけれど、想定外のことが起きると「悲しみ」「怒り」など感情の反応が表れる。
 この記録の目的は、俯瞰的に自分の反応を捉え、感情を意識的に扱えるようになること。そうすることで、心の枠が広がる。つまり、想定内の範囲が広がる。また、自分の反応をデータとして扱っているため、自分自身の変化にも気付けるようになる。これが上手な感情の取り扱い方。感情が表に出ることは、本当の自分を知るチャンスなのだ。

〇失敗やトラブルを振り返る

 自分を過信しすぎると、感情に振り回される。たとえば、なにかに取り組んで、失敗やトラブルがあったとする。すると、人は落ち込む。しかし、落ち込んでしまった本当の原因は、失敗やトラブルがあった=上手くできなかったことではなく、無意識に「自分はできる」と信じていたこと。それができなかったから、傷ついているのだ。何をするにしても、数多く失敗することを覚えておく。
 また、失敗やトラブルがあったとき「何を思い」「何を言葉にし」「どういった行動をとったのか」を振り返り、記録するとよい。この振り返りと工夫こそが、人生の質を改善するのだ。失敗=このやり方ではうまくいかなかった、というデータが手に入ることになる。自分を責めている暇があるならば、どうすればよかったのかを考えてみる。結果は変えられないけれど、これからの行動は変えられることができるのだ。以下は、本の中で見つけたお気に入りの言葉。

成功は大きな前進で、失敗は小さな前進。失敗は後退ではないのです。

第二章 感情の器を広げる「受け止め方」の技術

◇小休憩

 ここでも出てきた、記録。継続や習慣化だけでなく、感情についても記録してデータを取ってみるとよいな、と思った。私は普段、感情を抑えがちなので、自分の感情に敏感になるというのも良いことかもしれない。きっと、出来事に対してなにかしらの反応=感情が生まれているはず。それを俯瞰して客観的に捉え、記録してデータ化し、「自分って実はこうだったのか」と思えると面白い。
 また、仕事でもプライベートでも、失敗やトラブルがあると落ち込みやすい。そしてすぐに自分を責める。しかしそれは、自分を過信しているからなのだとはっとした。振り返りと工夫こそが人生の質を改善するという言葉もすごく好き。どんどん記録して振り返ろうと思った。


自分ファーストで生きる

〇不成仏の思いを叶えてあげる

「今さらだけど、〇〇になりたかったんだ」
「今さらだけど、やりたいことがあったんだ」
「今さらだけど、ずっと好きだったんだ」
 そう思うことほど、「今さら」であっても実行するとよい。「今さらやってもしょうがない」ということはひとつもない。試すことすらしなかった今さらと思うことは、いわば未練の残った「不成仏」。「今さら」だと思うことを書き出して、ひとつずつ実行してみる。それは、自分の中の「不成仏供養」となる。
 自分供養は自己満足かもしれないが、自己を徹底的に満足させることこそ自分の心を平穏にするコツ。今さらと思わずに、しっかり「自分供養」してあげることで、自分の心を良い状態に導くことができるのだ。

〇得たい結果ではなく感情

 夢や目標を考えると、たとえば「資産を貯めてセミリタイアしたい」とか「ニワトリを飼いたい」とかそういうものが思い浮かぶ。しかし、それは幸せになるための「手段」に過ぎない。本当の夢や目標というのは、「どんな感情や感覚を味わいながら生きていたいか」ということだ。もしセミリタイアしたら、いつもどんな気持ちで過ごしていそうか、どんな毎日を過ごしたいか、というところまで考える。それを考えないと、仮に夢をかなえたとしても、幸せな結果にたどり着けるかどうかわからない。

・「変化とやりがい」を感じたいから、商社に就職したい
・「世間の注目を感じたい」から、新しいことで起業する
・「豊かさと自由を味わいたい」から、お金持ちと結婚する
 こんなふうに思い続ければ、実際に願いが叶ったときに、思っていたのと違った、と落胆せずにすみます。

第6章 嫉妬が消える「自尊心」の育て方

◇小休憩

 最近「100のやりたいこと」を書いた際に、いつかやってみたかったことを書き出したのを思い出した。「100のやりたいこと(改)」では今やりたいと思っていることに焦点を当てて書き出したが、いつかやってみたかったことを成仏させるのもアリなのかもしれない?
 そして、得たい結果ではなく感情を考えるというもの。上記の「資産を貯めてセミリタイアしたい」と「ニワトリを飼いたい」は、実際に私の夢や目標だが、ではどんな感情や感覚を味わいたいのか?


得たい感情についての考察

考察①

 「資産を貯めてセミリタイアしたい」について考えてみる。なぜ資産を貯めるのかというと、セミリタイアしたいから。なぜセミリタイアしたいかというと、もっと夫と長い時間一緒にいたいから。なぜもっと夫と長い時間一緒にいたいかというと、大好きな人と一緒にいることで、安心や愛しさを感じながら過ごしたいから。そうだ、これだ。

考察②

 「ニワトリを飼いたい」はどうだろう。なぜ飼いたいのか。なぜ他の動物ではないのか。ニワトリは卵を産むから、自給自足に近づけるから。では、なぜ自給自足に近づきたいのか?家庭菜園も含め、その目的は何か。それは、なるべく家から出ずに生活したいから。自給自足できると、買い物に行く頻度を減らせる。なぜ、家から出ずに生活したいのか。家にいると落ち着いて、安心するから。
 
さらに、現在私は犬を飼っている。そのため、ペットと触れ合うことで得られる愛しさや安心感をよく知っている。もしニワトリという愛らしいペットがおうちにきてくれたら、その愛しさや安心感はさらに増すだろう。いつかヤギが増えてもおかしくないな、と思えてきた。もしかしたら私は動物が好きなのかもしれない。いや、正しくはペットが好きなのかもしれない。愛情を惜しみなく降り注げて、ずっと私のそばにいてくれる、家族のような存在。そうだ、私はペットを飼うことが好きなんだ。そしてその理由は、ペットは愛しさや安心感を与えてくれるから

考察③

 ついでに家庭菜園についても考えてみる。なぜ家庭菜園をやりたいのか。自給自足がしたいから、という理由については、考察③で掘り下げた。今度は別の理由を掘り下げる。
 少しやってみただけでも、家庭菜園は奥が深いと感じた。いくらでも深めたり、広げたりできる。なにか一つのことについて、調べて分析して実行して記録して考察して、という一連の行為が私は大好きなのだ。そしてそれはきっと、探求心を満たすことができるから。ずっと探求心を満たしていたいから、家庭菜園などを趣味にしたいのだ。
 さらに、家庭菜園は結構肉体労働だ。ベランダで鉢植えなどでやる場合はその限りではないかもしれないが、私の場合、庭の畑でやっている(ちなみに庭は「家」の範囲内)。畑を耕す、収穫するとなると結構体を動かすことになる。これ自体、とても健康的なのではないかと思っている。言わずもがな、家庭菜園により野菜をたくさん食べるようになることも、健康的なことだ。なぜ健康的でいたいのか?もちろん、大好きな人と長く一緒にいるためだ。その理由はもうすでに解説済である。

考察④

 最後に、私はなぜnoteを書き続けたいのかということを、得たい感情にフォーカスして考える。私は文章を書いたり、頭の中で考えていることを整理することが好きで、そのツールとしてnoteが一番適していると感じている。以前Xをやっていた頃はそこで様々な考察をつぶやいたが、文字数が足りず複数に分けてつぶやく必要があった。それではかえって頭の中が整理できない。私はブログのように、一つの投稿の中で頭の中のことをまとめたいのだと気付いた。なぜか?頭の中で考えていることをまとめ、深く深く掘り下げていくことで、探求心が満たされるからだ。
 さらに、記事を誰かに読んでもらえる可能性があるのも嬉しいことの一つ。実際反応があってもなくても、公開されていると、なんだかみんなに読んでもらっているような気分になる。noteを通して、人と繋がりたいと思っているのかもしれない。人との繋がりは、安心感を生む。

考察①~④

 以上をまとめると、私の得たい感情は、心の落ち着き、安心感、愛しさ、探求心なのではないだろうか。そして、それを得るために、なるべく家にいたいし、なるべく大好きな人やペットと一緒にいたい。さらに、健康と探求心を満たすため、家庭菜園をする。noteを書く。
 私の生活、早起きして家事をして家族やペットの世話をして、午前中にnoteを書いて、午後家庭菜園して、その後また家事して家族やペットの世話して、という一日だと、とても幸せかもしれない。
 その生活にはもちろん、ずっと隣に夫がいる。そして夫は、そんな引きこもりがちな私を、私が興味を持ちそうなところへ連れ出してくれる。夫といたら、インドアに大きく傾く私の生活が、バランスの取れたものになる。夫だけじゃない、母もだ。もしかしたら、子どもたちも。


まとめ

 「怒らない」とはあまり関係のないところで熱く語ってしまったような気もするが、「怒らない」ためには平穏に過ごすことが大切。これらはすべて「怒らない習慣力」に繋がっているのだろう。
 これからもコツコツ淡々と、自分がやると決めたことをやる。自分の感情について記録し、振り返り、工夫する。夢や目標を立てるときは、自分の得たい感情にフォーカスする。私は日々を、愛しさ、安心感、探求心で満たしていたいのだな、と気付いた。ますます、自分のやりたいことや自分にとっての幸せとはなにかということが分かってきた気がする。

 以上、またね~。


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